嵐は止み、月は満ちる
滲たち一行が悪魔を倒した直後。
雨に打たれながら、香山は天邪鬼と一騎打ちを繰り広げていた。
「風雷雨を操り、さらには悪魔をも使役する魔族。これを野放しにはしておけませんね」
激しき空中戦の中、香山の目は至って冷静である。
『ホほう!其方ナかなカやるデハなイか!楽しイのウ!』
その速さで一人竜巻を避け切った香山に、天邪鬼は称賛の声を上げる。
しかし香山の目は冷ややかなままだ。
「力を誇示するだけの、一体何が楽しいんです?」
雨で満たされた空を泳ぐように、香山は目にも止まらぬ速さで数十の落雷を避ける。
だが、さらに大きな落雷が香山の飛行する前方を襲う。
『ホレホレ、どうしタ?逃げテばかりカ?』
さすがの香山も攻撃の手数に怯んだのか、天邪鬼から背を向け、山へと姿を眩ませる。
『ホっほっほ、待て待テ。まだ楽しもうゾ』
うねる黒雲を引き連れ、天邪鬼は帆に風を起こし、逃げ去る香山を追う。
轟雷を背に、香山は木々の少ない、山の裏の開けた場所へと躍り出た。
『オヤ、どうしタ?ここに逃げ場ナど…』
「やっと誘導できましたね」
嘲笑を零しかけた天邪鬼は言葉を止める。その時香山は初めて、腰のサーベル型軍刀を抜いた。
天邪鬼は雑面の下で冷や汗を流す。
香山が背を向けたのは雷に怯え逃げたからではない。天邪鬼を街から引きはがし、被害を最小限に食い止めるためだった。さらに万一の山火事を想定したこの開けた場所。ここなら雷を落とされても消火は早い。
天邪鬼は今、香山の手のひらで踊らされていることを知る。
『やるな小僧!この我ヲ嵌めヨったッ!』
帆を大きく広げ、天邪鬼はこれ以上ないほどの好敵手に出会えたことを喜ぶ。
自らよりも速い稲妻の位置を予想する観察力、それを避け切る機動力、周辺状況を加味し、即座に裏山に回った判断力。泉ができていない大隊長のいろはを、香山は完璧に実行して見せた。
『ハッハっはッは!』
天邪鬼の高笑いとともに、空の暗雲は大きく渦を巻く。
「なんだ!?」
それを見た泉、滲一行は裏山へと進行方向を変え、ひたすら飛び、ひた走る。
そして二組は同時に香山のもとまで追いつくと、そこには立っていられないほどの暴風雨が吹き荒れていた。
繭のような竜巻と雷雨は、ただ香山のみに一点集中していた。
その山すら抉りそうな天気に、泉たちも近寄れない。たった一人を除いては。
「アレは…!」
キュリーの瞳に天高く横切る飛行物体が映る。
痛みすら覚える雨よりも速く、全てを攫う風よりも速く、その人の姿はまるで弾丸のように、視界に映るのは一瞬だけ。
しかし。
香山は竜巻の中を、迷わず敵前めがけて一直線に突き進む。
そして身を翻し、広げた帆の背後を取ると、目にも止まらぬ速さでサーベルの柄を天邪鬼の首元に叩きつけた。
『ぐハッ…!』
ほぼ音速で喉元をつかれた天邪鬼はその場で意識を失う。
「牢獄で反省なさい。次は力の使い方を間違えないといいですね」
意識を失った天邪鬼を抱えると、香山はほっと息を吐く。
竜巻は霧散し、空は晴れていく。
よかった…。
だが香山が地上まで降りようとした瞬間、足の装置からおかしな機械音が聞こえた。
そして足元を見ると、そこにはとある文字が表示されていた。
『充電切れ』
「え?」
装置は空中で静止すると、力を使い果たし、ただの鉄の塊と化す。
そしてそのまま重力に従って落下し始めた。
「ひやああああああああ!」
情けない悲鳴を上げ、魔族を抱えたまま香山はその重さゆえ超高速で落ちていく。
キュリーの父が不完全だと言った新型は、充電切れが異常に早かったのだった。
「うわわ!かや…!」
「香山大隊長!」
助けに行こうとした泉より先に、振袖姿のキュリーが動く。
寸でのところで転がるように香山を抱きかかえると、ぬかるんだ土の上に受け身を取って、綺麗に着地した。
「でかしたよエイミー!大路中隊、今すぐ魔族を回収せよ!」
この衝撃で目を覚ましかねない魔族を、大路中隊は速やかに回収し、輸送準備を整える。
二人きりの空気を察した大路は、こんな時だけ誰よりも早く動いた。
それに倣い、宇野、榎本も自らの隊に被害状況の確認と、住人たちの避難解除を急がせる。
互いの無事を確認し合ったのも束の間。隊員たちは忙しなく後片付けを始める。
その横で、泉は滲に木の幹に追い詰められていた。
「ねえ大隊長?あなた今月でいくら壊したら気が済むんですか?ねえ、い!く!ら!」
「うううっ、ごべんなざい…」
背後には大木、両側は滲の腕で塞がれている泉には逃げ場がない。
大層ご立腹である滲は薄い笑みを痙攣させ、青筋を立てている。それに泉は雨か涙かもわからないものをぐちょぐちょに流しながら謝った。
「あなたは本当に何度言ったら…。いえ、もう壊すなという方が悪いのでしょうか?ああ、なんか頭痛くなってきました…」
「ええ!?大丈夫か!?」
脳内でそろばんを弾き、滲は頭を抱える。そして泉はあたふたとあたりを見回した。
すると。
「あ!あれ!滲あれ!」
「あれ…?」
疲れた顔の滲に、泉は光明を見出したかのように開けた山の中央を指さす。
滲が振り返るとそこには、キュリーに地に伏したまま抱きしめられている香山の姿があった。
「キュ、キュリーさんっ?あの、苦し…」
「よかったです…!生きてて…よかった…!」
キュリーは力の限り香山を抱きしめる。それに香山は顔を赤らめた。
「お、大袈裟ですキュリーさん…!それより貴女、手がとても冷たい!それに服も泥だらけです!早くあたためなければ風邪を…引いて…」
身を起こし、雨風に濡れたキュリーの手をつかむと、香山は徐々に言葉を失う。
香山を見つめるキュリーの瞳は、まるで何かをじっと待っているかのように揺れていた。
魔族戦闘前、自分がここ数日、一体何に頭を悩ませていたかを、香山は今思い出す。そして先程、キュリーに告白されたことも。
宙ぶらりんとなった答えを探すべく、香山は真っ白になった頭を必死に回転させる。
そして持ち前のへっぴり腰を見せたその時。
「うわあ…」
視界の端に見えた空に、香山は思わず声を上げる。
キュリーも香山につられて顔を上げると、そこには、どこまでも広大にきらめく星空に、澄み渡る秋の満月が高く浮かんでいた。
暗雲の晴れた夜空に、二人は目を奪われる。
「キュリーさん」
冷えた空気の中、香山は小さく笑いかけた。
「月が、綺麗ですね…」
口から自然に出たその言葉に、香山自身も驚いた。
しかしその一言に、キュリーのすべてが釘づけになる。
こみ上げてくるものが多すぎて、キュリーは涙が出そうになった。
「はい…。死んでもいいです…」
そして周りの隊員たちの目も気にせず、キュリーは強引に香山を抱き寄せると、目を閉じそっと、唇を重ね合わせた。
「はわあああああああ!」
初心で馬鹿な一番大隊の面々は、空気も読めずに絶叫する。
「おいなんでちゅーしたんだ!?月褒めただけだぜ!?」
興奮した榎本が近くにいた滲の肩をガンガン揺らす。
「あれは『愛してる』、いえ、この場合は『結婚してください』の意味でしょうか?」
「「「え!?」」」
何言ってるのという顔の隊員たちは一斉に滲を見る。
そしてキュリーの恋愛相談を受けていた滲は、一瞬で追い抜かされたこの事態に、「僕でもやったことないのに!?」と内心衝撃を隠せないでいた。
秋の終わり、青白の月に照らされたキュリーは、香山がパニックになっていることも知らずに、唇を重ね合わせ続けた。




