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一時限目終了のチャイムが鳴ると同時に、俺は職員室のドアをそっと開けた。
蛍光灯の冷たい光の下、書類の山をかき分けるように歩みを進める。胸ポケットから取り出した遅刻届は、まるで高級腕時計のように鈍く光っていた。
「遅刻届、提出します」
その声が空気を裂く。振り向いた教師たちの視線を一身に浴びながら、スローモーションで差し出した紙を、彼女は無言で受け取る。
「で……遅刻した理由はなんだ?」
黒いパンツに白シャツ、社会人然とした担任の小林紅葉は、トントンと机を叩く。デスクの隅には、シャンデリアきらめく結婚式場の写真がそっと立てかけられていた。
「書いてあるでしょ? 夢を見ていました」
鼻で笑われる。と思った瞬間、俺の腹が鉛のように疼いた。
「私は現実主義者なんだよ」
涼しい顔のまま、ストレートの拳が腹を直撃した。
(そんな現実主義者だから、婚期を逃すんだろ……)
写真の中の純白のアーチが、遠い祝祭に思える。
「現実を見ているからこその選択肢だ」
さらに一発。現実は、夢よりも強く俺を叩きのめす。
「女性に対してのマナーもないようだな」
「主語に女性をつければ、暴力が許されると思っているのか……!」
怒りを呑み込み、視線を落とす。職員室の静寂が、いっそう重く感じられた。
「君は顔に出やすいな」
腕を前に組むと、女教師の胸が強調される。
だが、年上には興味がない。
「それだといつかトラブルに巻き込まれるぞ。前田、いや桜川か」
「すでに巻き込まれてますよ」
小声でぼやくと小林先生は、肩をすくめる。
「あーそれと、これ」
「ん?」
「新しい学生証だ。名字が変わっている」
頬がひきつってますね。もしかして、ヤキモチ?
「ありがとうございます」
学生証を受けとると、先生はしっしと手を扇ぐ。
「早く行け。二時限目が始まるぞ」
「うっす」と俺は軽く会釈をして、職員室を後にした。
「あ……今日から実習生がくること言い忘れてた」
小林は頭をかきながら和希の背中を見送るのだった。