名残惜しいけど帰宅しよう
シデラの街で三泊四日を過ごした。
そしてとうとう家に帰る日となる。
見送りには、例の五人が揃って来てくれた。
「スイっち、カレンちゃむ、またねー! こっち来たらちゃんとギルド遊びにくるんよ!」
リラさんはこの四日で僕とカレンのことを変な風に呼び始めた。特に僕はなんなんだ。ゲーム機かな? 面白いのでいいけど。
「じゃあな。……冒険者登録もしたことだし、次に来る時は連絡してくれや」
シュナイさんとはあまり話せなかったが、斥候を専門にしている冒険者だそうで、狩りのコツなんかを教えてもらう約束をした。
「ワシもちょくちょく連絡することになる。通信水晶はこまめに見ておけよ」
ノビィウームさんには包丁を作ってもらう関係上、今後も継続的にやり取りをする予定だ。いつになるかはわからないが、完成が楽しみである。
「スイさん、例の件、お願いいたしますわ。新しいレシピを考案したら迅速に!」
トモエさんがお淑やかに振る舞うことも忘れてぶんぶんと手を振ってくる。責任重大だが、家に帰ってからじっくり考えよう。
そして、ベルデさん。
「……またな」
他の四人がわいわいと騒ぐ中、腕を組んで静かに頷く。その仕草はやたらと渋く、同時に愛嬌もあって、『格好いいおじさん』とはこういう人のことをいうのかと感心してしまった。バイキングと盗賊の合体進化とか思っててごめんなさい。
五人に見送られながら、塁壁に設けられた門を潜って『虚の森』へと入っていく。やがて彼らの姿が遠くなり、門が閉められ、後に残るのは木漏れ日と木々のざわめき、そして車輪が轍を刻む音。
「長い道のりになるけど、よろしくな、ポチ」
「きゅるるぅ!」
「ショコラも頼んだ。ポチのことを守ってやってくれよ」
「わうっ!」
蜥車を輓くのは甲亜竜のポチ。甲殻を纏ったトリケラトプスみたいな外見は後ろ姿もかっこいい。
その横をとことこと随伴するショコラは、子分の勇姿にどこか誇らしげだ。
「しかし、すごい力だな、ポチは」
「ん。ヴィオレさまがいっとう立派な甲亜竜を頼んでくれてたみたい」
ポチが牽引するのはかなり大きなワゴンだ。全体に幌が張られており、中には物資が満載されている上に、僕らが仮眠を取るスペースまである。
こういう馬車の名前なんていったっけ。コネチカット? いやそれは地名か。ええと……コネストック? たぶん違うな……。
ともあれワゴンもでかければ車輪も多い。
今はまだ冒険者たちの作った道がある。草木を切り開いて地面を踏み固めただけのものだけど、このワゴンも悠々通れる広さがある。ただ、この道は中層部に辿り着く前にはなくなってしまうそうだ。いずれ道なき道、木々の間を縫いながらの通行となるだろう。場合によっては木を伐採し、スペースを確保しながら。
御者台には母さんが座っているが、母さんばかりに手綱を握らせるわけにもいかないから、僕らも実践練習しつつ折を見て交代する予定だ。
「予想していたよりも大きい蜥車だし、のんびり行きましょうか。半月くらいを見ておけばいいかしらね」
当初の予定よりも五日オーバー。ちょっとした旅である。
「……それにしても、あんまり揺れないんだな」
蜥車は静かなものだ。時折がたごととはするが、お尻が痛くなったり、ましてや振動で気持ち悪くなることは一切ない。
僕の漏らしたつぶやきに、母さんが振り返り嬉しそうに応える。
「サスペンション……スイくんは知ってるでしょう?」
「知ってるけど、ひょっとして」
「昔、お父さんが開発した……いえ、もたらした技術なの」
「父さんが……」
僕の驚きに得意げな顔をして、母さんが続けた。
「それまでも似たようなものはあったけど、お父さんのは、車輪ごとが独立して衝撃を吸収する設計でね。開発する時も『うろ覚えだ……』って頭を抱えながら、あれこれ試行錯誤してたわ」
当時のことを思い出しているのだろう。すごく優しい目で語る。
「あとは、そうね。私たちがお家に帰れるのもお父さんのおかげ。カレンとお母さんがスイくんのところに辿り着けたのもね」
「それって……」
「『世界間測位魔術』っていうの。空高くに使い魔を滞空させておいて、そこに特定波長の魔力を反射させる……地球にも魔導を使わないやつがあるんでしょう」
「GPSだ……そんなことまで?」
唖然とする。いや、空高くって衛星軌道上でしょ?
使い魔っていうのがどんなのかはわからないけど、いけるのそれ。
「ってことは、この通信水晶も?」
「そう、よくわかったわね。さすがだわ! 上空の使い魔と、世界各地に建てた魔力受信塔……正直、これの特許だけで我が家の財産はものすごいことになってるのよねえ」
「ええ……インフラが個人の私有物なんだ……」
もはや感心を通り越して呆れてしまう。とんだ現代チートだ。父さんが転移したのって二十年以上前じゃなかったっけ。その時代にチート無双とかいう概念あったのかな……なかったとしたら意識せずにやっちゃってたのか……。
「それって、社会が混乱したりはなかったの?」
僕は小心者なので、そっちが心配になってしまう。
母さんは苦笑した。たぶん、僕の口から真っ先に出たのがそれだったのがおかしかったのだろう。
「多少はね? でも、みんなの暮らしは楽になったわ。送れるのは短い文だから、郵便がなくなるわけじゃない。通信水晶のせいで失業した人はたぶんほとんどいないはずよ。世界間測位魔術に至っては、魔力がものすごく必要だから一般人に使えるようなものじゃないし。あとね……世界もいくぶんか平和になったわ。だって戦争するような国には受信塔が設置されないんですもん」
「王国だけに技術提供したんじゃないんだね」
「ええ。望めばどの国でも。……もちろん世界から戦争がなくなったわけじゃないし、この技術が原因で起きた諍いもあるわ。でも、それでも私たちは——空へ使い魔を打ち上げたことを、後悔しなかった。今も、後悔していない」
「そっか」
僕は、嬉しくなった。
語る母さんの横顔に、誇りと信念が見えたからだ。
父さんと母さんは、この世界をより良くしようとした。より良くなると信じ、未知の技術をもたらして世界を変えた。
戸惑った人もいただろう。
失業した人も『ほとんどいない』のなら、多少はいたってことだ。
そしてたぶん——きっと、人が死にもした。
それでも父さんと母さんはやった。
結果、世界間測位魔術と通信水晶はきっと多くの人を救っただろう。多くの人を喜ばせただろう。多くの人に、新しい職を与えただろう。
産業革命が未だ起きていないこの世界にGPSとSMSを普及させるのは一見、ちぐはぐでめちゃくちゃに思える。だけどこの世界には魔導があり、文明は地球とは違った形で進歩しているのだ。
つまりGPSやSMS『っぽいもの』をどうにか魔導で再現したと考えるなら——父さんが真にもたらしたのは、技術ではなく発想なんだろう。
「すごいな。本当にすごい」
「ふふ、ありがとうね」
僕が深い溜息とともにつぶやくと、母さんは破顔する。
息子の僕に対し、誇らしげな気持ちになってくれてるんだとしたら僕も嬉しい。
ただ一方で、そんな偉業を成し遂げたふたりの息子としてはやっぱり思うのだ。
僕は……スイ=ハタノは、何者かになれるのだろうか、と。
シデラの街に行き、奇しくも父さんを恩人だと仰ぐ人と知り合って、彼の話を聞いた時から——この感情は心の奥に燻り始めた。
別に世界を変えたいわけじゃない。
大それたことをしたいわけじゃない。
そういう意味で僕は、父さんや母さんとは、違う。
だけど、ほんの少し。
僕にできることがもしあるのなら。僕がこの世界に帰ってきた意味があるとするなら——ああ、意味があるかどうかなんて考えてしまうってことは——。
僕はやっぱり、この世界で、なにかをしたいんだ。
たいしたことじゃなくてもいいから、自分が誇れるような、自分の一歩を刻みたいんだ。
蜥車は順調に山道を進む。
いずれこの道はなくなっていく。
たとえ道がなくても父さんと母さんが用意してくれた標があるから、家には帰り着けるだろう。
ただそこから先、僕の一歩はどこへ向かうのか。
道標は——まだない。
正解はコネストーガ・ワゴンでした。惜しい。