特産になればいいなって
この世界ではまだ知られていない『味覚』がある。
その話をした時の母さんとカレンの反応は、まあ予想はしていたけれど——感心はしてもいまいちピンときていない、といったものだった。
当然だろう。地球でも『舌にうま味物質を感知する味覚受容体がある』という科学的証明がなされるまで、存在自体を信じないものが多かったと聞く。塩味や甘味などのいろんな味が複雑に絡みあった結果として生まれたものじゃない? という説の方がよほど腑に落ちるだろう。
だから僕の目的は『旨味』の概念をこの世界に普及させることではない。
『旨味』という概念を積極的に利用して、人の暮らしに花を添えることだ——。
母さんとカレンに試食してもらってから五日後。
僕はショコラを連れて冒険者ギルド、シデラ支部を訪れていた。
顆粒コンソメを使った料理を応接室のテーブルに並べる。
溶いて塩で整えただけのスープに、食材と味付けをそれぞれ変えたポトフ。
つまり、プレゼンである。
「確かにこいつは画期的だな。ただ煮込んだだけとは思えん」
スプーンを片手に唸っているのは支部長のクリシェさん。極道の親分みたいないかつい容姿だが、小さく口元を綻ばせている。美味しかった? 美味しかったんだね?
「ギルマス、こっちも食ってみろ。森で獲れるような肉と野草を適当にぶち込んだやつでもこれだ。遠征組は泣いて喜ぶぞ」
驚きつつも、それ以上に嬉しそうな顔をするのはベルデさん。こっちは巨体とスプーンのサイズがちぐはぐで微笑ましい。だけどスプーンを器用に使って煮込んだ肉を割く様子からは、粗野なものを感じさせない。
「いやーありありねー。ウチまで御相伴にあずかれちゃうなんて、役得。それにしてもうまっ。優しい味がすんね! おっちゃんの食ってる方はウチにはちょっと塩っ辛いや」
リラさんは受付の仕事をしていたところ、僕の知人だからという理由でしれっと付いてきた。女性の評価も聞きたいとのことでOKが出たのだが、僕としても丁度いい。
「わうっ!」
ショコラは縞山羊のミルクを与えられてご満悦である。気に入っちゃってるなあ。また仕入れて帰ろうか。
ポトフは三種類ある。
クリシェさんが食べたのは、そこそこ豪勢な食材を用いた高級志向。
ベルデさんが試食しているのは、冒険者のためにあつらえたごった煮。
そしてリラさんが頬張っているのは、手に入りやすい具材を使った一般家庭用だ。
「顆粒コンソメ自体にも塩気はあるけど、お好みによって追加で足すのもありです。森で活動する冒険者さんは汗をかいて体力も消耗してるだろうから、それを想定して塩を足しました」
やいのやいのと試食を続ける三人に、僕は解説をする。
「煮込み時間を調整することでも印象が変わります。味の沁みやすい食材は短く、煮込めば煮込むほどいいようなものは長く」
「ね、スイっち。これってパンをふやかしても美味しいんじゃない?」
「ええ、それはもちろん」
プレーンのスープを眺めるリラさんに応える。
「パンを浸けてもいいし、麦粥にしてもいい。ワインを入れるとかシチューのベースにするとか、家庭でアレンジを加えることもできます」
「問題は生産費だな……」
満足げに匙を置いたクリシェさんが、鋭い目になった。
「結局のところ、この粉も無から沸いてくる訳じゃない。野菜や肉をドロドロになるまで刻んでから煮込んで、更に水分を完全に飛ばして乾燥、だったか? かなりの手間がかかったんじゃないか」
「手作業であれば、ですね。……クリシェさん、わかってて言ってませんか?」
「すまんな、試すような真似をした」
そう言って、にやりとする。
僕がどこまで考えた上でこれを持ち込んだのか、知りたかったのだろう。
「いまおっしゃったことの大半は、魔術で工程を短縮、効率化できるはずです。もちろんある程度の素養は必要になりますが……母さんとカレンが、専用の術式を組んでくれる手筈になっていますよ」
「ほほう、それはありがたい」
クリシェさんが悪い笑みを浮かべた。
——いやあなた、ひょっとしてそれを期待してました?
「もちろん、術式の碑銘申請はしますからね」
「っ……ま、まあそうだな、当たり前のことだ」
『碑銘申請』とは魔術の術式における特許のようなものだ。公式の記録に作成者として名が刻まれる。法的に利用料などが生じる訳ではないが、たとえばその術式を大いに利用して商売をした時などは、なんらかの形で作成者に恩を返すのが道義とされている。
「まあそういうのはおいおい。無料で使わせてしまうのはよくないですけど、かといって搾り取りたいわけじゃないですからね」
「わかってる。悪かった」
神妙な顔になるクリシェさん。
ただこういうシビアさには好感が持てる。付け入るべきところは付け入り、可能な限り儲けを大きくしようとするのは、街のことを第一に考えているからだろう。
だからこっちも、考え得る限りのメリットを列挙する。
こちとら受験戦争を終えたばかりの元学生だ。それなりの知識はある。
「コンソメの生産をシデラでやれば、経済が活発になります。野菜の生産、材料の加工などに人を雇ってお金が回る。お金が回れば街がより成長する」
「む……続けろ」
「シデラで生産した野菜や肉は、一部を他都市に出荷していると聞きます。たとえばその半分を顆粒コンソメに置き換えれば、輸送費が大きく削減できる。現物の需要が高くてそれができない場合でも、コンソメを加算した分の増加輸送費は最低限となる。つまり、利幅が大きい」
「なるほど、まだあるか?」
「最初のメリットにも関連しますが、冒険者の社会保障にはなりませんか? 怪我をして森に入れなくなった人や、能力が足りずに上手く稼げない人。そういった層を生産に関わらせることで、彼らの生活が安定するかもしれません」
腕組みして僕の話を聞いていたベルデさんが、おもむろに口を開いた。
「……冒険者の中には、脚を失って歩けなくなった奴なんてのが定期的に出る。当然、森には入れねえ。そういうのはシデラから去るか、店番なんかの座り仕事を探すか、まあ苦労するハメになる。……この調味料の生産っていう仕事ができれば、そいつらに選択肢が増える」
「森で採取できる香草とか野草の類も、今よりずっと需要が出てきます。怪我の程度によっては、森の浅い部分なら活動できる人もいるんじゃないですか?」
ベルデさんは大きく頷き、クリシェさんに視線を向けた。
そして、告げる。
「ギルマス。俺ぁ商売の話には疎い。だから金勘定に関してはあんたの意見を尊重する。ただよ……こいつは、このスープの素は——俺たちシデラに住む者にとって、それこそ変異種の死体なんてのよりも、でけえ成果になるんじゃねえか?」
「ウチもそう思います」
リラさんがスプーンを持ったまま、ポトフの皿をじっと見詰めながらぽつりと言った。
「ウチのおばあちゃん、歯が悪いんよ。ウチらがお肉をわいわい食べる時いつも、にこにこしながら、でもちょっとだけ寂しそうに見てる。……このスープ、いっぱい、いっぱい、お肉の味がするよ。これでお粥作ったら、おばあちゃんも寂しそうに、しないかなあ。ウチらと一緒に、もっと、ずっと、にこにこしてくれるかなあ」
「……決まりだ」
ややあってクリシェさんが厳かに立ち上がった。
「シデラはこいつ……コンソメの製造に着手する。もちろん今すぐってのは無理だし、最初からいきなり大胆な投資をやるわけにもいかんがな。まずは試しに量産してみて冒険者に売り、次に街に普及させて、様子を見ながら拡大していく。最初は値が張るだろうが、増産すればするほど安価で提供できるようになっていくはずだ」
そうして、僕の目の前に手を伸ばす。
「お前が変異種の死体を持ち込んできたときは腰を抜かすかと思ったが、今回は脱帽だ。ベルデやリラが言うように、こいつはこの街を大きく変えるかもしれん」
「ありがとうございます! よろしくお願いします」
僕はその手を握り返す。そのごつさと力強さに負けないよう、しっかりと。
「じゃあ早速、金勘定の話だ。しっかり契約を結んどかなきゃならん。お前はその手の話も得意そうだが、穴がないかはちゃんと念入りにしろよ?」
「あ、その前に、ショコラのミルクのおかわりをお願いできますか? さっき空にしてから、めちゃくちゃ物欲しそうにこっちガン見してるんで」
「わうっ!!」
足元で無言のアピールをしていた愛犬の背を撫でながら、胸は安堵と喜びに満ちていた。
これはきっと、僕の第一歩になる。