大切なのは海の恵みで
宴から一夜明けて、まずは情報の整理と状況の確認をした。
里の最も高い場所——つまりジ・リズ一家の棲む洞穴の前で、僕らは膝を突き合わせる。メンバーはジ・リズと、ハタノ家の三人、それにラミアの代表者。
「まず大事なのはラミアさんたちのことだね」
『定期的に魚を食べないと調子を悪くする』——。
地球では聞かない症状である。具体的にどんなふうになるのかと尋けば、思っていたよりもだいぶ深刻だった。
「あたまがぼうっとして、なにもかんがえられなくなります。ふらふらしてはたらくことができなくなり……それでも、さかなをたべないと、たおれてきをうしない、そのまま……」
会合に参加しているのは、昨夜、僕が謝罪させてしまったラミアさんだ。
最初こそ恐縮していたが、僕の必死の懇願と謝罪返しにより今は普通に接してくれている。——本当、言葉が足りなすぎたよね。
でもまさか、ラミアたちにそんな生態があるとは想像さえしていなかったんだ。魚を食べなかったら死ぬ、なんて症状、地球では聞いたことがない。
「……それは、デルピュネ族に共通するものなの? ラミアだけ、ということはなく、ナーガ種も?」
「はい。……わたしたち、かりば、いやなおすにとられてしまった、です。いうことをきくかわりに、やつらのこどもをうめといわれて。それが、うけいれらなかったものたちだけで、にげてきて……」
ラミアさんは言い淀む。
僕は話題を引き戻した。
「今は、干物や魚醤で凌いでる感じですか?」
「はい。おとなは、まだ、たえられる。でも、こどもが……さかながないと、よくそだたない、ので、ふあんです……。『とおくのこ』になってしまう」
「遠くの子、とは?」
「ちえがつかない。ことばもしゃべれない。あたまとこころがあかんぼうのまま、そだたない」
つまり、脳に発育障害が出る……?
それを聞き、僕はひとつの推測を得た。
「そうか……」
「スイくん、なにかわかったの?」
「たぶん、なんだけど。……DHAだと思う」
DHA——ドコサヘキサエン酸。
不飽和脂肪酸の一種だ。
地球では『頭を良くする』なんてまことしやかに言われていたが、あながち間違いじゃない。実際は人体にとっての必須脂肪酸であり、体内では合成できず、外から摂取する必要があり、そして、脳や神経組織の機能を高める働きがある。
「魚はDHAがたくさん含まれてる食品として地球では有名だったんだ。きっとデルピュネ族は、僕ら人間よりも大量のDHAが必要なんだと思う。それこそ、意識して魚を食べないと生命維持が困難になるほどに」
反応は様々だった。
母さんは納得したような思案顔、カレンはよくわからない、といった表情。そして他の面々は、たぶんあまりの意味不明さにきょとんとしている。
「前に、お父さんが話してくれたことがあったわ。栄養にはたくさんの種類がある、って。お肉と穀物、お野菜とではそれぞれその種類が違うから、ひとつだけを食べ続けるのは健康に悪い……スイくんが言ってるのも、その『栄養の種類』のひとつなのね?」
「うん。蛋白質、炭水化物、脂質、それにビタミン……向こうでは研究が進んでて、栄養素の種類がかなり細かく分類されてた。ただまあ、難しい話は僕もわからない。だからこれはあくまで僕の知識の範囲内での推測でしかないんだけど」
そもそもラミアの身体を科学的に調べることなどできないのだから。
ただ、そう考えてしまえば様々なことが腑に落ちる。
「この里では牧畜が盛んだよね。特に、チーズとかの乳製品をよく作ってるみたいだ。それに、山の麓にはいろんな木の実があって、パンにもたくさん使われてた。……これらにもDHA、もしくは類似した脂肪酸が多く含まれてる。きっとラミアさんたちは、そういう身体だったからこそ、そういう食文化になっていったんだ」
なんだっけ、脂肪酸の名前。
オメガなんとか——ああ、思い出せないや。
「不飽和脂肪酸には血液をさらさらにする効果がある。欠乏症で頭がふらふらするのは、脳や神経組織の機能がDHA不足で上手く働かなくなるから。亡くなってしまうのはたぶん、血が上手く流れなくなって脳梗塞とかを引き起こしてしまうから。お子さんに症状が出やすいのは、幼い頃には発育のため、より多くの栄養を必要とするから。……実際のところはともかく、そう考えると辻褄が合う」
ジ・リズがふむ、と頭をやや傾けた。
「たいしたもんだ、そんなことまでわかるとは。……だがスイ、だとすると、木の実やチーズを代わりに山ほど食えば症状は出ずに済むのか?」
「わからない……DHAの含有量に関しては、魚が圧倒的なんだ。しかも海の魚。川の魚にはあまり含まれてないし、木の実に関してはそもそも厳密には種類が違う。チーズに含まれてるのはDHAだったと思うけど、どれだけ食べればラミアさんたちの健康を維持できるのかがわからない」
「むう……子らにとって気休めにでもなればと思ったのだが」
「それは確かに。幼いお子さんには、魚だけでなくチーズを多めに食べさせてください。あと、火を通すとDHAの含有量は減ってしまうはずだからそこも気を付けて」
チーズと魚醤を上手く使った料理のレシピがあればいいんだけど、これも考えよう。子供の口に合うかどうかが問題だよね。
ただ、まずは大元の原因をどうにかするのが先決だ。
「肝心の変異種だけど、いつから海に居座ってるの?」
「半月ほどになるか。ぬしを最後にシデラヘ送ったすぐ後だ。急に現れてな……どうもあの内湾が気に入ったらしい」
「竜族……ジ・リズたちにも退治は難しかったんだよね」
「海の中は水で満たされているだろ? 儂ら竜の魔導は火や風の属性が主体となっている。水との相性が悪いのだ」
「ん。私の魔導も海中だと半減する」
風と水の二重属性を持つカレンが、ジ・リズに追従した。
「水属性の方は?」
「そっちも微妙。そもそも、魔導とは創造し操作すること。最初からそこにあるものに同じ属性で干渉するのは難しい……私は水属性を持っているけど、海の水を利用して魔術を使うことは、ほとんどできない」
「なるほど。ショコラの光属性も、なんだかきつそうだよね」
「くぅーん……」
川に飛び込んで魚を獲るくらいはできるショコラだが、海中で変異種と戦うとなると別の話だ。あのびかーっと光ってずばーんと貫く必殺技(そろそろ名前が欲しい)も、海中の敵には威力半減な気がする。
「私の魔導なら、殺すことは可能だと思うわ」
母さんが言うも、そこには躊躇が見える。
「ただ私の場合、派手にやりすぎてしまう。それじゃ意味がないわよね?」
「その通りだ、『天鈴』殿。儂らの目的は変異種の排除そのものではない。あの海で再び魚が獲れるようになることだ。変異種を大爆発させたら、海が荒れてしまうだろうよ。……最初はな、待つつもりであったのだ」
ジ・リズの声には苦悩があった。
「変異種の寿命は短い。魔力坩堝に身を浸し、侵された末の変異なのだから当然だ。だから本来、変異種に対してはただ耐えてやり過ごし、勝手に命が尽きるのを待つのがよいのだ……嵐が過ぎ去るように、雪が溶けるように」
「どれくらいかかるの?」
「短くて半年ほど、長ければ一年。だが、それでは我が子らが耐えられん。儂がどこかの遠洋に魚を獲りに行けばいいのだが、それも一時凌ぎよ。変異種が死ねば爆発が起きる。あの大きさでは、内湾はしばらく荒れるだろう。魚が戻るには更に一年か二年か……それでは、子らの活計が絶えてしまう」
「……つまり僕が、変異種を爆発させずに仕留めるしかないのか」
「やってみてくれるか、スイよ」
ジ・リズが僕へ向かって深く頭を下げる。
「無理は言えん。ぬしらを危険に晒したくはない。だが、もしあれを爆発させずに仕留めることができれば、海は元に戻る。子らも再び魚を獲れるようになろう」
「もちろん、僕にできる限りのことをやるよ。ただ……やるなら下調べと作戦、それに準備は必要だ。まずは敵を実際に見てみなきゃ始まらない。変異種って、どんなやつなの?」
僕の問いに、ジ・リズはそいつの姿を思い浮かべたのか——深く嘆息した。
そして彼の返答に、僕もまた唖然とする。
「鮫だ。いや、あれを鮫と言っていいのか……亀でもあり、蛇でもある。三種の特徴を合わせたような混合獣であり、身の丈はゆうに儂の身体を五倍する」
「やべーやつじゃん……」
あのギリくまさんを超える最強の敵が、とうとう僕の前に立ちはだかるのだった。