お弁当
「うぐっ…へぐっ…」
勤務中の昼休み。泉は机に突っ伏してすすり泣いていた。
「あの、どしたの?大隊長」
宇野はやんわりと周りを気にしながら泉に話しかける。
執務室を見回すが、副隊長は今書類を提出しに行っているのか、いないようだった。
呼びかけられた泉はむくりと顔を上げる。そしてまたびやっと涙を浮かべつぶやいた。
「私は、悪い旦那なのかもしれない…へぐっ…」
「ん?違うと思うよ…?」
「あ、間違えた…。私は、へぐっ…悪い嫁なのかもしれない」
なぜそこを間違えたのか、泉は涙をためて言い直す。
「ん?嫁?妻…?」
その正解は宇野にもわからないが、とにかく泉は何か悩みを抱えているようだった。
「どうしてそう思ったの?副隊長はそんなこと思ってないように見えるけど」
「うぐっ…。実はな…」
事の発端は早朝。泉はとある女性隊員たちの会話を聞いてしまったのだった。
「それでさ、うちの旦那、私が仕事から帰って来るなり何て言ったと思う?『飯はまだか?』だって。私さっきまで働いて来たんですけど!?」
「うわー。やーね、それ。今は男女平等の世の中だってのに、料理も作らない夫ってちょっと愛想尽きちゃうわよね。『もう離婚だー!』って」
「ふえ!?」
聞き耳を立てていた泉は思わず声を上げた。
そしてそのまま時間が過ぎ、今に至るという理由だ。
「ふぐっ…このままじゃ私、滲に離婚されちゃう…」
「あーね。そりゃあ確かに。うん、ええっと…」
女子の辛辣な本音に宇野は苦笑いを浮かべる。
「家では副隊長がご飯作ってるの?」
「うん…。おいしいの…」
「そっかー。大隊長は何か料理できないの?」
泉は一度考えてから涙を止めた。
「えーっと…。飯盒炊爨…?」
微妙に日常的じゃない料理を言われて、宇野は黙り込む。
「どうかな?」と少しだけ目の輝きを取り戻した泉に、宇野はマズいと思い、咄嗟にあることを口走った。
「あ、ああじゃあ、一回お弁当作ってみるってのはどう?おれも手伝うからさ」
「え!ほんとか!?いいの!?」
「いいよ。おれ一人暮らしだし、一応料理できるから、一通り教えてあげる」
「ふわわ…!」
宇野の申し出に感激した泉は彼の手を取る。そして感謝を述べながら、ぶんぶんと上下に振り回した。
「ありがと!ありがと!ありがと!」
「う、うん。どういたしまして?」
こうして、泉のお弁当作りが始まったのであった。
休日。宇野家にて。
朝早くから大路は、実家の厨房から取り寄せた大量の食材を運び込む。
「ふう。こんなものかな?」
「え!こんなに使わないよ…」
「まあまあ!キミもボクらの弁当を作ってくれるんだろう?足りないといけないと思ったらつい、ね。余ったらまた持って帰るから!」
「はへ~、伊達にお嬢様やってねえな。楽しみにしてるぜ、宇野」
座敷の奥にいた榎本は、どっさり運ばれてきた肉、魚、野菜に驚嘆の声を漏らす。
泉も同じく籠いっぱいの食材を覗き込んだ。
「おお~!…。このまま食べちゃダメかな?」
「ダメだろ。何しにきたんだよ大隊長?」
涎をたらしそうな勢いの泉に、榎本はじろりと睨みを利かせる。
「…ってか、それより」
泉を見た後、榎本はさっと大路の横へ視線を向けた。
今日は宇野家でお弁当作り。
泉にお手本を見せるため、宇野も弁当を作るのだが、なぜかそれを聞きつけてきた榎本と大路が参加することになっていた。
と言っても、この二人は料理を作らない。宇野が作ってくれるお弁当を楽しみにしている応援係であった。
だが、そこにはもう一人、招かれざるエプロン姿の金髪美女が佇んでいた。
二番大隊副隊長、キュリーである。
「なんであんたがここに?」
「いやそれおれの台詞ね?」
勝手に来た榎本に宇野が突っ込みを入れる。
するとキュリーは凛と宇野たちを見据えた。
「ワタシもお弁当作りを教えていただきたいと思い、大路中隊長にお誘いしてもらいました」
「そうなの?キュリー副隊長も料理できないの?」
勝手に来たことは置いといて、宇野は意外そうに問いかける。しかしキュリーは首を振った。
「いえ、料理はできるのですが、以前ワタシは聞いてしまったのです。隊員と明乃介さんの会話を…」
キュリーは無表情ながらも、悔しそうに拳を握る。
あれ?なんかどっかで聞いたことあると思った泉と宇野は顔を見合わせた。
事の発端は数日前。香山がいつにも増して人目を避けるように食事をするようになった。そこで隊員の一人が問いかけた。
「どうしたんですか?香山大隊長」
すると香山は、何とも困り顔でこう答えたのだ。
「実はこのところ、家ではフランソワーズ料理ばかりなんですよう。だからたまには胃に優しいものが食べたいなあと思いまして…」
キュリーはその時言葉を失った。
その後、「絶対にキュリーさんには内緒ですよ」と隊員に念を押し、香山は妻に隠れておかゆを食べ切っていた。
そして今に至る。
「ワタシは明乃介さんに今まで気を遣わせてしまっていたのです。ですがワタシは和食が作れません。それが悔しくて悔しくて…」
綺麗な口元がゆがむ。それほどまでにキュリーは悔しかったのだろう。
だがその握った拳をつかんだのは、泉だった。
「わかるぞ。その気持ち…」
泉はつかんだ拳を手に取り、柔らかく包み込んだ。
その場の誰もが、少女の慈愛の精神に目を丸くした瞬間。
「わ、私も、ずびっ…!離婚されそうになって…へぐっ…!その気持ちよーくわかるぞ…うぐっ…!」
引き込まれた時間を返して欲しいと思うほど、泉は涙をダラダラと流していた。
だがその言葉にキュリーは、はっとして泉の両手をつかみ返した。
「それでは、ワタシは仲間なのですね…!一緒に頑張りましょう。有明大隊長」
「うん!がんばろう!…へぐっ」
しゃくりあげながらも、泉は顔を上げる。
この奇妙な乙女たちの連帯感が生まれたことに、大路は高らかな拍手を送っていた。
すると榎本が宇野に耳打ちする。
「なあお前、香山大隊長の満足するような弁当作れんの?」
「わかんねえけど、おかゆよりはマシなもの作ってみるさ」
金持ち香山の舌を唸らすことができるのか、一抹の不安は残るが、宇野はまあ考えたってどうにもならない、と気持ちを切り替える。そして互いに同志と讃え合っている泉とキュリーの前で手を叩いた。
「はい、じゃあ今からお弁当作りを始めまーす!」
「よろしくお願いいたします」
「お願いしまーす!」
宇野の掛け声に、キュリーは礼をし、泉は涙をぬぐい元気よく手を上げる。台所に響くその声はウキウキと弾んでいた。
「よし、まずは大路中隊長が持って来てくれた中から使うものだけど…」
食材係、大路の持って来た籠を覗き込んだ宇野は、中身が料理しない人のそれで少々困惑する。
しかし数秒固まった後、その中から初心者でも調理しやすそうなもの、そして保存が効くものを、適当に手に取った。
「うーん、鮭弁当にしよっか?」
「うん!頼む!」
泉は大路からもらったぶかぶかの割烹着姿で目を輝かせる。
割烹着は女学校時代に使って、それきりだったそうだ。
「お前学校で何してたんだよ?」
「アッハッハッ!実はボクの恋人たちが全部やってくれてね。ボクは食べる専門だったよ」
要するに自分も料理ができないと言っている大路は美しい高笑いを決める。
だが、なんだかんだ世話を焼いてくれる宇野に甘え、自分も料理ができない榎本は、大路に何も言う資格はない。
今二人にできることは、ただ邪魔にならないように畳の上で泉とキュリーを応援することだった。
「おお!大隊長火ぃ熾すの上手い!これなら早く終わるかもね」
「ふっふっふ!野営で鍛えた私の腕をなめるなよ。ふすー!」
得意になって調子づいた泉はさらにかまどに空気を送る。
「うん。だいぶ火も安定してきたね。じゃあキュリー副隊長は米手伝って」
「かしこまりました」
宇野は二人に的確な指示を与えながら、自らは次のおかずを調理する場を整える。前日から水に浸していたらしい米の釜をキュリーは火の上に置く。
「はい、この間に鮭を切りまーす」
「はーい!」
手際のいい宇野は袖をまくると、危なげなく包丁を握る。
キュリーも料理自体はできるからか、握り方は問題ない。
問題があるのは泉だった。
宇野たちの真似をしたつもりでも、泉は既に持ち方から違う。鮭の心臓を刺し貫きそうな構えをとっていた。
これは骨が折れるぞと宇野は覚悟する。
その時。
ドンドンドン!
戸を叩く大きな音に、五人は咄嗟に身構えた。しかし戸から聞こえた声は。
「失礼します。井上です。泉さんいらっしゃいませんか?」
滲の声に、泉はびくりと肩を跳ねさせる。
「あれ?大隊長、副隊長も呼んだの?」
皆人呼びすぎだと宇野が肩をすくめると、泉は首を振った。
「う、ううん…。内緒にしようと思って、家に手紙だけ置いて出てきた。『宇野の家に行きってきます。探さないでください』って…」
その文面はいかん、と宇野、榎本、大路は固まる。
「あの!いないんですか?宇野!ねえ!」
沈黙に焦りを隠せなくなっている滲は、悲鳴に近い声を上げ、戸をドンドンと叩き続ける。
「どうするのです?」
小声のキュリーの隣で、宇野は畳にいた榎本と大路に、無言で「行け」と合図を送る。
暇して絵を描いていた榎本と、そのモデルになっていた大路は、急いで玄関口へと飛び出した。
「やあ副隊長!休みの日まで会えるとは、これってもしかして、う・ん・め・い?」
「大路!?それに、なぜ榎本まで…」
「よお皮肉屋!今日は一段と伊達男じゃねえか!そんなお前を大路と一緒に絵に描いてやるよ。喜べ!」
「喜べません!それより泉さんが…」
「本当かい!?ボクらの美を余すことなく、かっこよく描いておくれよ!」
「誰だと思ってる。任しとけ!」
「話を聞いてください!私は泉さんに…!」
二人を押しのけ、滲が無理に家に入ろうとしたその時、開きっぱなしだった戸の奥から、超高速回転の桶が飛んでくる。
それは見事な音を立てて滲の顔面に命中し、滲は意識を失った。
榎本と大路が振り返ると、そこには野球の如きフォームで剛速球を投げたキュリーの姿があった。
「おお!かっこいいね!」
蒼い顔して足が震える榎本の隣で、大路は笑顔を向ける。
桶を渡した宇野は、やれやれと首を振った。
「あの、本当にこれでよかったんでしょうか…」
投げる前に聞けと言いたくなった榎本をよそに、宇野は何とも言えない複雑そうな顔をする。
しかし結果オーライと言うべきか、滲は完全に無効化されたのであった。
「うーん、よかったかどうかは微妙だけど、おれがやると二日は気絶しちゃうし、大隊長まだ時間かかるよ~。完成するまで副隊長が大人しく待てたかどうか…」
確かに、とキュリーは頷く。
家出されたと気が狂いそうな様子だった滲は、待つどころか、弁当のことを隠しておくことさえ困難に思えた。
「ん~、まあ続けよっか。大隊長頑張ってるし」
宇野が視線を向けると、集中しきっている泉は外のことなど気にせず、まな板の鮭と一生懸命に格闘していた。
「む~?なんだこの骨は…」
渋い顔で小骨と戦う泉は、二人に助けを求めるようにチラリと振り向く。
それに宇野は微笑みながらも、キュリーと切り身の手本を見せるように真ん中に立った。
その間、滲は榎本と大路に居間に運ばれ、寝たまま王子様と眠り姫の状態で、絵画のモデルにされるのだった。
そんなこんなで時刻は昼過ぎ。
通常の三倍時間がかかった泉のお弁当が、ついに完成した。
「お、できたできた」
完成品を見つめている泉に、宇野は笑顔を向ける。
宇野は先に完成していたキュリーに出汁のとり方を教えている最中だった。
すると台所の障子が開き、榎本が満面の笑みで駆けこんでくる。
「おい見ろ宇野!傑作ができたぜ!」
その手には、一番大隊の二大美人が、豪華絢爛の花の中で、精緻に描かれていた。
約四時間かかっただけのことはある大作に、宇野も驚嘆する。
「おお!すごいじゃん!」
その賛辞に榎本は弾ける溌溂とした笑顔を見せた。が、榎本は思い出したように表情を戻す。
「んなことしてる場合じゃなかった。できたか?」
「うん、できたよ」
「弁当だけどここで食べさせてもいいか?あいつもう起きちまって…」
榎本がわざわざ閉ざした障子の向こうからは、何やら滲の断末魔のような叫びが聞こえてくる。
「落ち着きたまえ副隊長!大隊長はキミのことを捨てはしないさ!」
現在大路がただ一人で必死に抑え込んでいる状況だった。
「…重症だね」
「だろ?だから早く…」
「あー、でもどうしよ…」
迷った宇野は泉に視線を向ける。
すると泉は目をきらきらさせて二人を見ていた。
「お!ついにか!?ついに食べさせる時が来たのか…!?」
そわそわと落ち着かない様子で泉は頬に両手を当てた。キュリーも泉に反応する。
「遂にですか、有明大隊長。応援しています」
相変わらず表情は硬めだが、キュリーは背を押すように片手でグッドサインをつくる。
それに泉もグッドサインを返した。
宇野はこれを了承と捉える。
「まあ目的は料理することだったし、別にいいじゃない?」
「ああ!ちょっと待て!まだ愛入れてない!」
「愛?」
きょとんとしている宇野をよそに、泉は目を閉じ、渋い顔して弁当箱に両手をかざして念を送る。
これで愛を送っているつもりらしい大隊長に、榎本は吹き出し、宇野は微笑んだ。
「おれも愛入れとこうかな?榎本、大隊長が愛入れ終えるまで副隊長取り押さえといて」
「了解」
榎本が障子の奥に引っ込んだのを見計らって、宇野は自分が作った二箱の弁当に念を送る。
それを見たキュリーまでもが真似し始めたことは言うまでもない。
何はともあれ愛を入れ終えたらしい泉は、カッと目を見開いた。
「できたぞ!滲ー!」
そしてあふれんばかりの弁当箱を持ち、障子の向こうへ駆けだす。
障子を開けるとそこには、大路と榎本に羽交い絞めにされた滲がいた。
「~ッ!泉さ…」
二人を必死に振りほどこうとしていた滲は、泉を見つけた途端大人しくなる。
少々奇怪な体勢での再開で、泉も驚いていた。
だが、手の中にある物を思い出し、泉はニパっと満面の笑みを向ける。
「滲~!私お弁当作ったんだ!これあげる!」
「は?お弁当…?」
羽交い絞めが解かれた体で、滲は素っ頓狂な声を出す。
自信満々に微笑む泉は、食えと言わんばかりにグイグイとお弁当箱を持って、にじり寄って来る。
すると障子の奥から宇野とキュリーが顔を出した。
「え!?キュリー副た…」
「今のワタシは空気です」
「は…?」
泉を引き立てるため、自ら空気に成り果てたキュリーは、気配を消して口元に人差し指を立てる。
「あ、あのなんかごめんね。大隊長料理できないことに悩んでたらしくて、ついお節介を…」
よく考えれば榎本や大路、キュリーが勝手に来なければ、二人っきりになりかねなかったこの状況に、宇野は深く反省した。
その謝罪で自らの勘違いを悟ったのか、滲は恐る恐る泉に顔を向ける。
「あの、泉さん…、確認なんですが家出は…」
「ん?してないぞ?」
それを聞いた瞬間、滲は全身の力が抜けたように畳に突っ伏した。
「ええ!?大丈夫か滲!?」
「大丈夫じゃありませんよ!はあ、よかった…」
消え入りそうな声で、滲はそうつぶやく。
そして起き上がると泉の両手に手を添えた。
「これ、くれるんです?」
「う、うん!」
急に顔の距離が近くなった泉は、戸惑いながらも勢いよく頷く。
それを大路と榎本が盛大に冷やかしていることを、泉は知らない。
滲がお弁当を受け取ると、中からはあふれんばかりの焦げた金平ごぼうに、形の歪な塩鮭、固くなるまでぎゅうぎゅうに押し込めた白飯が出てきた。
箸を渡された滲は、それを「いただきます」と頬張る。
そして。
「はあ、美味しいですね」
「嘘だあ。絶対美味くな、いッ!」
正直すぎる榎本に、宇野がすかさずチョップを入れる。
が、滲は榎本に誇らしげに微笑んだ。
「何を言ってるんですか榎本。妻の愛情入りの料理が美味しくない訳がないでしょう?これだからわからない人ってのは困りますね」
さきほどまで喚いていたとは思えないほど清々し顔をしている滲に、榎本はだんだん腹が立ってくる。
泉は泉で最後の隠し味がバレたと思い込み、驚いていた。
キュリーはそんな微笑ましい会話を、空気となって見守る。
だがその時、泉は当初の目的を思い出したかのように、滲に向き直る。
「あ、そうだ滲!これで、離婚は、しない…?」
大きな瞳を泳がせる泉に、滲は首を傾げる。
「離婚?」
「あー、実はね…」
宇野は不安がっている泉の代わりに、事のいきさつを説明した。
すると滲はすべてが腑に落ちたように頷いた。
「なるほど。私も杞憂でしたが、泉さんも随分な杞憂ですね」
「きゆー?」
「はやとちり、とでも言いましょうか。泉さん、私はあなたが何にもできないことを承知の上で結婚したんですよ?今更そんなこと責めるわけないじゃないですか」
「ええ!?傷つく!」
えらくにこやかな滲に、泉は離婚を回避したのにしょんぼりと肩を落とす。
「けれど」
滲は泉の顔をあげさせる。
「こういうことをしてくれるのは、とても嬉しいです。次は家出まがいの文章なんて残さないでくださいね」
そう言って、滲は泉に柔らかく微笑んだ。
泉もニパっと笑いかける。
「うん!わかった!次からそうする!」
頬を少しだけ染めながら、満足げに笑う泉に、傍らの四人も微笑んだ。
「はい、じゃあキュリー副隊長は出汁の続きしよっか?榎本と大路は弁当食べる?」
「食う」
「食べるー!」
四人は邪魔しないように、そそくさとその場を離れる。
幸せそうな顔した二人を見ながら、宇野たちはそっと障子を閉じたのだった。




