麓まで来ておどろいた
四日ほどをかけて森を北上した。
シデラの街から家へ帰った時よりも丁寧に、森を切り拓きながらの旅路だった。これから定期的に往来し続ければ土も踏み固められ、道として定着してくれるだろう。
そうして四日めの昼過ぎ——木々はまばらに岩肌が多くなり、植生も変わっていき、山岳地帯と呼んで差し支えない風景となってきたところで、僕らはそれを発見する。
「母さん、カレン、これって」
「ええ……私たちの作ってきたものよりはずっと細いけど……」
道、だった。
草木の密度も低くなっているため、ぱっと見はわかりにくい。
が、人ふたり分ほどの幅で、土が均され小石などが取り除かれた——つまり、なにものかが定期的に通行している形跡が確かにあって。
しかもそれは、
「山の方に続いてる……」
僕らを誘うように、あるいは拒むように。
「どういうこと? ジ・リズが作ったのかな」
「んー……竜族がこんな道を作るとは思えない」
「そうね、彼らも歩くことはあるでしょうけど、だとしてもこんな足跡にはならないわ」
しゃがみ込んで道を観察する母さん。
「尻尾を引きずった跡に似ていなくもない、けど……だとしたら左右に足跡がないのはおかしいわ。ショコラ、ジ・リズのにおいはする?」
「くぅーん」
問われたショコラは地面に鼻をひくつかせていたが、やがて否定するようにおすわりをして、短く吠えた。
「ばう」
「しないみたいね。ありがとう」
よしよし、とショコラの頭をわちゃわちゃに撫でてから、母さんは立ち上がる。
「やっぱり山の中に続いてるわね」
山の麓にあたるこの辺りは岩肌が多いが、登るにつれて再び木々が多くなっており、道の先までは見通せない。
「木の種類が変わってるね」
「ん、松、楢、あとは栗とか……?」
植生遷移というものがある。
森が成長する過程で辿る変化のことだ。
最初はなにもない土壌に苔類や地衣類が生え、それらが土地に水を蓄えると次は一年生植物が参入してくる。更にそこから多年生植物が出現し、樹木が生え始める。
その樹木も最初は強い光を好む低木の陽樹が多いが、やがて高木の陽樹により地面へ陽が届かなくなり、低木陽樹は消えていく。するとその日陰に今度は陰樹——少ない光でも育つ木々が勢力を作り、最終的にはその陰樹を中心とした植生で安定、森は極相に至る。
こちらには魔力という養分が作用してくる分、植生もやや複雑で多様になるが——おそらく基本の仕組みはさほど変わらない。成長した原生林では、陰樹が多くを占めるはずなのだ。
「松も楢も栗も、陽樹だった気がする。山の斜面は陽当たりがいいから? 確かに南側ではあるけど」
「スイ。この木にはそれよりももっと、わかりやすい特徴がある」
思案する僕に、カレンは、ひとつの共通点を教えてくれる。
「どの木も食べられる実をつける。それに、木材として優秀。つまり……」
「人に有益な、樹木……?」
その時——だった。
「そこで、なにをしている」
山へと続く道の奥、木々の間から。
幾多の気配と眼光が、ぬらりと現れた。
「……っ!」
僕らは一斉に身構える。誰何よりも先に驚愕があった。
木の陰にいたとはいえ、僕らの誰も——母さんやショコラでさえ、接近に気付かなかったということに。
それらは手に手に弓矢を、あるいは槍を持って構えながら、僕らを斜面の上から見下ろしている。
人数は、七。
全員が女性。
容姿は整っていて、全体的にスレンダーなスタイル。上半身だけを見れば地球のモデルもかくやだ。ビキニみたいな、胸だけを覆う衣装を身につけていて、扇情的ですらある。
「ひと」
「ひとだ」
「なぜこんなところに、ひと、がいる」
「どうやってきた? わたしたちに、がい、なす?」
一方で、言葉はやや辿々しい。
人の言葉を使うのに慣れていない——いや、人の言葉を発音するのに口内の構造が向いていない?
何故なら、彼女たちは。
「どうする? ころすか?」
「ころす、だめ。でも、まねくのも、だめ」
「おいかえす?」
「すなおに、かえってくれるかな?」
口元から牙が覗いている。
鋭い眼光を放つ瞳、その瞳孔は細く尖っていて、爬虫類のそれを連想させる。
そしてなにより、腰から下。
つまり下半身が、鱗で覆われた、蛇の——。
「デルピュネ族の、ラミア種? あなたたちこそ、どうしてこんなところに」
母さんが彼女たちの種族名を口にした。
ラミア——上半身は人、下半身は蛇、あるいは竜。
地球では伝承上の怪物として知られるそれが、この世界に実在するなんて。
「わたしたちのこと、しってる?」
「むかし一度だけ、獣人領の奥地で会ったことがあるわ。なるほど気配が読めない訳ね……風と土の混合属性、隠蔽魔術はあなたたちの得意とするところ」
母さんの言葉に、ラミアたちが警戒を強める。
というか母さん、頭上から狙われてるのに堂々としすぎじゃない? まあ攻撃は全部、僕が防げると思うけど……。
「なるほど、おおむね理解したわ」
母さんは頷くと、傍で唸るショコラに声をかける。
「ショコラ、大丈夫よ。ポチのところに行ってあげなさい?」
「わうっ!」
しゅたっと後ろに飛び、不安げに視線を彷徨わせているポチの足をぺろぺろ舐めるショコラ。
「きゅるぅ……」
「ばうばう!」
「カレンもあっちをお願い」
「ん」
ポチとショコラをカレンに任せ、僕は母さんの横に並んだ。
「……理解したって、なにを?」
「彼女たちラミアは、ほとんど人と関わらない少数種族なの。人の社会では『亜人』なんて呼ばれることもあるわ……ただ、あまりいいニュアンスを持っていないからスイくんはできるだけ使わないようにね。独特な風習と文化を持っているけど、言葉も通じるし倫理観もそれほど違わない」
「おまえたち、なにもの? きがいをくわえるつもりなら……」
「危害は加えないし、敵対するつもりもありません」
両の掌をむけてひらひらさせながら、母さんは続けた。
「ラミアにはね、ある習性があるの……いえ、信仰かしら。それはね、竜族を自分たちの父祖として崇める、というものよ」
「あ、だったら、この人たちは……」
「ラミアたち! もしあなた方が自らをファーヴニル氏族の尾、ジ・リズの雛と誇るのであれば、私たちを案内なさい。私たちハタノ氏族はジ・リズの友として、この森に棲まう同胞として、あなたたちと誼を結びに来ました」
「もう、ジ・リズのやつ……僕らのこと、ちゃんと伝えといてくれればいいのに」
母さんがラミアたちへ高らかに宣言する横で、僕は若干の恨み節とともに懐から通信水晶を取り出して、ジ・リズに文を送信した。
『もしもし、あたしメリーさん。いま山の麓にいるの』
モシモシアタシメリーサンとはなんの呪いの言葉だ、儂になんの魔術を使った——とジ・リズにしつこく問い詰められるのは、このおよそ十分のちのことである。