それが僕らの幸せの形
お腹いっぱいになると、歓談する者、はしゃいで遊ぶ者、それを優しい顔で見守る者——おのおのが思い思いの時を過ごし始める。
そうこうするうちに陽が傾き、やがてパーティーはお開きとなり、夜は更けていく。
ミントたちはもちろん、スイやカレンも寝室へ行った後。
ヴィオレとセーラリンデは、家のリビングでワインを片手に静かな時を過ごしていた。
「この家は、珍しいものばかりね」
ここへ一泊することになったセーラリンデは、感嘆したように言う。
夜でも煌々と、部屋を隅々まで照らす明かり。
見たことのない材質と意匠の壁、床、天井、間取り。
一定の低温を保ち続けて食物の腐敗を防ぐ、魔導を用いない保管庫。
火も使わずに料理を煮炊きできる調理台。
浴室の、温かいお湯が雨のように降り注ぐ設備。石鹸とはまるで違う、髪や肌が美しくなる洗剤。
数えあげればきりがなく、どれをとっても王国——いや、この世界の文明の遥か未来を行っている。
腰掛けたソファーの座り心地すら、王室で使う最高級のものに比肩するのではないか。
「カズテルが頑なに人を入れなかった理由がようやくわかりました。この家にある技術と知識は、一歩間違えただけで世界を滅ぼし得る」
「転移地点が『虚の森』の深奥部になったのは、幸運だったのかもしれないわ。スイくんに余計な苦労を背負わせずに済むもの」
ヴィオレは肩をすくめた。
そうしてワインをひと口飲んでからセーラリンデに目を合わせ、
「……いい子たちだったでしょう? 私の家族」
自慢げに——笑う。
セーラリンデは目を閉じて深く息を吐き、応える。
「ええ、本当に」
そうでしょう、と頷くヴィオレの顔は自信に満ちていて、それはセーラリンデの知る、今までの姪とは明らかに違っていた。
張り詰めた気配もなく、ゆったりと構えていて、母親として泰然に満ちている。そうあろうとしているのではなく、ただそうあるような。
だからセーラリンデは、問う。
「ヴィオレ、あなたがあの子たちに、昔のことを話そうと思ったきっかけはなに?」
「いろんなものが少しずつ積み重なった結果よ」
ヴィオレは視線を遠くに馳せる。
「スイくんがこっちに戻ってきて、いろんな人と交流するようになって。大人になったな、と思ったのがひとつ」
息子を想い、
「スイくんと再会できたカレンがようやく、年相応の顔を見せてくれるようになったのがひとつ」
義娘に安堵し、
「ショコラが立派に成長してて、私も負けていられないなと思ったのがひとつ」
愛犬に感嘆し、そして——。
「……ドラゴンの集落でね、ラミアたちが変異種を弔ったの。ただの敵……理性もなく、集落を危険に晒し、自分たちの身を脅かした魔物の命を厳粛に送る儀式だった。その時のスイくんの顔を見て——そういえばあの人も、魔獣を殺した時に同じような顔をしていたなって思った」
自分自身の心に、深く言葉を巡らせる。
「家に帰ってすぐ、ミントが生まれたわ。この家の魔力を糧に育ったアルラウネ。あの人の遺髪からも、魔力をもらってた。私たちみんなの娘、小さくて可愛らしい、新しい命。それで……たぶん私は、考えたのよ」
ワイングラスをテーブルに置いて、自分の掌をじっと見ながら。
ヴィオレは、語る。
「生きること、死ぬこと。弔うこと、祝うこと。生かすこと、殺すこと。そして、私自身と、愛しい家族たち」
言葉は漠然としていても、胸に抱く気持ちは確かで。
言葉にできなくても、はっきりとした形があって。
「私たちはひとりじゃない。悲しみを分かち合って、幸せを共有して、生きている、生きていたい。いつか死ぬその時まで……いいえ、たとえ誰かが死んだとしても、遺された人が想いを胸に宿しながら、笑って生きていきたい。そして死ぬ時は……幸せだったと笑いながら、想いをみんなに託したい」
その気持ち、その形を、きっと家族たちも同じように抱いている。持っている。
そう確信したからこそ——。
「だから、話したの。みんなに、私のことを。私が母親になるために、あの子たちの本当の意味での家族になるために。……笑って生きて、笑って死ねるように」
「……そう」
ややあって。
セーラリンデはヴィオレに身を寄せると、その頭を撫でる。
「私には、できませんでした。ミュカレの家族たちを、夫と息子を——笑って見送ることも、その想いを受け継いで先へ進むことも、できなかった。カズテルとあなたたちがそうしたようにはいかなかったわ。……簡単なことではないもの。とても困難で、容易ではない、綺麗事だわ」
けれど彼女の瞳にたたえられた光は悔恨でも羨望でもない。
安堵、だった。
「でも、だからこそ、なのですね。綺麗事だとわかっていて、それでも成し遂げようとする。家族がともにあるのならきっとできると、そう信じて日々を生きる。終わりがいつきても笑っていられるように、毎日を過ごす」
——ああ、それはきっと、途方もない。
それでいてありふれた、願いなのでしょう。
「……できるわ。あなたたちならきっと」
セーラリンデはヴィオレの髪に接吻をすると、穏やかな笑みを向けた。
立派に成長した姪っ子は、今や自分よりも歳上に見える。
昔の、手負いの獣みたいな気配をまとった少女は、もうどこにもいない。
※※※
母さんとおばあさま——ふたりの会話をドア越しに、僕は静かにその場を離れる。
喉の渇きは、今くらいは我慢しよう。階段を降りてきた足音にも気付かなかったほど、大切なことを話していたのだ。僕のせいでそれを中断させたくはない。
「あおおおぉーーーーーーーん……」
ショコラの遠吠えが、家の外、裏手から響いてくる。
いつの頃からかあいつは夜、ああして吠えるようになった。きっと家の周囲に魔物を寄せ付けないため——家族を外敵から守るためにしているのだろう。
母さんが言うように、僕らはひとりじゃない。
森の中でもにぎやかに、楽しく暮らせている。
おばあさまは明日、シデラに帰ってしまうけど——離れて暮らす家族にも、このにぎやかさが夜の静寂に乗って届き、分かち合えますように。
第三章『森の中からにぎやかに』でした。
自然の中で行われる生存競争と、生命の在り方。
それを強く意識したスイと、ミントの誕生。
ヴィオレは自分の過去と向き合い、家族たちは想いを新たにする——そんなお話でした。
次回からは第四章です。
『幼い思い出と銀の腕輪』と題してお送りします。
新キャラも出たりにぎやかだったりのんびり暮らしたりもしつつ、とある人物にスポットを当てて……。