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薄明の空を君と見ながら。  作者: 佐野いさ
二章、二番大隊編
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二番大隊の大隊長

 ハナヤマト帝國魔族討伐部隊演習場。


 泉たち一番大隊は既に演習場を百周しようとしていた。


「よーし、まだもうちょっといけそうだな。今回は五百周にするか!」

「え゛…?!」


 後方から滲の悲鳴が上がる。


「やめときなよ大隊長、さすがにそれは旦那が可哀想」

「そうか?」


 隣を走る宇野中隊長は滲に同情を寄せている。

 体力馬鹿の一番大隊の面々は、百周などでは息すら上がらないが、既に周回遅れをしている滲は汗水をたらし横腹を抑え、今にも倒れそうだった。


「うん、なるほど。じゃあ準備運動はここまで!休憩!」

「「おー!」」


 泉が高らかに合図を送ると、皆は水分補給や柔軟など各々の時間を過ごす。

 滲以外は。


「おーいがんばれ皮肉屋―!」

「水も滴るいい男だよー!」


 まだ百周のノルマを達成していない滲は榎本、大路中隊長に檄を飛ばされながらひた走る。


「大隊長はやらなくていいの?」

「え?」


 宇野中隊長は榎本たちを指さす。


 なるほど。夫を元気づける、それも妻の仕事だろうか。


 泉は大きく息を吸う。そして演習場全てに聞こえる快活な声で言い放った。


「がんばれー滲―!終わったらよしよししてやってもいいぞー!」

「ぶはっ!」


 泉の言葉に発破をかけた宇野中隊長本人が盛大に吹き出す。

 その様子に滲は恥ずかしがっているとも不機嫌ともとれぬ顔で走り出した。


 結果的に滲の足は速くなったのである。


「やった!やはり妻の力とはすごいんだな!」


 新婚ということに浮かれている泉は滲が嫌がっていることに全く気付いていない。むしろガッツポーズをしている。

 そんな泉に榎本、大路中隊長たちは滲にさらなる檄を飛ばす。


「おいおいそんなに頭撫でられたいのかー?いいなーお熱くて!」

「う、るさい…ですね…、ちょっと、黙って…」

「ボクの唇が大隊長の唇に重なるまで十秒前!十、九…」

「は!?ちょっと、やめてくださいそんなことするの!」


 滲は焦りと大声に任せ、大路中隊長のカウントダウンが零になる前に百周を終える。


「ヒューッ…ヒューッ…!」


 肩で息をした滲は強引に大路中隊長を引きはがし、榎本中隊長に押し付ける。


「おいッ!」

「あーれー」


 くるくると華麗に回転して榎本に飛び込んでいく大路は、さながらタンゴでも踊っているかのようだった。


「相手をしてあげようか子猫ちゃん?」

「断る」


 榎本冷たく断られながらも、大路は笑顔を絶やさない。

 さすがは一番大隊一の強メンタルの持ち主だ。

 何を言われてもめげない大路に榎本は苛立っている。


「はいはいまあまあ、今は訓練なんだから仲良くね~」


 感情が一方通行の二人を宇野は何とかなだめる。いつもの光景だ。

 このいつもの光景をつくり出した張本人は息が上がったまま泉に向き直る。


「いいですか、大隊長、職務中はっ…そういうこと、やめてくださいっ」

「ご、ごめん…」


 まさかの説教だったことに泉は戸惑う。良かれと思ってやったことがダメだったらしい。

 滲の説教に泉は縮こまる。これもいつもの光景だ。


 しかしそんないつもの一番大隊のもとへ、いつもじゃない人物が現れる。


「有明さ~んっ!」


 悲鳴に近い男の声が、泉のもとへ降りかかった。


「うん?」


 ガシッ!


 泉が振り返った瞬間、男は泉に勢いよく抱き着いた。


「…ッ!」


 滲は自分の妻が知らぬ男に襲われて身の毛が総毛立つ。


「あんた誰ですッ!うちの泉さんにッ…」

「お~、香山大隊長~」


 焦った滲とは対照的に泉は能天気な笑顔を浮かべている。


「え…」


 状況の呑み込めていない滲はぽかんと口を開けた。


「あれ?滲は初対面か?この人は二番大隊の香山大隊長だ!」


 泉は元気よく自分に抱き着いた男を指さす。


 臆病が息をしているかのような中性的な顔立ち。挙動不審なその態度。その中にはまるで珊瑚の死骸のような存在感を放っていた。


「お初にお目にかかります、香山明乃介と申します。こんな顔で“明”乃介とか笑っちゃいますよね…」


 急に自虐が入った自己紹介に、滲は少々戸惑う。

 このおどおどとした態度はいつも通りなのか、滲の他に誰も何も気にしていない。


「井上滲と申します、どうも…」

「ああいえいえこちらこそっ」


 このそそっかしくも小動物のように震え自分を卑下する態度に滲の毒気は完全にそがれる。


「それで?香山大隊長、今日はどうしたんだ?」

「はっ!そうなんですよ助けてください有明さん~!私今人生最大の危機を迎えてるんです~!」


 涙声の彼は、十数は年下であろう泉に縋りついている。

 滲の顔は引きつった。


「ほわっ!それは大変だな。私で良ければ力になるぞ!」


 人を疑うことを知らない泉は、快く香山の頼みを、内容も聞いていないのに承諾する。

 滲はこれに危機感を覚えた。


「実はですね…」


 香山は不安そうに俯いた。


「近々私見合いすることが決まりまして…」

「おお!よかったじゃないか!」

「それが全然よくないんですよっ!」


 泉の祝福に香山は取り乱したように声を上げる。

 そして言いにくそうに視線を逸らした。


「その見合い相手というのがですね…うちの副隊長なんですよ」


 どこかで聞いたことがあるような組み合わせに滲は固まる。

 香山の視線の先には人形のように整った横顔の、金髪碧眼の西洋美人が佇んでいた。


「おおっ!キュリー副隊長か!それはいいことじゃないか!」

「全然いいことないですよっ!前世でどんな徳積んだら隊一の美女と見合いできるんですかっ!既に我が

 隊の男性陣の視線が痛いんですよ~っ!」


 どうやらこの男は、自分に降りかかった大きな幸運を受け止めきれないらしい。


「大丈夫だろ~香山大隊長なら~」

「私だから大丈夫じゃないんですよっ!だから貴女にこうして助けを求めに来たんじゃないですか~!」

「ん?というと?」


 泉は心底わからないと顔を上げる。


「貴女、最近ご結婚されたのでしょう?だからそのお知恵を貸していただきとうございまして…」

「「…」」


 完全に人選ミスだと思っている滲とは裏腹に、その滲を泉はばっと指さす。


「それなら滲の方が適任だぞ」

「え?貴方もご結婚されているのですか?」

「旦那」

「…え?」


 旧姓で仕事をしている滲は、本名は有明でも井上と名乗っている。

 そこで香山はようやく自分の過ちに気が付いた。


「も、も、も、申し訳ございませんっ!まさかあなたが旦那様とは露知らず…!」


 殺気立った滲に香山は青い顔をして泉から即座に後方に飛び離れる。

 こういう動きは大隊長としての実力を感じさせる。よく訓練された動きだ。


 その時。


「香山大隊長」


 凛とした声が滲たちのもとへ響いた。

 背筋の伸びた金色の髪、空を写したような碧の瞳がそこにはあった。


「訓練のお時間です。号令を」


 それは渦中の美女、エイミー・キュリー副隊長のものだった。

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