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二時限目。現代文。
教室の空気は、いつもより妙に張り詰めていた。
俺は汗をかいていた。いや、かいているというより、流れていた。背中、首筋、額。制服のシャツが肌に張りついて、気持ち悪い。
原因は明白だ。教室の後ろ——そこに、いる。
桜川詩織。俺の義姉。文学美女。ミステリー小説のヒロイン像を絵に描いた人だ。古本屋にいそう。
そんな彼女が、今日から実習生としてこの教室にいる。
教室の後ろで静かに立っているだけなのに、空気が重い。いや、違う。冷たいっていうんだ。
俺は内心、叫ぶ。
(授業参観日ですか!?)
聞いてないよ!
教室の後ろに立つ詩織姉さんは、まるで俺の人生を観察しに来た監視者。 しかも、目が合った。
その瞬間——
満面の笑み。
……怖い。怖いって。怖すぎるよ。
笑ってるのに、なにあの顔。
口角が完璧な角度で上がっている。目は細くなっている。だが、そこに温度がない。笑顔の仮面をかぶった冷笑の女神だよ。背筋が凍る。心臓が跳ねる。呼吸が浅くなる。
(え……なんで笑ってるの……? 俺、なんかした……?)
昨日の「妹幻想夢ラブファンタスティック、俺の妹はユリユリしい」のOVAでも見られてたのか?
いや、まさか。そんなはずは——
詩織姉さんは、微動だにせず、笑顔のまま俺を見ている。まるでこう言っているようだった。
「身内だとしゃっべったら、コロス」
震えた。
貧乏ゆすりでペンが落ちる。
現代文の教科書が、まるで辞世の句に見えた。
「大丈夫? 和希」
俺は、隣の席でノートを開いたまま、まったく手を動かしていない。視線は宙を泳ぎ、口元はわずかに引きつっている。いつもなら、退屈そうにペンを回しているのに、今日はそれすらない。
「ねぇ……」
ちらりと横目で声をかけてくる後ろ席の女。ポニーテールが肩に落ちている彼女は、ペンで背中を叩いてきた。
「……和希」
声は、ほんの囁き。教師の声に紛れるように、長谷川未来はそっと言葉を落とす。
「大丈夫?」
俺は、ゆっくりと顔を向ける。目の焦点が合っていない。何かを考えているというより、何も考えられていないような、そんな顔。
未来は眉をひそめる。
「……なんか、顔色悪いよ」
ようやく小さく息を吐いた。未来の言葉が、少しだけ彼を現実に引き戻したようだった。幼馴染みの安心感というやつだろう。
「……ああ、ごめん。ちょっと、考え事してただけ」
「考え事って、そんな顔になる?」
彼女は、冗談めかして言いながらも、目は真剣だった。その声には、いつもの軽さと、ほんの少しの不安が混じっている。
「……保健室いく?」
その言葉に、和希は少しだけ笑った。未来の聞かないけどは、いつも優しさの裏返しだ。
教室の空気は変わらないまま、二人の間だけ、少しだけ温度が上がるとおもいきや。
「私語厳禁」
詩織義姉のプレッシャー。重圧が凄い。恐る恐る彼女を見ると、メモを渡させる。
放課後、路地裏ノ公園デマツ。
ひっぃやぁぁぁぁぉ!