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薄明の空を君と見ながら。  作者: 佐野いさ
一章、一番大隊編
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雪鬼と決着

 副隊長の冷静だった目の色は、まるで暗闇に足を取られたかのようにずぶずぶと怒りに塗り替わっていく。


 突如指揮系統を失い、力だけ強い隊員たちの陣形は次第に乱れていく。


 榎本中隊長は今だ蹴り飛ばした隊員と戦闘中。ここで副隊長を離脱させれば蛇男の対処は不可能っ…!


 泉は苦肉の策を取る。


「榎本!宇野!大路!時間を稼げ!私が戻るまで蛇男を相手しろ!」

「はぁ!?オレらじゃあれは倒せな」

「倒せなくていい!とにかく時間を稼げ!」


 泉は三人の中隊長にこの場を任せ、副隊長を追う。


「待て、副隊長!」


 泉は正気を失った副隊長に呼びかける。しかし副隊長は泉の声など聞こえていない。ただ眼前に広がる雪を目指し、忙しなく雪の中を見回している。まるで何かを探しているようだった。


 泉がその俊足で副隊長に追いつこうとしたその時。


 雪の向こう。吹雪による視界不良の中、悠然と歩く一人の男の後ろ姿が見えた。白い雪に、真っ黒な着物を着たその男の頭には、大きな二本の角が生えていた。


 鬼…!?


 泉はその姿に戦慄した。


 遠く離れているのに、尋常じゃないほどの冷気を感じる。鬼を取り巻く周囲の自然は、一歩でも踏み入れば生命が息吹くことを許されないほど凍てついていた。


 格が違う…。


 その鬼は、泉一人でもどうにかできるかわからなかった。


 あれを相手どれば蛇男どころではなく、疲弊した大隊全員の命まで危うい。今はまだ鬼はこちらに気づいていない。ここは一旦退くしかない。


 だが、滲はその鬼を見つけると目の剝いて目標を一点に絞る。


「待て…」


 這うようにそうつぶやくと、滲は刀を構え、その鬼めがけて全速力で切り込んでいった。


「やめろ副隊長!」


 どう考えても滲一人で対処できるような相手ではない。

 蛇男がいる状況であれを刺激してはならない。


 泉は叫ぶが、もう滲には何も聞こえていない。

 ただ恨みがましく「待てッ!」と鬼に叫ぶだけだった。


 鬼は滲の声が聞こえていないのか、それとも取るに足らない存在だと思っているのか振り返らない。

 そんな鬼に苛立ちを覚え、滲は怪しく移ろう秋の山から絶命の雪に踏み込もうとする。


 そこを越えてはもう戻れない…!


「戻れ滲!隊員たちの命を危険にさらすつもりか!?」


 泉の必死の叫びに、滲は振りかざした刀をピタリと止める。


 はっとした表情の滲の足は、降り積もる雪をまたぐ寸前だった。しかし泉の叫びに反応したのは滲だけではなかった。


『滲?』


 泉の言葉に、鬼は振り返った。


 黒曜石のような角。血のような赤い瞳。鋭い牙。しかしその顔は驚いたような表情をしていた。


 鬼は滲の姿を見た途端、逃げるように姿を消す。


「待て!待ってくれッ!」


 雪は鬼とともに吸い込まれるように消え、あたりは蛇男により奇妙に変色した山へと戻っていく。


 滲はわずかに残った雪の中にすがりつくように手を伸ばす。

 やがて雪の一片もなくなった地面に滲は膝から崩れ落ちた。


「クソッ!待ってくれよッ。なんで…」


 滲は頭を抱え、地面に拳を叩きつける。

 怒りに染まったはずのその顔は、なぜだか泣いているようにも泉には見えた。


 そして泉ははっと当初の目的を思い出す。


「そうだ副隊長早く来て!じゃなきゃ蛇男倒せない!」

「え…?うおっ!?」


 泉はズリズリズリッとうずくまったままの滲を勢いよく引きずっていく。


「痛い痛い痛い歩きます!自分で歩きますから!」

「走って!」

「わかりました!走りますからっ!」


 滲の言葉に、泉はぱっと手を離す。

 滲は引きずられた頭を抑えると、迷いを全部振り払うように立ち上がった。


「謝罪は後で致します。今は大蛇が先決ですね。お供いたしましょう」

「よろしく副隊長!」


 泉と滲は蛇男の下へと走る。


 交戦中の中隊長たちの下へ戻ると、三人の中隊長たちはボロボロであった。

 魔法陣より繰り出される攻撃に、宇野中隊長は先に行かせまいと大立ち回りを繰り返し息を切らしている。しかしそれでも決定打に欠ける。それがわかっている小回りが利く大路中隊長は蛇男の隙を狙うが、宇野中隊長と蛇男の激しい攻防戦に割って入れずにいる。榎本中隊長は数の多い蝶に翻弄される中隊の指示で手いっぱいだ。


 しかし。


 よく足止めたっ…!


 泉は三人の中隊長の乱戦を目に入れると、すぐさまその中へ飛び込んでいく。そして状況を把握した滲は即時的確な指示を出す。


「榎本中隊長!全中隊、あとは私が指揮をします!」

「…ッ!」


 背後からの副隊長の声に、榎本中隊長は中隊を副隊長に任せ、蛇男向かって走り出す。そして銃口を上に向け、空へと弾丸を放った。


 空へと放つ銃弾の行先なんかはどうでもいい。ただの囮としては十分だった。


 榎本中隊長の放った銃声に、蛇男の意識がわずかに逸れる。

 大路中隊長は榎本中隊長が作ったその隙を見逃さなかった。

 蛇男の注意から外れた大路中隊長は、体を捻り即座に蛇男の魔法を放っていた十本の指を切り落とす。


『うわァァァ!』


 叫び声をあげた蛇男の喉元に、宇野中隊長は大太刀を振り下ろす。


 しかしギリギリのところで避けられた。


 相手も必死だ。指を切られて動揺している。

 だが三人の中隊長の翻弄により、蛇男の位置が固定された。


「よく耐えたお前ら!あとは私に任せろッ!」


 蛇男の視線が目の前の宇野中隊長に釘付けになった瞬間、泉は蛇男の背後に天高く勢いよく切り込んだ。

 それは帝國最強と呼ばれるにふさわしい、決定的な一撃だった。


『ぐわアアアッ!』


 悲痛な叫びをあげる蛇男に、泉は即座に体を捻り、首に蹴りを入れる。

 すると蛇男は意識を失い、地面へと崩れ落ちた。


 あたり一面の変色した木々が、夜空を写した蝶たちが、元の色鮮やかな紅葉した姿を取り戻し消えていく。操られていた隊員たちは徐々にむくりと目を覚ました。


「終わったか?」


 宇野中隊長は大太刀を手から離し、地に膝をつき、蛇男と同じように落ち葉に顔をうずめて倒れた。

 相当消耗が激しいらしい。


 そんな宇野中隊長に傷だらけの大路中隊長は爽やかに手を差しだした。


「さすがは宇野中隊長、男前な戦いっぷりだったよ」

「ははっ。大路中隊長に言われると、なんか恥ずかしいな」

「何を恥じることがある?仲間をかばい、ほぼ一人でこいつの相手をした君は間違いなくかっこよかったよ」

「ははっ、ありがとう」


 宇野中隊長は大路中隊長の手を借りて笑いながら立ち上がる。その様子を、榎本中隊長は悪態をつきながら見ていた。


「おい、てめえら元気あるならこれ運ぶの手伝えよッ!」

「なんだい榎本中隊長?ねぎらいの言葉はないのかい?」

「あ゛あ゛?」

「はいはい手伝うよ~っ」


 また喧嘩が始まりそうな二人に、宇野中隊長は困り顔で蛇男の輸送を手伝いに行く。


 ひと安心だな。


 泉もほっとして息をつく。


 すると隊員たちに指示を出し終えた副隊長が泉の下へひざまずいた。


「今回のことは、申し訳ありませんでした…。一度ならず二度までも同じことをして。どのような処分でも甘んじて受け入れましょう。もちろん、婚約のことも、なかったことに…」


 言いかけた滲の瞳はとても苦しそうに揺れている。そんな滲の両肩を、泉はドンとつかんだ。


「えらかった」

「…え?」


 動揺して顔を上げた滲に、泉は笑顔を向ける。


「私が『隊員たちの命を危険にさらすつもりか』と言った時、お前は我を忘れるほど追い求めたあいつを置いて踏みとどまった。それは隊員たちのことを大事に思っていたからだろう?私はそれがうれしかったぞ。えらかった、滲」


 泉は滲の頭をよしよしと撫でる。

 滲はその行動に目を見開いていた。


「ですが、処分の方は…!」

「処分?幸い我が大隊はつわものぞろいだ。お前がちょっと寄り道しただけでうちの大隊は揺るがない。それは皆が証明してくれたことだ。感謝するといい!それにお前は見る目があるな。お前の嫁は帝國最強の大隊長だぞっ!ちょっとやそっとじゃ私は倒れない!今回は目標も捕らえられたし、よってお咎めはなしだ!」


 無邪気に言い放つ泉に、滲は呆気にとられる。


「待ってください、それでは…」

「いいんじゃない?」


 不服を申し立てようとした滲に、大路中隊長の声が割って入る。


「なんだかよくわからないけど、反省してるようだし、引き返してきたから問題ないでしょ?ね、榎本中隊長?」

「よくねーだろ。こっちはアンタいなくなって大迷惑だったんだぞ!」

「けどちゃんと君が隊を仕切れていたじゃないか?結果オーライというやつだよ」

「なんでお前が決めるんだよッ!」

「まあまあまあ二人とも~!」


 一番ボロボロの宇野中隊長が二人の喧嘩に割って入る。


「そんなに人の失敗を責めないの。副隊長にも多分色々あるんだよ。大路中隊長と同じでおれもいいんじゃないかと思う。榎本もそこまで怒ってないでしょ?おれは大隊長に賛成だなあ」

「お前まで…」


 榎本中隊長は宇野中隊長の見透かしたような言い分に、しぶしぶため息をつき頷いた。


「わあーたよ、怒ってねえよ。けど次やったらぶっ飛ばすからな」


 榎本中隊長は居心地悪そうに首をかく。

 その様子に、泉は満面の笑みを向けた。


「ほらな?誰も怒ってないぞ?よかったな!」


 泉はポンポンと滲の肩を叩く。

 信じられないといった目を向ける滲に、三人の中隊長たちはにこりと笑いかける。


「よろしいの、ですか?」

「よろしいよろしい」


 泉は滲の周りをぴょんぴょんと跳ねまわる。大層うれしそうだった。


「みなさん、優しすぎますよ…」


 滲は湧き上がる涙をこらえる。そして泉と三人の中隊長たちに改めてひざまずいた。


「このようなご温情、誠に感謝申し上げます。本当に、ありがとう…」


 滲の稀に見せる敬語の取れた友人のような砕けた口調に三人の中隊長たちは「いいってことよ!」と手でグッドサインをつくる。

 あふれ出す涙を止めることができない滲に、泉たち四人は微笑んだ。


「よしっ!帰ったら籍入れるぞ!」

「え…!?いいんですか?」

「いいのいいの!お前が良いんだ!」


 泉は涙を流す滲を勢い余ってぎゅっと抱きしめた。

 顔が赤くなっている滲に、中隊長たちは思わず顔を背けて盛大に吹き出した。


「いいねぇ!熱々だねぇ」

「他所でやってくれ」

「あはは、副隊長でもあんな顔するんだね~」


 三人の中隊長に見守られながら泉の腕の中にいる滲は、とても恥ずかしそうであり、同時にとても幸せそうであった。

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