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薄明の空を君と見ながら。  作者: 佐野いさ
二章、二番大隊編
25/63

君とワルツを。

 その日の夜。泉も布団に入り寝静まっていたころ。


 トン、トトン。


「んにゃ?」


 聞き慣れぬ音がして泉は目を覚ました。

 何の音だと布団から体を起こすと、それは外からのようで、泉は寝ぼけ眼をこすって障子を開けた。


 晩秋の澄んだ空気。そこには薄月に照らされた滲が裸足で舞い踊っていた。


 息を飲むほど美しく、鈴の音が聞こえてきそうなほど雅やかに。かと思ったら激しく、情熱的に。またある時は悲嘆に暮れる思いをぶつけたように出鱈目に。

 憂い気な瞳に、指先まで神経の通った所作。


 その舞はハナヤマト伝統のものから、どこかの異国情緒を感じさせるものへと移り変わっていく。

 しかもそれは一つではない。


 砂漠、海辺、山河を駆け抜け北から南へ、西から東へ。その中には泉も後藤に連れられたころに見たことのある異国の踊りも含まれていた。


 まるで世界をめぐるように見る見る仕草を変える滲に、泉の目は奪われる。


 しかしその舞は、突如完成されていたものが瓦解していくように狂いだす。


 絡みついた糸を振り払おうと必死にもがくが、もがけばもがくほど絡みついて次第に息ができなくなるように、滲の呼吸は乱れていく。


 やがて絡みついた糸に身動きが取れなくなったのか、滲はふと途切れるように踊ることをやめた。


 それでも。


 パチパチパチパチ。


「…ッ!」


 汗を流した滲は突然の背後の音に振り返る。

 すると両の手で目一杯の拍手を送っていた泉と目が合った。


「いっ、泉さん…」

 見られてはいけないものを見られてしまったというように滲は後ずさる。

 しかし何も知らない泉はパチパチと手を叩きながら、目を輝かせていた。


「ふわわ!すごいな!なんかこう、この辺が、グワーってなったぞ!」


 なんだかよくわからないが、こみ上げてくるものがあったらしく、泉は興奮気味に胸を抑える。


「なんだか楽しそうだな!私もやりたいぞ!教えてくれ!」

「えっ…」


 戸惑った滲に泉は縁側からひょいと草履をはき飛び降り、駆け寄った。


「楽し、そう…」


 忘れていた感覚を、少しだけ思い出したかのように滲の瞳は揺らぐ。


「なあなあ、教えてくれよ!ちょっとだけ!ちょっとだけだ!」


 それに気づいていない泉は、まるで夜に輝く太陽のような眼差しで滲を見つめた。

 困り顔の滲は数秒考えて、ふと口元を緩ませた。


「なら、ちょっとだけです。他の人には内緒ですよ」

「わかった!」

「…本当でしょうか?」

「な!?疑ってるな!?絶対言わないから!」


 泉は自分の口元の前で渋い顔で人差し指を立てる。

 その光に照らされたかの如く、滲はいつもの笑顔を取り戻した。


「ふふふ、わかりました。いいでしょう。せっかくなら二人で踊りたいですね」

「おお!いいなあそれ!」

「ですが何を教えましょう。パヴァーヌ?パドドゥ?それともやはりワルツ?」


 ぶつぶつと横文字をつぶやく滲に泉は目を点にする。


「ふん、やはりワルツにしましょうか。程よく難しく、程よく簡単にいたしましょう」

「よし、それで頼む!」


 何も理解できなかった泉は言われるままに元気に頷く。

 すると滲はふと泉の右手を優しく取った。


「ふわっ…!」

「ふふ、では泉さん、僕の右肩に手を置いてください」

「こっ、こうか?」


 まるで飼い犬がお手でもするように泉は滲の肩にビタンと手を置く。


「ふん、まあいいでしょう」

「ええ!?何か違うのか!?」

「いえ、まあおおむね合っているので問題ないです」

「え?いいの、か…って…」


 滲は不意に泉の背に手を回し、優しく泉を抱き寄せる。

 赤面する泉に滲は微笑みを返した。


「ワルツは三拍子、最初の六歩で基礎は完結します」

「ん?うん」

「ふふ。まあ慣れればわかるでしょう。僕が先導します。少しだけ、身をゆだねていただけますか?」


 少しだけ声のトーンを落として滲は問いかける。

 その視線に照れながらも泉はコクコクと頷いた。


「では」


 滲が泉の手を引き一歩目を踏み出す。


 すると輪を描くように二歩目、三歩目が続いていく。優美に、迷いなく踊る滲に支えられながら、泉もゆっくりとだが踊り方を覚えてくる。


 四、五、六歩と足運びが揃いだした泉に滲は驚きながらも声を上げた。


「すごいですね。やはりあなたは体を動かして覚える方が早い」


 婉曲的に頭が弱いと言われていることに泉は気づかず、にこにこと踊れていることに高揚感を覚えている。

 すると滲がくるりと振りを変えてきた。


「はわわっ…!」


 気持ちよく踊っていた泉の体は、高く掲げられた滲の左手によって優雅に回りだす。


「ふふ、上手ですよ。あなたが踊れば、まるで『春の声』が聞こえてきそうです」

「ん?何言ってるんだ?今は秋だぞ?」


 突然のことにも一切体幹のブレない泉に滲はいたずらっ子のように笑いかける。しかし教養のない泉には滲の言葉がとんちんかんにしか聞こえなかった。


「ふふ、そうですね」


 しかし滲は可笑しそうに微笑むだけで教えてはくれなかった。

 けれど泉にはこのゆっくりとした時間が、とてつもなく楽しかった。


「なあ、こんな踊りどこで覚えたんだ?」


 ふと踊りだして数分後、泉は疑問に思ったように口を開いた。

 すると先ほどまで流れるように踊っていた滲の足運びがピタリと止まった。


「知りたい?」


 泉を抱えたまま滲は首を傾げる。それはどこか魅惑的に。


「う、うん…」


 敬語の抜けた滲に泉は少し戸惑った。


「どれくらい?」

「え?」


 覗き込むように滲は泉に顔を近づけ問いかける。妖艶という言葉を泉が知っていれば、間違いなくそれを使ったであろう。まるでどこかに泉を連れ攫ってしまいそうなほど魅力的な声色。つながれたままの手は、夜風に当たって冷たくなったはずなのに、熱を帯びている。


「ちょ、ちょっとくらい?」


 再び顔を赤くした泉は咄嗟に視線をあわあわと逸らす。


 しかし。


「ふふ、ならダメです。教えられません」

「ええ!?」


 教えてくれそうな雰囲気を醸し出していた滲は突如可笑しそうに笑いだした。


「ふふふ」


 だが滲はまた泉に顔を近づけると、からかいと誘惑の狭間のような声でこう言った。


「僕のことを全部知りたいと言ってくれる日が来るまで、このことは教えられません」


 まるで甘い煙のようにつかみどころがなく、それでも心を満たしていく滲の言葉は、あたたかいのにどこか冷たい。

 見つめられるとわかる、どこか辛そうな視線。隠していることを全て吐露してしまいたいという瞳。


 そんな滲に泉は唐突に涙を流した。


「えっ!?どうしたんです泉さん!?」


 心底びっくりしたという顔で滲は飛び上がる。

 ぐすんぐすんと泣き続ける泉は目をこすりこうつぶやいた。


「あのなあ滲、私、お前に、言わなきゃいけないことがあって…」


 ずびずびと鼻をすする泉は力なく滲に左手を見せてきた。


「?」


 何のことかわからず滲が首を傾げると、泉は言葉に詰まりながらもしくしくと話をつづけた。


「あのな、私な、左手の、薬指が、なくって…」


 自分の隠し事に耐えられなくなったのか、白状するように泣いている泉をよそに、滲は泉の五本の指を注視した。


「いえ、ありますよ?」

「ふえ?」


 泉は素っ頓狂な声を上げる。

 何度数えてもあるのはお父さん指、お母さん指…。


 指の一本一本を数えだす泉に滲はふと柔らかく微笑んだ。そして掬うように泉のお姉さん指を取ると、そのまま優しく口づけをした。


「はわっ…!」


 突然のことに泉はうろたえる。しかしそんな泉に滲は大層可笑しそうに笑みを浮かべた。


「これが薬指。覚えていてくださいね?」


 月の裏側を隠すが如き密やかな微笑みに、泉は頭がいっぱいになってコクコクと頷いた。

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