言いたくないなら
「なんなんだあの言い方!あんなに言わなくてもいいじゃないか。大体先生は頭が固すぎる!だから彼女の一人もいたことがないんだ。大路中隊長を見習え!」
泉は帰り道、一人ぶつぶつと不満をつぶやきながら小石を蹴る。後半は自分でも何を言っているかよくわからなかったが、とにかく泉は怒っていた。
もう日が暮れる。太陽は半分ほど顔を隠し、あたりはどんどん暗くなってゆく。
業務時間はとっくに終わり、隊員たちはもう帰ったころだろう。泉も口を尖らせ、小石を蹴り飛ばしながら自分の家を目指す。
「そもそも、命令違反なんて私も何回もやったことある!なのに単独行動ってだけであんな…」
『隊員の命を危険にさらした』
後藤の言葉が重く脳裏に突き刺さるように反芻する。
泉は小石を蹴るのをやめて立ち止まった。
やがてはっと我に返ったように顔を上げる。
「ダメだダメだ!考えるな!先生は分からず屋!それでいいんだ!」
泉はたどり着いた屋敷の戸を勢いよく開ける。
「うおっ、おかえりなさい」
「ただいまッ!」
先に帰っていた滲を驚かせながら、泉はどしどしと廊下を歩くと、軽装に着替え、居間の席にご立腹の様子で座布団の上に座り込んだ。
「おやおや、ご機嫌斜めですか?」
その様子を向かい合わせで座る滲はクスクスと笑っている。
「斜めだ。非常に斜めだ」
言葉の変なところを切り取って繰り返す泉は口を尖らせ、虚空を睨んでいる。
「お疲れ様です。何があったんですか?」
「何もないっ!」
泉は滲がちゃぶ台に運んできたお茶を勢いよく飲み干す。
「ふふふ、おかわりいりますか?」
「いる」
ムスッとした顔で泉は答える。それに文句も言わず滲は急須を傾けた。
「はいどうぞ」
「ありがと」
気持ちが少し落ち着いてきて、泉は今度はゆっくりと茶を飲む。
ほどよくあたたかく、外に出て冷えた今の泉にはちょうど良い温度だ。
ふと目線を下げると、ちゃぶ台の上に見慣れない紙が置いてあることに泉は気づく。
「何だこれ?」
「婚姻届です。ちゃんともらってきましたよ。あれからあの三人が本当についてきて大変だったんですから」
滲は疲れたようにやれやれと肩をすくめる。宇野、榎本、大路中隊長の愉快な三人組が騒がしく滲について行っている光景が目に浮かぶようだった。
しかし泉はそんな滲の顔を何も言わずに、ただただ無言で見つめていた。
「何です?」
それが居心地悪かったのだろうか、滲は驚くように目を瞬かせた。
言うべきだろうか。
泉は心の内で迷いが生じる。
言うべきだろうか、今日言われたこと。
けれど泉の頭の出来では、なんと言えばいいのかわからない。
すると真正面から滲は泉の顔に手を伸ばしてきた。
「泣いていたのですか…?」
泉の眦を滲は指で撫でると、その眦はかすかに赤くはれていた。泉はどうしようかと考えたが、結局頷いた。
「どうして?」
心配そうな顔を向ける滲に、泉は口ごもる。
やがて解決策が思いつかず、泉は口を開いた。
「お、お前のことを聞いたんだ。六番大隊にいた時の、お前のこと…」
泉は目を泳がせ、手探るように話すが、滲からの返答はなかった。
代わりに心配するように置かれていた眦からは手を離され、泉と壁をつくるように強張った表情をした。
「な、何かあ」
「誰から聞いたんです?それ」
滲は泉の言葉を遮った。その視線は温かみを失い、まるで心の内を閉ざしたかのようだった。
「え…?」
「言えませんか?じゃあどこまで聞いたんです?」
責め立てるように泉を問い詰める滲の声は静かなのにとても攻撃的だった。
泉たちが仕事でやらかした時とは違う、笑みのない冷ややかな瞳。探るような視線は切れ長の目を恐ろしげに開かせる。
「謹慎になったってことぐらいだぞ…!?単独行動がどうとかって聞いたけど、あんまりよくわからなかったし…」
泉は言い訳しているかのようにどんどん声が小さくなる。
「本当に?」
「ほ、ほんとだって…!」
詰め寄った滲に、泉は泣きそうなほど震えていた。魔族すら恐れぬ泉は今の滲のことを怖いと思っていた。
その怯えた表情に、滲ははっと我に返る。
「すいません、理不尽でしたよね」
自分でも信じられないと言った顔の滲は無理に笑顔を作り直す。
「ごめんなさい。今のは忘れてください」
湯呑を片付けようと、滲は慌てて席を立とうとする。その袖を泉はぎゅっとつかんだ。
「言わなかったんだろ?」
泉は逃げようとした滲を留める。
「理由、言わなかったんだろ。なんでだ」
泉は滲の顔を見ずに問いかける。
その様子に滲は迷ったように視線を逸らした。
「…ごめんなさい。そのことについては…言いたくありません」
沈黙を貫く滲に、泉は掴んでいた滲の袖を離す。
「結婚の件、少し、考えさせてくれないか…」
泉は俯き加減で静かに言い放った。
滲は辛そうに顔を上げる。
「そう、ですよね…。こんな気持ちのまま結婚なんてできませんよね…。ごめんなさい…」
震える声で、ごまかすように滲は笑顔を作る。その笑みに、泉は歯を食いしばった。
「いいぞ」
「え…?」
「言いたくないなら言わなくてもいいっ!お前はいいやつだ!何かきっと理由があるんだろう!結婚の件は、まだちょっとびっくりして私の気持ちの整理ができてないだけだ!気にする必要はない!だから無理に言わなくていいぞ!」
顔を上げ、言い切った泉の表情は、言って欲しいという思いと、言わなくていいという思いが葛藤したように思えた。しかし滲はそれでも言わなくていいと言ってくれたことが、どうしようもなくうれしかった。
「やはりあなたはとても、優しいですね」
その懐の大きさに、滲は泉を抱き寄せる。
泉の不安そうな火照った頬を指で撫でた滲の顔は、なぜかとても苦しそうだった。
「夕食にしましょうか」
「お、おう」
苦しさを悟られぬように背を向けた滲に、泉は抱きしめられたことで頭がいっぱいで、ありきたりな返答しかできなかった。
何をそんなに苦しがっているのだろう。悲しそうな目をするのだろう。滲は何も言ってくれないが、少なくとも泉には、滲が後藤の言う軟弱者には見えなかった。




