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薄明の空を君と見ながら。  作者: 佐野いさ
五章、武器狩り
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束の間の三箇日(三)

 餅つき。それは有明家にとって正月の一大行事。

 不釣り合いに大きな杵を軽々と持ち、小柄な泉は意気揚々と田んぼの側に置いた臼の前に出る。


「いいか?滲。この棒をな、ぺったんぺったんするんだ」


 泉は餅つきを知らないらしい滲に、やり方を全力で説明する。

 杵を棒と言った泉に若干眉を顰めた滲だったが、そんな言い間違いを指摘してはキリがないと知る彼は、にこやかに、さらっと訂正せず流した。


「そうなんですかー。物知りですねー」

「ふふっ!そうだろう!」


 泉は実演だと言わんばかりに臼のもち米をつく。そして茂造が見事な連携で、水で表面を整えた。

 最初は息の合った連携に見えたが、調子に乗った泉のつく手はだんだん早くなっていく。やがて五分ほど経つと、茂造の手が追いつかなくなった。


「おわ!泉、ちょっと待て!」

「はい!」


 茂造の言葉に、泉は杵を静止させる。

 その間に茂造は追いつかなくなった分の表面を整え始めた。


「あら泉~。そろそろ滲くんと変わってあげたら~」


 ハツ江の言葉に、泉はハッと反応する。そして戸惑っている滲に、笑顔で杵を渡した。


「はい。頑張れよ!」


 応援つきで渡したことがよかったのか、滲は自ら杵を受け取ろうとする。が、泉が手を離した瞬間、滲は前にのけぞった。


「あれ?泉さん、これってこんなに重いものなんです…?」


 冷や汗をたらした滲は泉に奥歯を噛み締めたように問いかける。泉が軽々持ち上げていたから、軽いものだと思っていたらしい。


 しかし普段軍で打刀を振るう彼はすぐに体勢を立て直した。

 滲は臼のもち米に向かうと、まるで刀の真っ向斬りのように杵を振るう。


 思いの外殺意の高い構えに、茂造はビクリと肩を震わせた。滲は風切音とともに杵をおろす。するともち米が飛び散りそうになったからか、今度は力加減を覚えたようにゆっくりと杵を振り下ろした。


「おお!滲かっこいいぞ!」


 夫の力仕事を泉は拍手で讃える。少しだけ口角を上げた滲はその後、的確に餅をつき始めた。


 それからしばらくして、形のふっくらとした弾力のある餅が出来上がった。ハツ江がその一部を掌で丸めると、用意していたきな粉と砂糖醤油をつけて泉に渡してくれる。


「ほ~ら、お食べ泉。滲くんも」

「いただきまーす」

「いただきます…」


 手渡された二つの味を泉は同時に頬張った。


「ふへへ、ほいひい」

「そうか~、おいしいか~。よかったね~」


 娘の言ったことを母は完璧に翻訳すると、今度は娘婿の方を見た。


「いいむもほいしい?」

「おいしいです」


 恐らく「滲もおいしい?」と聞いた泉に、滲は答える。彼は食べ終えると「もう一つ貰っていいですか?」ときな粉ではなく砂糖醤油の餅に手を伸ばした。


「はわわ。滲くんはそっちがお気に入り?アンタ~砂糖醤油用意してよかったわね~」

「本当かい!?いやあ、そいつは嬉しいね!」


 義理の親たちに見守られ、滲の一挙手一投足に反応されるのが恥ずかしかったのか、彼の餅を食む口が遅くなる。泉はその間もパクパクと餅を胃に放り込んでいた。


 すると、開けた田んぼの向こうから、ちらほらと列をなした人が下りてくる。

 泉が疑問に思って見ていると、一通り餅をこね終えたハツ江が答えてくれた。


「あれは初詣帰りの人たちだね~。ほら、山の上の。泉たちも行くかい?」

「行く!初詣行く!滲も行こ!」


 毎年の御神籤を楽しみにしていた泉は餅を両手に持ちながら目を輝かせる。泉の心は滲と行けるということに踊っていた。


 しかし滲は平然とした顔でこう言った。


「ほう、初詣ですか。僕人生で初めてです」


 にっこりとしている彼に、両親ともに泉は驚愕する。


「ふえええ!?行ったことないのか滲!?」

「はわ~、餅つきを知らなかったお次は、初詣も行ったことないのかい?滲くん稀有な生き方してるね~」

「よっしゃ!すぐ行こう!今行こう!家族みんなで初詣だ!」

「え?」


 父の言葉に、母と娘は機敏に臼、杵を片しだす。置いてけぼりの滲は、そんなつもりはなかったのか「いや、まだ食べていて大丈夫ですよ?」と手元の餅を頬張っていた。




 泉の故郷の村の神社は山の上にある。苔の生えた石階段を上ると、そこにはこじんまりとしたお社が建っていた。村の人口が少ないので、境内の人はまばらである。ゆえに並ぶことなく泉たちはスイスイと鳥居をくぐり終えた。滲はそこで一礼した。


 石階段で限界を迎え、息切れしている両親をよそに、泉は滲を賽銭箱の前に引っ張る。


「いいか滲。ここにお金をポンと入れて、お参りだ」

「それくらい知っていますよ。餅つきと違って行ったことないだけで、知識としてはあるんです。二礼二拍手一礼でしょう?」

「ふえ?」


 泉の知らない言葉を言うと、滲は賽銭箱の前から立ち去り、境内横の水汲み場へ足を運んだ。


「手水舎の柄杓で左手、右手、口。もう一度左手、柄杓の柄の順で洗い清めてから参拝。そうでしょう?」


 柄杓で水を汲みながら滲は振り返った。初めて聞いたが、泉はさも知っていた風に「そうだ」と深く頷いた。泉も滲の真似をして手と口を清める。息を整えた両親は、それを奇異的な目で見ていた。


「アンタ~、あれ使ったことある?」

「ないな。てっきり鳥の水飲み場だとばかり…」


 誰もその儀の意味を知らなかった有明一家は滲に感心する。両親も娘婿に倣い身を清めた。四人は再び賽銭箱の前へ行く。


「この神社は鈴がありますから、鳴らしてからお賽銭、二礼二拍手一礼。お辞儀は深く、拍手は胸の高さで二回。そしてそのまま感謝と願い事の祈りを」


 神社での礼儀が誰もなっていないことを悟ったらしい滲は、婉曲的に独り言のように手順をつぶやく。

 ハツ江はそれを聞いて行動に移したが、茂造と泉は母と滲をきょろきょろ見ながら、一拍遅れで真似をした。


 礼して、拍手して、願い事…。


 手順がいっぱいで頭がこんがらがっていた泉は、手を合わせた今になって願い事を考える。


 ええっと…美味しいものをたくさん食べられますように。あっ、あと野菜嫌いを直せって滲にあんまり怒られませんように。それから、それから…。


 その先はいつも決まっている。毎年同じ、泉の願い事。


 泉が深く礼をして祈り終えると、頭を上げた滲と目が合った。


「祈り終えたら、拝殿のほうに一礼。そこからはもう作法はありません。鳥居を出る時に一礼するくらいでしょうか?」

「ほう!だったら御神籤、御神籤!」


 泉はかねてより楽しみにしていた方へ足を向ける。


「はい、引きに行きましょうか」

「お!そいつぁいいや!俺も一緒に引くぞ」


 笑顔の滲とお辞儀を終えた茂造は髭面をはにかませ泉とともに御神籤売り場へ足を踏み出す。しかし滲だけは「え?」と足を止めていた。


「ん?どうかしたか、滲?」


 泉は首を傾げる。


「待ってください。ハツ江様がまだ…」


 どうやら滲は、まだ祈っている母のことを気に留めているようだった。しかし茂造は言う。


「ああ、ハツ江はいいんだ。長くなるから毎年先に、俺達だけで御神籤引いてるんだよ。泉が待てないから。な、泉」

「うん!御神籤、御神籤!」


 じっとしていることが苦手な泉は、弾む体で籤箱に目を釘付けにしていた。これが有明家、毎年の光景である。

 滲は振り返り首を傾げながらも、「そうですか…」と言って、泉たちについて来た。


 籤箱を振った三人は、出た番号と同じ神籤を探す。「十八、十八…」と高いところに手を伸ばす背の低い泉の代わりに、滲がその番号を取ってくれた。


「すごいですね泉さん。大吉です」

「ほえ!やったー!今年も大吉ー!」


 毎年大吉を引き続けている泉は、今年も喜びに体を跳ねさせる。すると三十二番の籤を引いた茂造もこちらに駆けてきた。


「見ろよ泉、今年の俺も大吉だ!やはり新年は大吉出迎えないとな!」

「わーい!お父ちゃんもー!」


 産まれてこの方大吉を引き続けている父と、その強運を引き継いだ娘はわいわいと飛び跳ねる。

 しかし、滲は静かに黙っていた。


「ん?滲、どうした。はっ…!」


 覗き込んだ泉は驚きで顔を曇らせる。滲がすまし顔で手に持っていたもの、それは『凶』と書かれた御神籤だった。


「やはり神は僕なんか嫌いなようですね」


 吐き捨てるように滲は言う。泉はその横顔に開いた口が塞がらなかった。茂造は呑気に書かれた字を見つめている。


「ほへー、初めて見た。本当にこんなもの引く人いるんだな」


 直球で滲の心をえぐっていく父に、泉はあわあわと首を振った。滲の表情はどんどん冷たくなっていく。なんとかしなければ、と泉は口を開いた。


「あ、あのな滲、神様は別にお前のこと嫌ってるわけじゃないと思うぞっ!」


 泉の必死の弁明に、滲は暗かった表情を少しだけやわらげ、微笑んだ。


「ありがとうございます泉さん。けれど大丈夫です。僕はこんな土地神風情に用はないので」


 彼の言葉は酷く罰当たりで、その顔は酷く悲しそうだった。どうしようかと悩んでいた泉に代わり、茂造が滲の隣に顔を出す。


「まあ、そう落ち込むことないって。俺だって末吉くらいまでは引いたことあるし」

「「え?」」


 思いがけない一言に、泉と滲の声が重なる。


「え?でもお父ちゃん、毎年大吉って…」

「おう、そうだぞ。お父ちゃんは毎年大吉がでるまで引くからな!」

「ふえええええ!?」


 父の新事実に、娘の泉は驚きを隠せない。滲もその力技の執念に唖然としていた。


「だから滲くんも気にすんなって。あの先生だって俺の手法で大吉を引き当てたくらいだ。何度でもやりゃあいい」


 そりゃ当たるまで引けば当たるだろ、と滲は眉を引きつらせる。思った以上にくだらないことをしていた後藤と茂造に泉は衝撃を受けた。


「まあ、金がなくなるからハツ江には怒られるんだが…。その点、滲くんは先生みたいに心配はいらねえな!」


 趣味無し独身軍部大臣の後藤と同列に語られて、滲は少々嫌そうな顔をしたが、それでも彼の顔はほんの少し明るくなっていた。


「もうすぐハツ江も戻って来る。あいつと一緒にまた引いて来いよ。な、滲くん」


 茂造は滲の肩を強引に叩く。その熊のような太い手に突き飛ばされそうになりながらも、滲はどこか可笑しそうに笑っていた。


「そうですね。引き直しましょうか」


 そう言った彼の笑みにはもう仄暗さはどこにもなかった。




 初詣を終えた有明一家四人は、鳥居の前で一礼する。そして元来た石階段を歩き始めた。


「先生とそんな面白そうなことやってたなんて、ずるいぞ!」

「だってお前は一発で大吉を引くじゃないか!それじゃ意味ねえんだよ。わかってないなー、泉は」

「むーっ!」


 前を行く父と娘は、それはそれはくだらないことで盛り上がっている。滲はそんな二人を微笑ましく見つめた。その隣に微笑みがもう一つ。


「ふは!あの人、ついに泉にバレたか~」


 泉の母、ハツ江である。


「まさか滲くんが御神籤二回引いたのって、あの人の影響?」


 彼女は目ざとく滲に顔を向けた。「その通りですよ」と滲は頷く。


「や~ね。たとえ凶なんか引いても、気にせず丸めてポイすれば済む話なのに、あの人は~」


 神の籤をただの紙同然だと言うようにハツ江は笑い飛ばす。しかし滲はあることを思い出し、彼女の態度に違和感を持った。


「そうおっしゃる割には熱心に祈られていましたね。お二人からはいつもああだ、とお聞きしましたが」

「あ~、あれね。…そうね」


 滲にとってはただ純粋な疑問だった。だがハツ江は顔を少しだけ曇らせる。彼女は目先を行く二人から距離を取るように歩幅を縮めた。


「あれはね、泉のことを祈ってたの」


 彼女は滲にだけ聞こえる声でそう言った。滲は静かに耳を傾ける。


「あの子はね、小さいころから魔族を倒せるだけの力量があって、先生に見いだされるほどの才能もある。今じゃ帝國最強の大隊長だなんて言われてるんでしょう?うちの農民の娘が信じられないわ!」


 ハツ江は「ふはは!」と高らかに笑う。


「…でもね」


 彼女は虚しく笑い終えた。


「あの子、帰ってくるたび傷だらけなの。それが私は嫌で嫌で反発したことだってあったわ。…あの子に帝都で一緒に住もうって言われた時、私、頷けなかったの。ここを離れれば泉がずっと軍と一緒に生きていかなくちゃいけないような気がして。私ね、怖くなっちゃったのよ…」


 弱く震えたその声は、滲からかける言葉を奪う。それが彼女の十年背負った悩みだった。


 だけどね、と彼女はグイと顔を上げる。


「だけどね、泉は曲がらなかったわ。他の生き方を知らないだけかもしれないけど。うちの子馬鹿だから!」


 先の言葉を台無しにするかのような一言に、滲は思わず苦笑いを浮かべた。その顔が面白かったように、ハツ江は「ふはは!」と泉に似た顔で笑う。


「あの子の願い聞いちゃったからね~。もう応援するしかなくない?って思ったのよ。泉~!あんたの願い事、滲くんに聞かせてあげな~!」


 ハツ江は突然声を張り上げ、泉を振り向かせる。泉は急な呼びかけに一瞬疑問符を浮かべていたが、ハッとしてくるりと滲たちに向き直った。


「も、もしかして、野菜嫌いを直せって言われませんようにってお願いしたことがバレ…」

「そんなこと願ってたんですか泉さん。その願いはもう叶いませんよ」

「ふえ…!?」


 滲の冷徹な言葉に、泉は涙声になっている。ハツ江と茂造はその見事なまでの娘の扱われっぷりに目を見張っていた。


「ふははっ、泉。それじゃなくて最後の、いつもの願い事は?」


 ハツ江はあらぬ勘違いで墓穴を掘った娘に、もう一度言葉を促す。思い当たる節があるのか、泉はすぐに顔を上げた。


「ああ!あれだな!私の毎年お願いしてること!それはな!」


 それを知らない滲は首を傾げる。そんな滲に泉は堂々と顔を向けた。


「“みんなが笑って過ごせますように”だ!」


 なんて幼稚で壮大な願いだ、と滲は目を丸くする。だが、その願いこそが彼女の本質を表しているような気がして、滲は何も言えなくなった。そんな娘婿の様子にハツ江は笑う。


「ほらね~。あんな事聞いたらもう何も言えなくなっちゃうでしょ~?だから私の願いは毎年、あの子の健康と幸せよ。長寿万歳!」


 明るく言い放ったハツ江の顔は、覚悟を決めた人間の顔だった。その母親としての毅然たる態度に、滲は心打たれた。


「僕の親も、そんな方たちだったらよかったのに…」


 零れた言葉は一瞬で、誰にも聞こえていない。


 ハツ江は泉を見て笑っていた。


「あ、でも滲くんが別のことやりたいって言うなら、軍じゃなくても、ここに帰って来ていいからね。うちの田んぼは絶賛後継ぎ募集中よ!」

「あ、ありがとうございます…」


 滲が暗い顔をする間もなく、ハツ江の元気溌溂な笑い声が飛んでくる。

 有明家一同が皆明るすぎて、滲は少々調子を狂わされる。


 しかしそれが滲にとって、本当に、本当に心地よかった。

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