リフレイン - セーラリンデ:激情に赤く、酷薄に青く
「弟夫婦の非道を知ったのは、実家が焼けた後。あの子が魔導に目覚め、出奔してからだったわ。そうね……あなたの面倒を見ていた時期と前後するかしら」
冒険者ギルドの支部長室にて。
セーラリンデ=ミュカレは、クリシェ=ベリングリィにそう語った。
※※※
とはいえ違和感は、四十年前からあったのだ。
弟のウォルフに娘が生まれた時、セーラリンデは無論、寿ぎに実家を訪れた。ヴィオレという名を付けたと聞き、立派に育つようにと祝福の接吻を送った。
だがその後、娘がどんなふうに育っているとかどんな属性を持っているとか、そういった話を一切聞かない。それどころか数年経って後、俄かに両親——先代からの接触が増えた。いわく、第二子を身籠る予定はないのか、と。
どうしてそんなことを尋くのかと問うても腑に落ちる答えは返ってこない。ただ『兄弟が必要だろう』だの『後継がひとりでは不安だ』だの、抽象的なものばかり。あまりにしつこくて辟易したため、実家と疎遠になった。
思えばこの時に、もう少し向き合っていれば。
心の片隅に抱いた違和感から目を背けていなければ——。
自分がどうにかできたのではないかと、後悔とともに思う。
だが行動を起こす前に、セーラリンデを悲劇が襲う。
夫と息子を相次いで亡くしたのである。
夫は不慮の事故で、息子は病だった。
あまりに理不尽な不幸にセーラリンデは打ちひしがれ、その後、数年間を塞ぎ込んで過ごすことになる。どうやって生きていたかの記憶すら定かでない時期だ。実家のこと、ましてや姪っ子のことなどに思いを巡らせる余裕はなかった。
立ち直るのに五年近くを費やし、ようやく前を向けるようになり、だが夫の面影が残る王宮からは足が遠のいた。王立魔導院を休職したまま、環境を変えてみようと冒険者稼業に首を突っ込み、成り行きで、当時は駆け出しだったクリシェの面倒を見始め——彼が独り立ちした頃、その事件は起きたのだった。
王都にあるミュカレ侯爵の邸宅が全焼したという。
そしてそれをやった姪っ子が出奔したという。
慌てて駆けつけた。
そこでセーラリンデはようやく、生家に起きていたことの顛末を知る。
「出来損ないのくせになんてことを」——己の娘をそう評して頭を抱える弟の顔は、昔から知っていたものとは違っていて。
「なんであんなのが生まれてきたの?」——腹を痛めた我が子に、決して口にしてはいけない言葉を繰り返す義妹もまた、まるで化け物のようで。
「だから言ったのだ! お前が子をもっと産んでいれば!」——領地から出てきた両親の科白が、セーラリンデに彼らのことを諦めさせた。
なぜあの時、執拗に第二子を急かしたのか。
魔力相剋を起こした失敗作を内々に葬り、セーラリンデの子を後継にしようとしたのだ。
そして今、セーラリンデが夫と子の両方を喪ったことを知っていてなお、そんな無体を口にする——口にできる。
あれらは道を違えている。
栄華の維持に、血を繋ぐ妄執に囚われ、大切なものを見失っている。
だからセーラリンデは静かにその場を去った。
せめて時を置こうと思った。落ち着けば冷静になり、昔の家族に戻ってくれるかもしれないからと。
それに、失踪した姪っ子を探さなければならない。
魔力相剋により魔術を使えなかったという。
判明して以来、屋敷ではまともな扱いをされていなかったという。
それがなにを切っ掛けにしたのかはわからないが、屋敷を全焼させるほどの強い魔導に目覚め、姿を消した——たった十二歳の幼い娘がひとりきり。一刻も早く保護しなければ、と。
だが、セーラリンデが捜索を始めてからほどなくして。
王都から遠く離れた南方、獣人領との国境に近い辺境から、ひとりの冒険者の噂が聞こえてくる。
少女の外見をした傍若無人な悪魔。
火の狂乱と氷の酷薄を同居させる暴虐の化身。
炎と氷の魔導を同時に操る、魔導の鬼才——。
ヴィオレ=ミュカレという名とともに。
※※※
「あの子を探しだし、無事を確認できたところまでは良かったわ。ただ……あの子の抱える歪みを、心の奥で燃え盛る怒りを、私はどうすることもできなかった」
※※※
侯爵家の屋敷が全焼した時、真っ先に問うたのは被害者の数だった。だが軽い火傷を負った者はいるが死人はない、と聞き、セーラリンデは幸運に胸を撫で下ろしたことを覚えている。人死にが出なくて良かった。姪っ子が罪を負わなくて良かった、と。
とんだ見当違いをしていたことに気付いたのは、数年の後。
姪っ子——ヴィオレが国内有数の魔導士として、セーラリンデをもゆうに超えるその才覚を現し始めてからだ。
死者が出ていないのは、偶然などではなかった。
彼女はあの時、わざと誰も殺さなかった。
炎を巧みに制御し、外に逃げる暇を与え、避難のための道さえも作ったようだ。なぜそんなことをしたのか? 慈悲などではない。
『ヴィオレ=ミュカレ』を名乗る在野の冒険者が、国内においても指折りの魔導を持つということが知れ渡るに従い、ミュカレ侯爵家の醜聞もまた広まっていく。
魔力相剋を抱えた哀れな娘を蔑み、まともな人として育てなかった。
二属性の同時行使という類稀な魔導の才を発見できず、無為に潰そうとした。
千年にひとりの逸材をみすみす野に放った。
宝の山がそこにあるのに気付きもせず、ゴミと間違えて捨ててしまった愚か者——見下げ果てるほど地に落ちた、魔導の名門。
当事者たる両親と祖父母だけではなく、彼女を粗雑に扱った使用人たちも同様に、後ろ指を差されることとなった。
侯爵家ともなれば、屋敷で働く者たちはみな中級貴族以上の出の者で固められる。だが当然のこと、家格は侯爵よりも下。彼ら彼女らは、上位貴族の令嬢に無体を働いた者たちとして、貴族社会に悪評を広めてしまった。
個々の顛末をセーラリンデは知らないし知ろうとも思わなかったが、きっとどれもこれもろくなものではないだろう。
つまるところ姪っ子は、殺さなかったことで復讐を果たしたのだ。
それはひと思いに止めを刺すよりも遥かに苛烈な激情ではないか。
過酷な環境のせいで屈折した、心の顕れではないか。
故に——行動を共にしながら、セーラリンデはできる限りのことを彼女に教えた。
生きるのに必要な知識、足りなかった知恵を授けた。歯抜けのようにちぐはぐだった倫理観を正した。効率的な魔力の使い方、戦い方、そして社会への接し方を学ばせた。
なにより——あなたには味方がいるのだと、あなたはひとりではないのだと。
それを理解してもらおうと、苦心を重ね尽くした。
だけど、それでも。
姪の心の奥、根幹にある、歪に燻る炎には触れられずにいた。
その炎を包む、凍て付いた壁すらも溶かせずにいた。
今になって思う。
自分にはどうしたって無理だったのだ、と。
何故ならセーラリンデは既に、己の最愛を持っていた。
亡き夫と息子——彼らに対して捧げた思いを他所に使い回すことなどできない。己の心を燃やすための薪を、他に焚べることはできない。
必要なのは、全身全霊だ。
彼女の氷を溶かすため、ともに凍えても笑っていられるほどの。
彼女の炎を鎮めるため、ともに燃えても抱いていられるほどの。
彼女のことを誰よりも大切だと愛し、彼女から誰よりも大切だと愛されるほどの、そんな——。
セーラリンデが姪と再会し、その扱いに苦慮し始めてから四年。彼女が十八歳の時。
王都の南方にあるネルテップという街のはずれで、境界融蝕現象が起きる。
記録としてはおよそ七十年ぶりの珍事であり、扱いの如何によって王国の将来が発展と滅亡、どちらに転ぶともわからない諸刃の剣だ。セーラリンデは国の依頼を受け、姪を伴って調査に赴くこととなる。
そして——。
そこにあったのはまったく見たことのない建築様式の家であり、そこに住んでいたのは朴訥とした、しかし強大な魔力と茶色がかった黒瞳を持った、異世界の少年だった。