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そうだ、山に行こう

 こちらの世界の(こよみ)は地球とほとんど変わりない。


 僕が向こうで十三年過ごしている間にこっちでも十三年が経っていたように、時間の流れもほぼ同期している。別の惑星なのかそれとも並行世界めいたものなのかは定かでないが、ともあれ天体の自転(じてん)公転(こうてん)に関しては、少なくともかなり細かい数値まで一致していると見ていいだろう。


 僕がこっちに来たのは地球の暦でいうと三月の二十一日。

 今は五月の十八日——そろそろ、ふた月が経とうとしている。

 

「もうすぐ雨季が来るわね」


 とは母さんの(だん)


「あと半月くらいかしら? 雨が多くなり始めて、ひと月ほど降り続くの。それが終わったら夏の合図よ」

「向こうも似たような感じだった。梅雨(つゆ)っていうんだ。まあ、ここ何年かは梅雨より前に夏が来たみたいな感じで、どんどん気温が上がってきてたけど」

「こっちの夏はそんなに暑くないな、って、お父さんがよく言ってたわ」


「じゃあ、僕は平気そうだ……でも雨が降り始めるなら、早めに行っておかなきゃ」

「確かにそうね。ポチもいい加減、うずうずしてそうな感じだし」


 ——そういう訳で。

 シデラの街でコンソメのプレゼンをしてから十日。

 僕ら一家は、ドラゴンの住む山へ挨拶に行くことにしたのだった。



※※※



「きゅるるるっ! きゅーーー!!」

「よしよし。頑張ってもらうからね」


 ハーネスを持ってきた瞬間に大喜びするポチと、ワゴンを繋ぐ。

 近くで獲れた獣の肉を大量に積み込み、いざ出発だ。


「ショコラもポチの護衛をよろしくな」

「わうっ!」


 門から出て、北に進路を取る。門の前にある解体場のそばを通る時、ポチが少し嫌そうな感じで身を震わせる。転移してきて二カ月、獲れた獣をここで(さば)き続けてきたからなあ……。やっぱり動物にはそういうのわかるのだろうか。血のにおいというか、いろんなものが埋まっちゃってる不穏さというか。


 ジ・リズが自分の血をここに注いでくれてから、ひと月半ほどになる。彼のおかげかどうかはわからないけど、妙なことが起きたり変異種が寄ってきたりなんて事態には今のところ、なっていない。母さんも特に違和感はないと言っていた。


 まあ、今度ジ・リズに見てもらおう。


 森を分け入って、茂みを刈り取り枝を折り、時には樹木を伐採しながら、蜥車(せきしゃ)はのしのし進んでいく。今回はそれらの作業を少し念入りに——ちゃんと道路を作るくらいの気持ちだ。たぶんこれから先、何度も行き来することになるからね。


「スイ、うきうきしてる」

「わかる?」


 剣を振り振り車の横を歩く僕に、カレンが言う。


「ジ・リズのところに行くの、そんなに楽しみ?」

「彼の家族にご挨拶できるのも楽しみだけど、やっぱり僕は、海がね」


 ——そう。

 僕も最近になって初めて知ったのだが——竜族(ドラゴン)が根城にしている山の裏側に、()()()()のだ。


 『(うろ)の森』はこの大陸の北東部に広がっていて、半径がおよそ蜥車(せきしゃ)で十日ほど、たぶん五〜七百キロくらいの広さをしている。ただ、森そのものは完全な円形という訳ではない。


 地図として鳥瞰(ちょうかん)するに、扇が切り取られた丸——要するにパックマンみたいな形状をしているそうだ。


 これは植生ではなく地形的な原因による。『虚の森』の北東部は大きく(えぐ)れて内湾が侵食しており、その内湾の最も奥まった部分にジ・リズたちの棲む山脈が切り立っている。


 だったら森の調査をするのに、海をぐるっと回って中に入れば『虚の森』の深奥部により近付けるんじゃないか……と思って母さんたちに尋いたことがあったが、答えはNo。地脈を流れる魔力の濃さは陸だろうと海だろうと変わらず、そして海中にも魔物は潜んでいる。故に、内湾どころか『虚の森』の近海自体に船を乗り入れるのは自殺行為。むしろ海上な分、母さんたちでも危険とのことだ。


 シデラの街が海とは真反対——森の南端にあるのは、海路よりも陸路、海からよりも陸からのアプローチがより手堅かったからだろう。


 もちろんそれはそれで、困難なものではある。


 日本に住んでいるとあまりピンと来ないが、特にヨーロッパ圏において、人の歴史は即ち森を切り拓く歴史だったという。原生林というのは元来、人の生きられる環境ではない。森の中に入るというのは死を意味していた。童話の登場人物がよく森に追放されるが、あれは人の社会から断絶された死の暗喩(あんゆ)なのだ。

 ……って、世界史の先生が言ってました。


 学校の授業が少し懐かしい。高校時代に使ってた大量の教科書とか資料、もしこっちに持ってくることができていればめちゃくちゃ役に立ったかもしれない。……まあ、負けず劣らずの百科事典が書斎(今は僕の寝室)にあるけど。


 ともあれ、海である。


 ジ・リズによると、根城にしている山の裏手から海に降りることができるそうだ。あまり沖に出るととんでもないのがいるみたいだが、浅瀬まで来る危険な種はさほどおらず、つまり海産物が獲れる。


 海の魚! そして貝!

 更にあわよくば、


「昆布、あるかなあ……」

「この前の生トマトいきなりかぶりつき事件といい、私は時々、スイにどう接すればいいのかわからなくなる……こんぶ、って、この前も話してくれた、海藻(かいそう)でしょ?」

「うん。食べる習慣がないってのは聞いた」

「習慣以前に理解できない……なんで食べようと思ったの……」

「それ外国の人からも言われるらしいね……異世界でも言われるのかあ」


 アジア圏では一般的な食材なんだけどな……。


「まあ、食べるのに抵抗があるのはなんとなくわかるよ。でも、出汁(だし)に使うんなら見えないし、抵抗は少ないと思う」


 僕も、海藻サラダを食すのが主目的ではない。

 昆布、あるいはそれに類似した海藻を干して乾燥させるのだ。こっちに来てからずっと欲していたグルタミン酸の暴力が、もうすぐこの手に入るかもしれない。


「海藻を食べるって聞くと気味が悪いけど、スイの料理は信用してる。生のちっちゃいトマトも、あんなに美味しいとは思わなかった」

「家でいま育ててる地球のトマトも生食できるから、楽しみにしておいて」

「ん……それはちょっとまだ、怖い」


 トマトの栽培は時間がかかる。プランターに蒔いた種がようやく苗まで育ち、ついこの前、畑に植え付けしたところだ。果実が実るまでは更にここから二カ月くらいかかるはず。


「あら、お母さんは楽しみだわ。お父さんもあっちで食べてたのよね?」


 御者台に腰掛けた母さんが、にこにこしながら問うてくる。


「うん、冷やしたり、チーズと合わせたり……どれくらい甘く育つかはまだ収穫してみないとわからないけど。生が口に合わなくても、いろんな調理法があるからね」


「お父さんの故郷の味、楽しみにしてるわ」

「……むう。じゃあ私も頑張って食べる」


 対抗するようにカレンが肩肘を張る。まあでも、生のトマトって嫌いな人は嫌いな食材だし、無理はしないようにね。


「……スイ、 ヴィオレさま。前方斜め、いやな気配がある」

「魔獣かしら。襲いかかるのを待つ?」

「私が風で陽動をかけてみる。出てきたらお願い」


 どうやら茂みの向こうになにかがいるようだ。ただ、言葉とは裏腹に誰も緊張していない。お土産のお肉に手をつけるわけにはいかないから、今夜の晩ご飯になるといいな。



 遠くに峰を連ねる山々を(のぞ)みながら、僕らの行軍は危なげなく進む。

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