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薄明の空を君と見ながら。  作者: 佐野いさ
三章、三番大隊編
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黒衣の下は

 黒子の女性は泉を見るや否やあわあわと箪笥の陰に隠れようとする。

 すると泉を追いかけてきた柚木が声を上げた。


「お母さん!」

「え!?おかあさん?」


 これまた予想外の人物に泉は驚愕する。


 隠されてはいるが、柚木たちよりもさらに華奢な体で、小刻みに震える黒衣の下の瞳がうるんでいることは見えずともわかった。


 焦ったように柚木は自らの母に駆け寄る。その姿を見て、泉はなにか悪いことをしてしまったのではないかと慌てふためいた。


「ごご、ごごご、ごめんなさ…っ!」

「何の騒ぎ?!」


 泉が謝り切る前に、雪希の厳しい声が飛んでくる。

 そして隔てられた襖を開けると、ピリついた空気を纏い走って来た。


 その二人だけでなく、さらに先ほどまで滲と本の世界に浸っていた月穂までもが、現実に引き戻されるように神妙な面持ちで黒子の母の下へやって来た。


「え?え?ええ!?」


 責め立てるように次々と現れた三人に、泉は混乱する。

 そして月穂の後ろから遅れてやって来た滲が眉を顰めた。


「どうしたんです、って…」


 その異様な光景に滲も一瞬目を疑った。


 床に転がっている黒子の女性と、その人を擁護するように立つ三人の娘。対する泉は何が起きたかわからずに右往左往している。

 滲は佐々木家側と自分の嫁を交互に見つめた。


 すると。


「…大丈夫だよ。みんなごめんね…」


 柚木の腕に庇われていた黒子の女性はゆっくりとその手を下ろさせる。


 か細い声とおろおろとした仕草。けれどその中にはどこかあたたかみのある声色。


 黒子の女性の言葉に柚木は不安そうに腕を下ろすと、彼女たちの母であるその人は泉たち二人に頭を下げた。


「取り乱してごめんなさい…。びっくりしたよね…?わたしはこの子たちの母親の佐々木晶子(しょうこ)と申します…。旦那と娘がいつもお世話に…」


 そう言うと黒子の女性、晶子はまたぺこりと頭を下げる。

 黒一色で覆い隠した外見とは裏腹に、悪い人ではなさそうだった。


 そんな異質な見た目に滲は少し動揺を見せながらも笑顔を作る。


「いえいえ、実際にお世話になっているのは私たちの方です。今もこうして家に置いてくださっているのですから」


 柔らかく、そしらぬ顔で滲は微笑む。あくまで業務的に、黒子のことには一切触れずに。


「申し遅れましたが、私は有明滲と申します。こちらは妻で一番大隊大隊長の…」


 滲は固まっている泉に自己紹介を促す。

 しかし泉はその黒子を凝視したまま動かなかった。


「…泉さん、自己紹介です。そんなに見ては失礼でしょう…!早く名前を…」


 暗意にその話題に触れるなと滲は泉を催促する。

 だが、その意図が全く伝わらなかったのか、泉は呆然と口を開いた。


「なんでそんなの被ってるんだ?」

「「「ッ!?」」」


 その言葉に、三姉妹の空気が張り詰める。

 その機微を感じ取り、滲は咄嗟に泉の口を塞いだ。


「もがっ…!」

「申し訳ありません!そう言った個人的なことには踏み込まぬよう、今後よく言って聞かせておきます!言いたくないことは誰にでもあるでしょう。ご不快な思いをさせてしまったこと重ねて謝罪いたします!」


 淀みない滲の謝罪に、三姉妹は少しだけ緊張を和らげる。


 泉の言葉に悪意はない。純粋に疑問に思ったからこそ口にしただけだろう。しかし、だからこそ質が悪い。純粋に育ちすぎた泉は、時にそれが人を傷つけることをあまり理解していなかった。


 だが、この外よりも厳しい冬の空気の中、晶子は口を開いた。


「い、いいですよ…。別に…。気になるよね…?」


 謝罪を述べた滲に晶子はおろおろと頭を上げさせると、ゆっくりとその腕の中の泉を見た。


「お母さんッ!」

「大丈夫、大丈夫だから…」


 鋭い声を上げた雪希を晶子はなだめる。そして娘に止められながらも泉に向き直った。


「こ、これはね…。昔、魔族につけられた火傷で…。全身にあるから…。あまり、見て気持ちのいいものじゃないの…。きっと怖いと思うから…。ごめんね…」


 晶子は黒衣の下を誰にも見せないように頭を下げる。おそらくその傷で長らく苦しんできたのだろう。

 母の様子に娘たちは、何もできない無力感への苛立ちと、憐れみを抱え、それでも心配したような視線を向けていた。


 しかし泉の顔はぱあっと明るくなる。


「なんだ!そんなことか!それなら私も似たようなのがいっぱいあるぞ!」

「え…?」


 驚く晶子に泉は軍服の袖を捲り上げる。


「ここと、ここにも!足にも胴にもあるぞ!」


 腕からのぞくのは痛ましい火傷、切り傷、打撲傷。それらを指さして笑っている無邪気な少女。


「私の傷も魔族につけられたものだ!だけどこれを怖いなんて思ったことはないし、人についてても特に気にならない!」


 泉はドーンと胸を張る。だが、それに続いて「けど…」と口を開いた。


「けど傷で泣いてるのは悲しいことだぞ?私は傷ついた人でもぱあっと笑っててほしい。そのための討伐隊だ!私はそのために頑張るぞ!」


 先程とは違う、励ますような頼もしい笑顔。泉にしか言えない力強い言葉は、その場の誰もの心を動かした。


「あ、あり、がとう…」


 晶子は黒衣の下で目を丸くする。そして張り詰めていたものが解けたように「…ふふふ」と小さく微笑んだ。


「あ!笑った!やったー!」


 泉は無邪気に両腕を上げる。

 それと同時に、自分がまだ名乗っていないことに気が付いた。


「そう言えば私の名前は有明泉だ!よろしくお願いします!」


 その元気な挨拶に、皆の空気は一気に和やかになる。


「とてもいい上官を持ちましたね。花奈」

「うん…!月穂お姉ちゃん」


 月穂と花奈は互いに微笑み合う。


 そして泉は手の中にあるお古を見て、自分が何をしようとしていたかを思い出した。


「あ、お風呂借りていいか?」

「もちろんどうぞ…」


 晶子に許可を取り、ひと段落したところで泉はお風呂へと足を向ける。

 すると後ろにいた滲が、くすくすと口元を抑え笑っていた。


「なんだ?なにか面白いことでもあったか?」


 目を瞬いた泉に、滲は可笑しそうに口元から手を離した。


「いいえ。ただあなたが本当に素敵な人だと再認識しただけです。惚れ直しましたよ、泉さん。他人の家じゃなければ抱きしめてるところです」

「ふえ!?」


 滲の言葉に泉の顔は途端に赤くなる。そして手の中のお古をぎゅっと握りしめて、ぶっきらぼうにこう言った。


「あ、あれはお前が私の傷をいいって言ってくれたから言えたことだ…。だから、その…そんなに私が特別なことじゃない…」


 ぶつぶつと文句を言っているような口調だが、それは以前滲が告白したとこのことを泉が覚えていたという証拠だった。


 滲は目を丸くする。

 そしてそのあまりの愛おしさに本気で泉を抱きしめようとしたその時。


「あら、月穂との話が終わったの?なら旦那さんと二人でお風呂入って来たら?」


 雪希の何気ない一言に、滲の挙動に気づいていなかった泉の顔はぼっと火を噴く。

 そしてあたふたと右往左往した後、なぜか「ごめんなさーいっ!」と言って一人風呂まで全速力で駆けて行った。


 泉の消えた廊下を滲は呆然と見つめる。


「あら?わたし悪いことしちゃったかしら…?」


 去っていった泉と滲の間を見つめ、雪希は困り顔をする。

 それに滲は苦笑いを浮かべた。


「いえ、他人の家ですしやめておきましょう。…第一キスすら交わしたことないのにそんなことできません」

「え!?そうなの!?旦那さんも初心ね~」

「まるで恋愛小説の一節のよう!なんて素敵な恋!」

「お、お姉ちゃんたち…!?あんまり囃し立てない方が…」


 畳みかける姉二人を柚木はなぜか何かを恐れたように抑えようとする。

 その様子に滲はあきらめたように笑った。


「ああ、もういいですよ。囃し立てられるのなんて一番大隊で慣れっこですし」


 そう言った滲は頭を抱えて肩を落とした。

 柚木はそんな滲に目を丸くする。


「なんだか…、雰囲気変わりましたね…?」

「…?そうですか?」

「はい…。六番大隊にいた時は、もっと近寄り難い印象だったので…」

「あっはっは、お恥ずかしい」


 柚木の言葉に滲は当時のことを思い出したのか声を上げて笑い出した。


「あの頃は幼稚だっただけです。狭い視野で、全てを嫌っていた。今考えると我ながら子どもだと思います。怖がらせてしまいましたか?」


 滲はゆっくりと柚木に視線を向ける。


 六番大隊にいた時とは違う、あたたかくて思いやりのある瞳。冷酷無比なあの頃からは想像もつかないほどの変貌ぶりに柚木は目を疑う。


 しかし目の前で向けられた笑顔は、本物のようだった。


 柚木の口元の端がほんの少しだけほころぶ。


「いいえ…。けれど、今の方がずっと素敵ですよ…」


 恐れの消えた顔で柚木は微笑む。


「ありがとう、ございます」


 それに滲は意外そうに、それでも嬉しそうに、彼は柚木に釣られて柔らかい微笑みを返すのだった。

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