竜もこれにはびっくりです
「血妖花とはなあ。儂も久方ぶりに見たぞ」
飛んできてくれたジ・リズは、庭でショコラたちと遊ぶミントの姿に大きな感嘆を見せた。
まだ午前の早い時間である。
ミントが生まれて、脚が生えて、辿々しいながら言葉を操り、おまけに父さんのお墓を花で埋めるに至り——『天鈴の魔女』たる母さんですら、自分の知識ではもう理解が及ばないと匙を投げた。
ここはもう長く生きている竜族に頼るしかない。そもそもジ・リズがあの解体場に血を注いだのがことの始まりなのだ(たぶん)。彼には説明の義務がある。知っていることを話しなさい。
……というわけで、朝イチで本当に申し訳ないんだけど、家まで来てもらったという訳である。
「そもそも、アルラウネとはなんなの? 私たち人間にはろくな情報がない。持っているのは伝承じみた、真偽の定かでないことばかりなのよ」
問う母さんは不安げだった。
当然だろう。ミントは可愛くて、賢くて、家族みんなの魔力を受け継いだ子で——だけどだからこそ、あの子の持つ能力の異常さ、その正体を知る必要がある。
たぶん母さんは、僕やカレンが目を背けているつらい未来、最悪の可能性のことを考えてくれているはずだ。意気地なしの僕らの代わりに、それが親の役目だと我慢して。
ジ・リズはそんな母さんの心情を察しているのか、まず結論を言ってくれた。
「心配はいらん、天鈴殿。アルラウネは善きものだ。特にあの子が、ぬしらに害をなすことはあり得ん」
「……そう」
と。
母さんは深く息を吐く。
「よかったわ」
その言葉には万感が込められていた。
ジ・リズは、うむ、と頷いてから、説明を再開する。
「まずは人喰草の話をするか。天鈴殿……いや、人が知るように、あれの生育条件は単純だ。生物の血肉を苗床に生えた妖草が、土地の魔力を取り込むことで変質する。ただ、そこでひとつ誤解があるようなのだよ。あれは人の上半身と草木の下半身を持つと思われてるようだが……実際は、必ずしも人とは限らん。あれは取り込んだ魔力を基に姿を真似るだけで、元来、定まった貌を持たんのだ」
「……人でない姿をしたマンドレイクもいる、ってこと?」
「然り。ただ、そもそもの発生条件を考えてみろ。『血肉が多く埋まった場所』とはどういうものだ? たとえば互いを相食むが摂理の山野において、血肉が溢れることなどそうそうない。獣が食い虫が食い骨となり朽ちてゆくのが常よ。……では、それが間に合わぬほど大量の血肉が地に満ちるのはいかなる時か?」
なるほど、そういうことか。
「戦争が起きたり、僕らみたいに獲物の内臓や血を一箇所に捨てたり……つまり、マンドレイクが生まれるような環境においては、人が関わっていることが多い」
だからこそ妖草は、土地とともに人の魔力を吸う。
そして人の魔力を吸ったからこそ、人の姿を取る——。
ジ・リズは頷きをひとつ返すと、ミントを一瞥しながら続けた。
「で、だ。実のところ、血妖花と人喰草、この両者に魔物としての違いはない。発生条件はなんら変わらんからな。違いは環境——苗床となった血肉、そして吸った魔力だ」
「ジ・リズの血。それから、土地……この家、僕らの魔力」
「まあ、儂もこの結果を予想していた訳じゃねえがなあ。あの時はまさか妖草の種子が土にあるとは思わんかったし、アルラウネが生まれるなんてのは予想の片隅にもなかったわ」
竜族の直感。
見た時はいきなりなにやってんのと大いに驚いた——というか正直ドン引きしたけど、もしあれがなかったら今頃、ミントはこんなふうに生まれていなかったのかもしれない。母さんが懸念していた最悪の結果になっていたのかもしれない。
なにせこの土地は、魔力の異常に濃い異世界から来たものなのだ。
家屋だけじゃなく、庭とその周囲の土壌も地球産であり、たぶんこっちの世界とは比べ物にならないほどの魔力を蓄えている——父さんの遺髪も、残存魔力だけで驚異的だったんだろう。
「あの子は、凄まじいレベルの土属性魔術を行使したわ。幾ら植物の身体とはいえ、魔導で脚を作ったのよ。今もああして根を持たずに走り回っている。おまけに……あの人のお墓の周りに、あんな花畑を作ってくれた」
石碑の周辺に咲く、色とりどりの花たち。
その光景に胸が熱くなる。ミントが父さんのことを——ひいては家族のことをどう思ってくれているのかが伝わってくる気がする。
ジ・リズは目を細めて言った。
「それだけこの土地の魔力がえげつないってことだろ。儂は確かにアルラウネを見たことが何度かあるが、あれほどのものは初めてだ。こんな奇跡的なもんに出くわすなんて、おそらく儂にとっても最初で最後だろうよ」
「でも、魔力量だけがアルラウネの生まれる条件ではないのでしょう? あなたの血が明暗を分けた、というのも少し違う気がする。少なくとも、あの子がマンドレイクではなくアルラウネとして生まれた理由ではない」
母さんの推察に、頷くジ・リズ。
「マンドレイクは人を襲う。人に擬態し、人を喰う。……だが一方、同じ発生過程を経て生まれるはずのアルラウネは『人に擬態する』こと以外はすべて逆なのだ。人を愛し、人とともに生きようとする。その擬態も欺くためではなく、愛されるために使う」
マンドレイクもアルラウネも、方向性が逆なだけで、生物としての生存戦略に従っているだけなのかもしれない。
食うために騙すか、庇護してもらうために愛するか。騙すために人の姿を真似るか、愛されるために可愛らしい姿を取るか。
生きるために、持って生まれた力を使うという意味では。
ただ僕は、ミントのことをそんなふうに考えたくなかった。
だってあの子は——いやそもそも、アルラウネという魔物は……。
「珍しいのって、そういうことか」
「気付いたか、スイ。お前の推察どおりだ」
ジ・リズはにやりと口角を歪めた。
「アルラウネが発生する条件は至極単純だ。血肉を糧に芽吹く妖草へ、善き魔力を吸わせればいい。ただそれだけなのよ。儂の血などは、その手助けをしただけに過ぎん」
「……だけど、それは矛盾してるわ。本来ならあり得ないことよ」
「まさによ。血肉がばら撒かれ打ち捨てられるような地には、普通、悪しき魔力の持ち主がいる。ましてや腐った血肉の混じる土ではどうしても魔力が澱み、穢れる。条件が揃うことなどほとんどなかろうよ。だがぬしらは、その条件を満たしたのだ。殺して食う人の暮らしと、互いを想い合う善良さで。……とはいえ儂がちっとばかり手を貸したことは、うむ。恩に感じてくれてもよいぞ?」
「いや感謝してるよ、本当に。……お土産にでかい肉を渡すからさ」
「いいのか? 悪いなあ」
呵呵と笑うジ・リズ。長命種のくせにちゃっかりしてる。
「儂がアルラウネを前に見たのは、二百年ばかり前だったか……当時住んでいた山の近くに隠遁していた世捨て人が、偶然に生やしたんだっけな」
「それは発見例がないはずだね。まずは人里離れてないと、魔力に悪意が混じりそうだ」
「うむ、悪意が混じれば人喰いのマンドレイクとなる」
その世捨て人は、アルラウネと楽しく暮らしたのだろうか。
そうだといいな、と思う。
「すい! みてー!」
ミントがぶんぶんとこちらに手を振ってくる。
「たかい! たかい!」
ポチの背中にまたがってきゃっきゃとはしゃいでいた。
「高いねー! ……大丈夫? ちゃんと降りられる?」
「おりる!」
ぴょん、と無造作に地面へダイブするミント。
「わうっ!」
それをふわりと受け止めるのはショコラの背中だ。ダイブに合わせて跳躍し、上手いこと勢いを殺して一緒にすたっと着地する。
「いや今のすごくない……?」
「しょこら、もっかい! もういっかい!」
「わう!」
再びポチへよじのぼろうとするミントを鼻先で押し上げながら、ショコラはぶんぶんと尻尾を振っていた。一同をすぐそばで見守っていたカレンが、こっちの視線に、ぐっ、と親指を立ててくる。……どうやら今のアクロバティックなやりとり、風の魔術でこっそりサポートしていたらしい。
「見ての通りだ、天鈴殿。親としての気勢と心痛はよくわかるが、安心するといい」
ジ・リズが母さんに笑いかける。
彼も家族を持つ身だ。きっと通じるもの、感じ入るものがあったのだろう。
母さんが慎重を期していたことに。万が一を恐れ、だけどそれに備えなければならないと肩に力を入れていたことに。
「もう一度言うが、あれは善きものだ。そして、ぬしらが善きものだからこそ生まれた、得難い家族だ。大事にしてやるといい……カズテル殿も、きっとそう言うさ」
「あんたにあの人の言葉を代弁されるのは釈然としないけど……まあ、その通りね」
母さんは僕に聞こえないようにひっそりと、憎まれ口を叩く。
なので僕は聞こえないふりをして——これ以上、聞こえないふりをしなくていいように——ミントたちの方へ走っていく。
父さん、さすがにこれは予知できてなかったでしょ?
あなたの子供が、ひとり増えたよ。