10
夜風で髪がなびく。
パンプスのヒールがアスファルトを叩く。
カツ、カツ、カツ。
夜の街に響くその音が、やけに耳につく。
裾は泥にまみれ、走るたびに足に絡みついてくる。
その人は、息を荒げながら、路地を駆け抜けていた。
どうしてこんなことに——と。
「おやおや、お転婆なお姫様だねぇ」
背後から聞こえる声は、妙に楽しげだった。
「鬼ごっこはおしまいだよー」
だがその笑い声は、次の瞬間、甲高く、狂気じみた音へと変貌する。
「ひっ……!」
耳を塞ぎたくなるようなその声に、和希の心臓は跳ね上がった。肩をがしりと掴まれ、無理やり振り向かされる。
目の前にいたのは──同じく、男だった。
驚愕に目を見開いたのは、相手のほう。
「お前……男か……?」
はい。男です。無言で見つめ合う二人。
一瞬、空気が止まる。だがそれも束の間、男の表情が崩れた。驚きから、混乱へ──そして、怒りへと。
「クソッ、ふざけやがって……っ! 話と違うじゃねぇか!」
意味がわからない。だが、直感が告げている。
この男はただの変質者じゃない。もっと、深い闇がある。和希は右足を引く──その反動を利用し、膝蹴りを叩き込んだ。
油断していた男がのけぞる。その隙を逃さず、和希はスカートの裾を引きちぎった。
露わになった太ももから、伸縮式の警備用警棒を引き抜く。
「このクソ野郎ォ!」
警棒が、風を切る音とともに振るわれる。
男の腕をかすめ、袖が裂ける。
「なめてんじゃねぇぞ! クゾガキャ!」
男も体勢を立て直し、懐からナイフを抜く。
細身の刃が月光を反射し、白く光る。
ものほんじゃねぇか!? バイトでやることじゃねぇよ!
作戦通りここまで連れてきたのにあいつらなにやってんだよ!
「オラッァ」
「っぶねなー!」
深く踏み込み、低い姿勢から下段払い。
男が跳ぶ。すかさず反転して背後を取る──だが、そこで。
「──っ!」
足元を滑らせ、体が傾ぐ。
雨水で濡れたマンホール。その存在を、完全に見落としていた。視界がぐらつき、身体が地面に倒れ込もうとする——。
(……やべっ!?)
ナイフをそのまま突きだし、走ってくる男。
だが、次の瞬間。
「カズくん!」
ペイントボールが男の顔面に直撃する。
「なにしやがる!?」
「……ったく。予定の場所と間反対に行くなんて、つくつぐバカだな」
聞きなれた罵声。
そして、闇を裂くように、五つの影が路地へと飛び込んできた。
「うちの弟に手ぇ出すんじゃないわよ、変態」
「変態が二人いる」
「てか和希、女装意外と似合ってるね」
「いやいや、センスないでしょ?」
「変態まとめて逮捕ね」
俺は、苦笑しながら声を腹の底から出す。
「アンタらがやれっていったんだろうが!!」