爽やかな香りとともに
名前は『ミント』にした。
考えたのはカレンだ。
その鮮やかな緑色の髪と、植物の魔物ということ。そしてどこか涼しげな面立ちを見て思い浮かんだそうだ。
いい名前だとみんなが思い、満場一致で決まった。
そして現在。
夜が明けて朝が来て、陽光に照らされたミントを前にして——。
我が家の女性陣が、暴走を始めていた。
「なんて……愛らしいのかしら……」
「きゃ、きゃわ、わわ……いい……」
にぱあ、と笑い佇むミントに、母さんとカレンは正気を失った。もしこれが悪い魔物だったらまんまと捕食されていたかもしれないと頭を抱えるほどに。
いや、確かに可愛いよ? あどけなくて、素直そうで、おまけに華やいでいて(花だし)。でもまさかふたりがこんなふうになるなんて思いもしなかった……。
「ミント、いい? 私があなたのお母さんよ」
「ヴィオレさまずるい。私がお母さんなのに」
「あなたにはまだ早いわカレン、お姉ちゃんの位置で我慢しなさい」
「それはだめ。だってこの子は私とスイの魔力を受け継いでる。実質、私とスイの子供。だから私がお母さん」
「あら、それを言うならお父さんとお母さんの魔力も受け継いでるのよ。だったらお父さんとお母さんがお父さんとお母さんじゃない?」
お父さんとお母さんがゲシュタルト崩壊しそうである。
僕は完全にたじたじとなり、ショコラとポチの元へと一時退避する。
「トモエさんの時も思ったけど、この世界に魅了スキルとかないよね……?」
「わう?」
「ショコラとポチはどう? ミントと仲良くやれそう?」
「わうっ!」
「きゅるるるっ!」
どうやら大丈夫そうだ。というか割と冷静だった。
お前たちはかしこいね。見習ってほしいよね。
「ほら、見てみなさいカレン。ここの目元なんてお母さんにそっくりで……」
「スイの子供でもあるんだからヴィオレさまに似てるのは当たり前。それより口元は私にそっくり。やっぱり私の子供」
「もう、あなたは名付け親なのだからいいじゃない。ここはお母さんに任せなさい」
「論理的に考えたら、名付け親の私が親になるべき」
「だ! あー! きゃっきゃっ」
譲らないふたりの様子がツボに入ったのか、はしゃぎ始めるミント。
なんにせよ、これ以上はさすがに止めないといけない。
「ふたりともストップ。この子はうちの子、みんなの子。それでいいでしょ?」
「そ、そうね……スイくんがそう言うなら。ごめんなさいカレン、なんだか熱くなっちゃった」
「ん、私もごめんなさい。冷静じゃなかった」
割って入った僕の言葉にふたりはしゅんとして、お互いに謝り合う。……お前は黙ってろ、とか言われなくて本当によかった。
母さんもカレンも根っこのところは素直なんだよね。
まあ、胸が震えたのは僕も同じだった。それはなにも容姿だけが理由じゃない。
家族みんなの魔力を受け継いでいること——庭で眠っている父さんの魔力さえも、この子の中にあるのだから。
母さんが魔導士の顔をして、ミントの目を覗き込みながら言う。
「……土属性ね。それも、かなり強いわ」
それは実った稲穂にも似た、金色に限りなく近い黄土色の魔眼。
「みんなの魔力を受け継いでるのに、属性は違うの?」
「そうね。親子でも、属性が遺伝する時もあればしない時もあるわ。たとえるなら、パレットで乱雑に混ぜた絵の具の一部分を拾うようなものよ」
「混ざってない部分を拾うこともあるし、濃い薄いもある、ってことか」
その通り、と。母さんは頷いた。
「もともと、植物系の魔物は土属性を持っていることが多いわ。だからミントの属性は順当といえば順当ね。ただ、単一属性であっても揺らぎはあるの。炎との親和性がある風属性とか、闇の傾向を持つ水属性とか。この子の土属性は……たぶん、私たちの持つ属性が全部、ほんの少しずつ混じっているわね」
「それって、どうなの? 混じっているとなにか変化があるの?」
「本来なら『ちょっとした偏り』程度の話になるんだけど……この子、かなり強い魔力を持っているから、もしかしたら凄いことになるかもしれないわ」
「ミントはすごい。えらいえらい」
「うー!」
カレンがよしよしと頭を撫でると、ミントは首をゆるゆる振った。
なんなのかわいい。
「土属性ってどんなことができるの?」
「この前、ジ・リズの里でカレンが言ったことをスイくんは覚えてる? 何故、水の中で水の魔術が上手く使えないのか」
「ええと……確か、最初からそこにあるものに同じ属性で干渉するのは難しい、だっけ。魔導は創造して操作するもの、だから」
「よくできました。でも、ひとつだけ例外の属性があるのよ。それが土。……土属性の魔術は、そこにあるものを操作することに長けている。創造して操作するのではなく、抽出して操作する——土壌の改善とか、土を硬めて壁を作るとかね」
確か前に聞いたことがある。
土属性の魔導は獣人と植物系の魔物が得意、だったか。
これは逆に言えば——元来、土属性というのは光属性と同じように人には持ち得ないもので、獣人だけが例外的に素養を持っている、ということなのかもしれない。
「じゃあミントにはいずれ、畑のお手伝いとかをしてもらおうかな」
「だ……ああけ?」
「え、ひょっとしてもう言葉がわかるの?」
ミントの頭を撫でかけた手が、驚きで止まる。
「ああけ?」
「は、た、け」
「あたけ!」
「惜しい、は、た、け」
「あたけ!!」
尋き返してきたので一音ずつ区切って教えてやる。門の奥、ここからわずかに見える畑を指差し「あれだよ」と。
「あたけ……あたけ!」
ミントは両手をぱたぱたと、畑に向かって伸ばす。
「まあ、賢いわね。……知能が高いのかしら。それとも、魔力のせい? 私たちとこの家の魔力を基にできた存在だから、ある程度の知識が備わっている、とか……」
研究者モードで考え込む母さん。
一方でカレンはミントの顔を覗き込みながら自分を指差した。
「ミント、私のことはわかる?」
「だ? うー……」
きょとんとして小首を傾げたミントだったが、ややあって——辿々しい口調で、言う。
「かえん」
「っ……そう、カレン!」
「かえん……かれん?」
「ん! カレン! すごい、えらい! かしこい!」
名前を呼ばれて感極まり頬擦りを始めるカレン。
僕もさすがに驚く。もしかして、今までの僕らの会話からカレンの名前を察した? それとも母さんの言うように、生まれた時から僕ら家族に対する知識があった?
「ショコラとポチのこともわかるのかな。呼んでこようか」
門の向こう、庭の中にいる二匹へと顔を向けた、その時だった。
「よこら、ほち!」
庭へ向けて、ミントが手をぱたぱたとさせると同時。
「……え」
ずず、と。
ミントの下半身、腰から下が、変化し始めた。
放射状に広がっていた細長い葉たちが、しゅるしゅる音をたてて縮んでいく。縮みながらミントの腰に貼り付いていく。
ぴったり貼り付いた後、今度は下向きに解けた。つまり今までとは逆向きに葉っぱが展開し始める——長いスカートみたいに。
そしてスカートの中、茎のように地面と繋がっていたはずの腰から下が、
「そん、な……」
身体の中心でふたつに割れて、脚になって。
地面から、すぽっ、すぽっ——と片方ずつ。
引っこ抜かれる。
「まさか。これは……土属性魔術を、自分自身にかけたの? 植物である自身の肉体を魔術により改変した……自己進化?」
母さんが呆然とつぶやいた。
魔導のエキスパートである『天鈴の魔女』すらも唖然とさせるほどの業。
「あー!」
今や両脚を得て大地からの束縛を脱したミントは、楽しそうにてくてくと歩き始める。解体場から門をくぐり、
「しょこら!」
——と、ショコラの鼻先に頬を合わせ、
「ぽち!」
——と、ポチの嘴をぺたぺた撫でる。
「すい! かれん! ゔぃおれ!」
それから振り返り、僕らの名を呼んでにぱあ、と笑って。
庭の一角を指さして、叫んだ。
「——おとさん!」
※※※
たたたた。と。
ミントは駆ける。
庭の奥、家の片隅にある、その石碑へと。
『おとさん』——父さんの遺髪が埋まった、その場所へと。
「うれしい! ……うれしい!」
僕にもわかるほど強大な魔力の奔流が、ミントとその周囲を駆け巡った。
「うそ、だろ」
追いかけていた僕の足は、驚愕のあまり止まる。
母さんは立ち尽くし、口許を抑えている。
カレンは僕の袖をぎゅっと握ってきた。
ショコラが「わう、わうっ!」と嬉しそうに吠えて。
ポチが驚いたのか、ぶるんと身を震わせる。
ミントの駆け寄った先、魔力の奔流が渦巻いた、父さんのお墓の周囲に。
「みんと、うまれた! みんなと……いっしょ!」
色とりどりの花が、見る間に咲き乱れていく——。