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薄明の空を君と見ながら。  作者: 佐野いさ
三章、三番大隊編
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香り

 香山たち到着の二時間前。

 泉たちは大いに暇を持て余していた。


 佐々木や柚木は感づいているが、泉はこの異常事態を仕組まれたものだとは思っていない。

 さらにこの村は元々外との交流があまりなく閉鎖的なので食料も自給自足で賄える。

 ゆえに危機感というものがあまりない。


「だからこういう時のために電話買いましょって言ったのに、それくらいのお金あるでしょう?」

「月穂が全部使わなきゃ考えてたかもな」


 雪希と佐々木はじろりと月穂に視線を向ける。


「その節は本当に申し訳ございませんでした!しかし見てくださいこの香木!こちらは伽羅(きゃら)と言って沈香の中でも特に希少な最上級の品で…!」

「ああ、いい。もういいから」


 箱に入ったよくわからない木片を見せつける月穂の話を佐々木はうんざりしたように聞く耳持たず遮った。


 本だけでなく、本から得た知識をそのまま実践したがる月穂は、時に目玉が飛び出るほど高い買い物をしてくる。

 今見せつけた古そうな木もその一つだった。


 佐々木たちには何がいいのかさっぱりだが、多趣味な月穂にとっては宝物らしい。


 しかしこの月穂の演説に滲は耳を疑った。


「伽羅!?伽羅があるんですかこの家!?」


 滲はこたつ七輪の炭を入れ替えようとしたことも忘れ話題に飛びついた。


「まさか時に(きん)より価値ある高級品に出会えるなんて…!」

「わかるのですか!?ああ…!実は一度でいいからこの香木で理解ある人と組香をやってみたかったのです!よければわたしと源氏香などいかがでしょう?」

「喜んで!はあ、長生きはするものですね!こんな幸運に恵まれるだなんて!」


 お前まだ若いだろ?とそこまで長生きしていない滲を見つめ、佐々木たちは月穂抜きでひそひそと会話しだす。


「やっぱ、わかる人にはわかるのね…」

「つーかあいつ金より高いって言った?ホント馬鹿じゃねえの?そんなもん買ってくんなよ!?」

「ま、まあまあ…お父さん落ち着いて…」

「ごめんね…。いいよっていっちゃったわたしも悪いし…」


 当時月穂に押し負けた晶子は罪悪感で黒子を俯かせる。

 その様子に佐々木は何も言えなくなったのか黙り込んだ。

 しかしそんな家族に構わず月穂は泉の両肩に手を置き、目を輝かせる。


「奥様も参加されますか!?いいでしょう!楽しくなってまいりましたよ!」

「ん?私も?うん!やるー!」


 なにをするかいまいちよくわかっていないが、滲と一緒にできることと、なにより奥様と言われたことが嬉しくて、泉は二つ返事で頷いた。


 すると月穂はみるみるうちに居間に香を焚く準備が整えていく。それを両親及び姉妹は傍観していた。

 そして組香の様式が整うと、決められた位置があるのか滲は定位置に礼儀正しく腰を下ろした。

 出遅れた泉も見よう見まねで滲の隣に座り込む。


「わたしが香元を務めましょう。ああ…!こんな日が来るなんて!」


 雅な雰囲気に似合わず本音が漏れる月穂に滲は微笑む。そして何もわかっていない泉に向き直った。


「いいですか泉さん。いろいろな説明を端折りますが、要は五つの香の中から同じ香を当てればいいのです。わかりますか?」

「おお!なるほど!」


 一切の難しい説明を投げ打った滲は、伽羅の香を聞くのが楽しみでしかたがない。

 月穂が美しい所作で香を焚き終えると、香炉を滲へと渡した。


 滲は静かに香炉の縁を囲う。


 そして聞き終えたのか泉に香炉を差し出した。


「?」


 泉も滲を真似して香炉を嗅ぐ。

 よくわからない匂いだが、この二人にはお気に召したらしかった。


 続いて月穂が二番目の香を焚き始める。次に三、四番目の香を焚き、ついに五番目の香を焚き終えた。


「…?…!」


 初めて知る世界に触れて、泉はわからないと首を傾げる。しかし何かがピンと来たように泉は鼻をひくひくさせた。


「泉さんはどれが同じだと思います?」


 滲が穏やかに問いかける。すると泉はやけに自信を持ったように笑った。


「えーっと、一と二、それとは別に三と四も同じだと思う!」

「若紫ですね。承知しました」

「ん?わか?」


 急に知らない言葉が出てきて泉の自信はどこかへと消え去る。


 滲は泉の答えを聞き終え、紙に五本の縦線とともに一本の短い線を書き足す。


「難しいですね。私は空蝉のように思いましたが、一体どちらが(ぎょく)なのやら…」

「ぎょく?」


 考え込んでいるのか滲は泉に答えず紙に線を書く。泉とはまた違った形の組み合わせの図を描いて月穂手渡した。


「なるほど。意見が割れましたね。頑張った甲斐があります!」


 隠し切れない興奮を胸に、月穂は片方の紙に筆を滑らせる。

 そして一呼吸おいて、くるりと片方の紙を皆に向けた。


「泉様正解です。おめでとうございます!」


 その紙には図の下に達筆で『玉』と書かれていた。

 何が何だかわからないが、正解したらしいので泉は大喜びする。


「わーい!当たった当たった!」

「因みに五の香が伽羅です。お楽しみいただけましたか?」

「悔しいですね…。泉さんに負けるなんて…。もう一回やりませんか?次こそは私が勝って見せます」

「その言葉を待っておりましたぜひやりましょう一の香焚き上がりました」

「あれ?もう一回?」


 滲の対抗心に火をつけ、組香は二周目へと突入する。

 しかし泉は一呼吸嗅ぐとすぐに違いを感じ取った。


「えーと、二と五が一緒!」

「藤袴ですか。なるほど」


 滲はまた紙に奇妙な図を描く。そして自分も感じた組み合わせを表し、月穂に手渡す。


 すると。


「泉様また正解です。なんと素晴らしい!」

「え?やったー!」


 そこにはまた『玉』の文字。意外にも組香の才があるらしい泉はぴょんぴょんと飛び跳ねた。


 しかしそれがさらに滲の対抗心を煽る。


「もう一回やりませんか?こうなると負けっぱなしでは終われません」

「ええ、もちろんですとも。それでは三回目。一の香焚き上がりました」


 用意が良い月穂は何度でも滲に香炉を渡す。


「え?もう一回?よし、頑張るぞ!」


 繰り返される勝負に、泉は喜んで参加した。


 しかし聞けども聞けども泉は香を当てまくる。

 目も耳も鼻も勘もよい泉は、この手の勝負で無双していた。


 やがて七回目に突入したときにはさすがにわからなくなったのか、滲は泉に白旗を上げそうになる。

 佐々木たちも下らない勝負に呆れ欠伸を嚙み殺したとき、香炉を扇ぐ泉の手が急に止まった。


「焦げ臭い」

「え?」


 そんな香りはしなかったと首を傾げる滲をよそに、泉は香炉を置く。そして立ち上がってうろうろとあたりを歩き出した。


「あれ?なんか普通の木が燃えてるみたいな…。外かな?」

「「!」」


 泉が首を捻った直後、くつろいでいた柚木と佐々木は即座に強張った顔で臨戦態勢を取る。


「花奈、村の連中を集めろ。今すぐだ急げ!」

「はい!」


 柚木は箪笥の陰に隠した戦斧を素早く手に取り走り出す。


「え?なんだ?火事?」


 泉もその後ろをついて戸まで駆け寄ると、外の光景に目を見開いた。


「山が、燃えてるッ…!」


 泉は急いで自身の短刀を手に取る。


 遠くに見える炎の中には、うっすらと大量の人影が見えたのだった。

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