大路と三枚の恋文 後編
仕事終わりの夕暮れ。
滲、宇野、榎本は大路から例の恋文の返事を受け取っていた。
『あの月を見てごらん。どこかの国では月に女性の横顔が見えるらしい。
あれボク。
だから今日会えなくとも、ボクはずっとキミを見守ってる。
いつまでもキミを照らすスポットライトとなろう。
大路愛華より』
手紙の出来栄えに男たちは絶句する。
「どうだい?これをキミたちに届けてもらおうと思うんだけど」
あまりにキザで突拍子もない文章に三人は目を見開いた。
「こりゃ…大路にしか書けねえな」
「かっこいい!おれも『あれボク』とか言ってみたい!」
一部宇野に好評な大路の恋文は三人の手元へと渡される。
「おや?」
すると滲は封筒に入った手紙の両面を見ると、重大な欠陥に気がついた。
「これ、宛名が書かれていませんね。どなたに送るんです?」
「わからないよ」
「え?」
ポカンと口を開ける滲に大路は溌溂とした笑顔を向ける。
「その子たちは匿名でボクにお手紙をくれたんだ。だから顔も名前もわからない。恥ずかしがり屋さんだね。それで直接そこに行かないとどの子かわからないんだ」
「はあ!?んなのどうやって見つけろっつーんだ!?」
「『キミの王子様からの使者です』って言えば通用するさ!」
「ししゃってなに?」
「ええっと…」
こうして三人は、誰に宛てるかもわからないまま、手紙を持って呼び出し場所へと向かうのだった。
榎本は指定の場所へと足を向ける。
なんでオレが…。大路の恋愛なんてどうでもいいし、家に帰って絵が描きたい。
今なら怒れる不動明王が描けそうだ。
そんなことを考えながら榎本は重い足取りで駐屯地の裏へと辿り着く。
もう日が暮れたのか、あたりは暗く静かで人の気がない。これなら見つけるのは簡単そうだった。
榎本が視線を動かすと、視界の端で何かが動く。
「おい」
「はいっ…!」
レンガ造りの駐屯地から頭を出したのは、背の低い、ふんわりとした雰囲気の可憐な隊員服の女性。
大路に会えると思ってそわそわしていたのか、単に上から目線の榎本が怖かったのか、彼女は挙動不審だった。
普段接している部類では可愛いであろうその人から恋文を貰った大路を、榎本は大層うらやましく思った。
「アンタか?うちの大路に手紙送ったの?」
榎本がずかずかとそちらへ向かうと、彼女は逃げようとする。
しかし大路という言葉を聞いた瞬間、彼女の動きはピタリと止まった。
「も、もしかして、大路中隊長の、彼氏さ…」
「違うわ」
とんでもない勘違いをした彼女に榎本は即刻訂正する。
「オレはあいつにパシられただけ。呼び出すなら名前書いとけバカ野郎」
初対面の人に悪態をつきながら、榎本は預かった手紙を乱暴に渡す。
彼女が封を開け、頬を赤く染めたのを確認すると、榎本は不機嫌にその場を後にした。
駐屯地二階の休憩室。
宇野は暗くなった外を椅子に腰かけながら覗いていた。
まだ手紙の主は来ていない。
宇野は一人部屋でぐるぐると思考を巡らせる。
何か遅いなあ。仕事が押してるのかな。それとも大路に会えると思って気合い入れてお洒落に時間がかかっているのかな。え?だとすると申し訳ないな、おれなんかで。絶対がっかりするじゃん。うわーっ。やめときゃよかったかも。
大路と自分の容姿の落差を考えて、宇野は軽はずみ頼みを受けたことを後悔し始める。
その時、机に突っ伏した宇野の背後の扉が開いた。
「あれれ?愛華ちゃんは?」
おっとりした声。
宇野が振り返ると女性はのんびりと首を傾げる。
元から大路の知り合いなのだろうか。それとも知り合いではないがちゃんづけで呼んでいるだけなのかは、大路がモテ過ぎるゆえ定かではないが、とにかく手紙を宛てたのはこの人だと宇野は確信した。
「あ、ああ、えっと大路中隊長の手紙の子?あの、なんか予定があるとかでおれ、彼女の代わりに返事を…」
宇野は普段から大路を大路“中隊長”と呼ぶ。
本当は気軽に「大路」と呼びたいが、周りを取り巻く彼女たちが難癖をつけてきたことがあるので、今は役職呼びとなっている。恋とは盲目的なのだ。
以来宇野は大路を取り巻く彼女たちに少し苦手意識を持っている。
宇野はつくづくこの頼みを受けない方がよかったと思い始めていた。
しかし目の前の女性は予想に反し、にぱっと笑った。
「なんだ、そうだったんですね。ありがとうございます!」
他意のない朗らかな笑顔の彼女は、宇野の渡した手紙を嬉しそうに受け取る。
「わあ、愛華ちゃんお返事書いてくれてる。名前書き忘れて焦ってたのに。届けてくれてありがとうございます」
女性はぺこりと頭を下げる。
「い、いや、おれは別に…」
自分でも女性相手にこんなきょどるのかと悲しくなりながら、宇野は頭を上げてと彼女を催促する。
それでもそのあたたかい笑みは、宇野の偏見を徐々に解かしていくのだった。
魔族討伐部隊演習場。
滲は演習場を囲む鉄柵周辺をうろうろと歩き回っていた。
演習場にはもう鍵がかかっていて誰もいない。
指定の場所はおそらくこのあたりなのだが、暗いので人影があるのかどうかがわかりにくい。
「すみませーん。どなたかいらっしゃいませんか?大路からの言伝を預かって参りまし、た…?」
静けさに吸い込まれそうだった滲の声は、突如目の前から走って来た人物にピタリと止まる。
「ごめんな~大路ちゃん。先輩に掃除押し付けられてもぉて、おれ遅れてもぉたわ」
肩で息をする青年は膝に手をつき、汗を流す。
滲はその光景に思考停止した。
「あんれ?大路ちゃんとちゃうやん?人違いやったんか」
青年は「ごめんなさい」と頭を下げ、きょろきょろと大路を探し回る。
「大路ちゃーん。どこおんのー?」
滲よりも年若そうな彼は両手を筒にして叫んだ。
その声に滲は我に返る。
「すみません、今回彼女は予定があったらしく代理で私が返事を預かっております。あなたが手紙の送り主で?」
てっきり大路が彼女、彼女と言うので女性が来ると思っていた滲は少々面食らった。
伝説の男前のお相手は男女を問わないらしい。
しかしこの方言を話す青年は滲以上に驚いていた。
「うわぁ、イケメンやぁ。大路ちゃんとはまた別の綺麗な顔しとうなあ、あんた」
「はい?」
「やっぱりこんな人が普段から周りにおったら、おれ、敵わんのかな」
青年は自信を無さ気に肩を落とす。
案外本気の告白の邪魔をしてしまったようで、滲は居心地悪くなった。
「そんなことはないと思いますよ。大路は人を見かけで判断しませんし、逆に見かけだけでは好きになってもらえません。その点、あなたには今回お返事の文があります。諦めるにはまだ早いかと」
滲は彼の前にそっと大路の文を出す。
「大路ちゃん…名前も書けんかったヘタレなおれに返事を…?」
青年は顔を上げると、まるで壊れ物でも扱うかのような手で文を受け取った。
「お兄さん、ええ人やなあ。おれ、頑張ってみるわ!」
そう言った青年の笑顔は、女性の横顔に見守られ、美しく照り輝いていた。
「あのな、それでな、それでな!」
「うん!」
大路は執務室で泉の話を聞いている。
相談したいことがあると言ったのは泉であった。
「デートしてな、くるくる~ってしてな、ちゅってしてな!」
よくわからないが余程嬉しいことがあったようで、泉は左手の『くすり』と書かれた指を撫で、幸せそうにはにかむ。
「へえ、うらやましいなあ。こんなかわいい子を独り占めしているなんて、副隊長は罪な男だねえ!」
大路は泉の波長に完璧に合わせて見せる。
大路がモテるのは、その恵まれた容姿からのみではない。他人より優れた共感力と対話力。
彼女は滲の言うようなお世辞は使わない。本当に思ったことをそのまま口にしている。
彼女は心の中まで王子様なのであった。
「でもな、なんだかな、滲、たまに悲しそうでな…」
泉は途端に下を向く。
「元気づけてやりたいんだ…。なにかいい方法はないか…?」
泉はちらっとだけ顔を上げる。
不安そうに揺らした瞳。言わないことの方が多い彼のことをつかみかねているのだろう。
つくづく罪な男だねと思いながら大路は煌びやかに口の端を上げた。
「そんなの簡単じゃないか!キミが笑いかけるだけで、副隊長は最高に嬉しいのさ!」
キレッキレの決め顔で大路は泉を指す。
その言葉に泉は目を真ん丸にした。
「私が笑うと、嬉しい?」
「もちろんさ!大隊長の笑顔が何よりの薬だよ」
優しく語りかける大路に泉の顔は、ぱあっと明るくなる。
「そうかな…!」
「そうさ!…おっ。もうそろそろ彼らが帰って来るんじゃないかな?」
「ん?」
二人が視線を向けたのは執務室の扉。そこからはなにやら聞きなれた三人の声が近づいてきていた。
「ほんとダリーなあ!なんで自分のラブレターじゃねえのにオレが行かなきゃならなかったんだよ!」
「ええ?おれは別によかったけどなあ。まあ確かにうらやましいのはわかるけど」
「私のところには男の人が来ましたよ?もうびっくりしましたよ。てっきり女性だけなのかと…」
扉が開かれると、滲たちが三者三様の感想を述べながら、疲れたような、うらやましがるようなため息ついて帰って来た。
「ほら、今だよ」
大路にトンと背中を押され、泉は滲のもとへ駆け寄る。
「おや泉さん、帰ってなかったんですか?」
大路の相談相手が泉だと知らない滲は、先に帰っているものだと思っていたのか目を瞬かせる。
仕事が終わり気が抜けているのか、泉の呼び方は家でのそれと同じだ。
泉はタタタッと榎本と宇野に挟まれた滲の目の前に滑り込む。そしてピタリと俯いたまま立ち止まった。
「?…泉さ」
泉は勢いよく顔を上げる。
そこには大人と子どもの狭間の、愛する以外の選択肢が残されていない満面の笑みが、滲だけに向けられていた。
両脇の宇野と榎本には、滲の心が射抜かれた音が聞こえる。
「い、泉さん…?どうしたんです…?」
顔を赤らめながら、滲の声は震えている。
これは二人きりにした方がいいな、と三人の中隊長はニマニマと席を外し、ひっそりと廊下に出て扉を閉めた。
「さて、ボクの仕事は終わったし、そろそろ帰ろうかな」
「おい、一番迷惑かけたやつが先帰ろうとすんじゃねえよ」
「いいじゃんどっちでも。おれたち家近いんだしゆっくり帰ろ」
「え゛え…」
宇野ににこやかに促されるも、榎本はまだ言い足りないらしい。
そして捨て台詞のように最後の不満をぶち撒けた。
「たく、なんでオレに頼んだんだよ。せめて今度からは他の奴に…」
「嫌だよ」
「は?」
予想外の返答に、歩き出した榎本は足を止める。
振り返ると大路は二人に真剣な眼差しを向けていた。
「ボクだって、たまには皆にかまって欲しいじゃないか…」
少しだけ小さな声で、大路は慣れない言葉を口にする。
その顔は皆を照らす王子様ではなく、ただの年下の女の子だった。
固まってしまった榎本の隣で、宇野は「あっはっは」と笑いかける。
「いいよ、いつでも言って。今日は送ろうか?」
「え!?いいのかい?」
「いいよ~。いつも一人で帰るのは寂しいでしょ?榎本もおいで」
「うげっ、嫌だよ何でオレも…」
「ありがとう二人とも!ボク、ボク、嬉しいよ!」
「いいって言ってねえよ」
「あっはっは!」
宇野は喧嘩が始まりそうな二人の間に割って入る。
夜空の下、三人の中隊長たちは、終始笑い声が絶えぬ帰路を歩いていくのだった。




