母さんなにしてんのさ
その竜族は、ファーヴニル氏族のジ・リズと名乗った。
「そっかあ……カズテル殿、逝っちまったのか」
庭に出てきた母さんから父さんの話を聞き、うなだれるジ・リズさん。
僕らの身体をひと呑みにできそうな巨体は、その両目も大きくてバスケットボールくらいあるだろう。そんな瞳からぽろぽろと雫がこぼれ落ちる——こんな宝石みたいに綺麗な涙を、父さんのために流してくれるなんて。
「人の寿命が短いことはわかってたつもりだったが、二十年ぽっちで会えなくなっちまうとはなあ。不覚だった。ごめんな、カズテル殿。今度、あんたの好きだった酒を持ってくるからよ。一緒に飲もうや。……『我が友輩の思いよ、天へ舞い上がれ。無限の空に溶け常に我らとともに』」
庭の隅、父さんの遺髪を埋めた場所に頭を下げて口先を近付ける。最後のはたぶん、竜族ならではの祈りの言葉なんだろう。
ありがとう、と言うのも違う気がしたので、僕も一緒に目を閉じて祈る。
黙祷が終わるのを待って、彼(彼なのか……?)に問うた。
「ジ・リズさんは、うちの両親とどこで知り合ったんですか?」
「おお、あんたはふたりの子供か! そういや最後に会った時、ちっこい雛がいたっけなあ。さすがに儂のこと覚えちゃおらんだろ?」
「わお。お会いしたことあったんですね……」
なんとびっくり、僕はもうドラゴンを見たことがあったのだ。赤ん坊だったのが悔やまれる。
「むー。私も覚えてない」
「お、エルフの嬢ちゃんもまだよちよち歩きだったもんな。そこのクー・シーは儂のこと覚えてるか?」
「わう?」
「ダメか……まあ、しゃあねえなあ」
頭を水平にすっと沈めるジ・リズさん。どうも、人間でいうところの肩をすくめる動作なようだ。
「それで、天鈴殿とカズテル殿に出会ったきっかけだったか? 儂はついこの前まで、もっと南の方にいたんだがな。その時に山深くまで入ってきたふたりとたまたまな。カズテル殿が儂のことをワイバーンと一緒くたにしやがってな。それで、儂がキレた」
「うわあ」
竜族と亜竜はまったくの別物で、同じふうに扱うと(竜族の方が)怒る——前にカレンから聞いていたから知識があったけど、そうじゃなかったら絶対に僕だってやる。異世界で生まれ育った父さんは言わずもがなだ。
「だが、儂がキレて火を吹きかかったところで天鈴殿が更にキレてなあ」
「ちょっとジ・リズ、黙りなさい」
「そのあとは大激闘よ。三人で暴れた結果、儂の住んでいた山ひとつほぼなくなりかけてな。いやあ、あの時の天鈴殿っつったら、そりゃあおっかなくて……」
「おいジ・リズ、私は黙れって言ったのよ」
「母さんなにしてんのさ……いや昔じゃなくて今ね? なんか魔力練ってない? 僕、そういうのわかるようになってきたんだからね?」
「っ、と……違うのよスイくん。大丈夫、なにもしないわ」
「おお、あの天鈴殿を言葉ひとつで止めるとは。坊主、やるじゃねえか。カズテル殿は止められなかったのによお」
「ジ・リズ? 本当に、あんた、丸焼きにしたあとで冷凍するわよ?」
「わかった、わかったから。古い友達だってのはわかったから!」
ジ・リズさんは面白がってるし、母さんは殺気立ってるし、カレンはなんか楽しそうに見てるし、ショコラは我関せずで虫を追いかけてるし。
「それにしてもあなた、新しい住処を探すってガガセズ山からいなくなったと思ったら……虚の森にいたのね」
「貴殿らこそ、よもやこんなところに引っ越しているとは思わんかったぜ。まあ、融蝕現象はどこに起きるかわかんねえもんな。二度めも同じ座標とは限らん。……しかしこんな深奥部で普通に暮らしているとは、小さき身でよくもまあってなもんよ。さすがふたりの息子なだけあるな、坊」
「あ、ありがとうございます」
ドラゴンに褒められてしまった。
こんな経験、日本にいたら絶対できなかったな……。
「ジ・リズさんはどの辺りに住んでらっしゃるんですか?」
「おお、ここよりももっと北に山脈があるだろう? そのうちのひとつに竜族の集落があってな。今はそこで所帯を持ってる」
「ここよりもっと奥か……危なくないんですか? この森ってなんかやばいところなんでしょ?」
問うと、ジ・リズさんは首を傾げた。
「む? ぬし、誤解してんな。そうか、こっちの知識がまだ浅いんか」
「そういえばそういうの、詳しくは説明してなかったわね」
母さんが代わりに教えてくれた、いわく。
この森は大陸の東部に広がっており、深奥部がいわゆる『神威の煮凝り』——魔力坩堝が発生しやすく消えにくい地域となっている。今まさに僕らが居を構えているこのあたりである。
ただ『深奥部』とは『森そのものの中心部』であり、ここから東西南北どこへ行っても中心部から離れる、つまり森は浅くなるのだ。
僕は『南に人の街がある』という情報から、漠然とそれを起点に——「ここから北に行けば森はもっと深くなる」と勘違いしていたのだった。
「まあ正直、この辺りの空気は儂でもちっとばかり尾っぽがぴりぴりする。変異種の縄張りに引っ掛からん上空からなら問題ねえが、地上を歩き回るのはなあ」
「でも竜族なら変異種も余裕なのでは?」
「んなわけあるかい! 儂くらいになれば一対一で正面からなら負ける気はせんが、大概の同胞は変異種を前にすれば、同じ条件で五分五分ってところだ。向こうの方が数が多かったりでもすりゃ、儂でも手こずるし、なんなら逃げる」
「えっ、母さん、変異種のグリフォン二頭を瞬殺してたよね?」
「おい天鈴殿、貴殿の息子、ものの常識がまったくわかっとらんぞ」
「大丈夫よスイくん、あんな魔物、何百匹来ようとお母さんに任せなさいな」
「……儂、もうなんも言わんとこ」
なんとなくわかってきた。
うちの母さん、とんでもなく強い。そしてカレンもおそらく、とんでもなく強い。ショコラも言わずもがなでとんでもなく強い。僕は——正直、どうなんだろうな。変異種の攻撃でもびくともしない結界は発動できるけど。
「しかしまあ、ご近所さんができたっつうのはいいことだ」
ジ・リズさんが目を細めて牙を剥いた。たぶん笑ったんだろう。牙を剥いたにしては愛嬌が感じられたから。
「今度、うちまで遊びに来な。人の脚にはちっと遠いが、儂の背中に乗ればすぐよ」
「背中ですか!? ドラゴンの背中! 飛んでくれるの!?」
「お、おう……急にぐいっときたな……」
いやそりゃ興奮もする。古今東西のファンタジーにおいて、竜の背に乗って飛ぶのは鉄板にして最高のイベントだろう。「男の子ってこういうの好きなんでしょう?」の典型みたいなやつだ。男の子とか女の子とか関係なく好きだろと叫びたいくらいのやつだ。父さん母さん、僕を異世界に産んでくれてありがとう。
「まあ、魔術で守るから風も心配いらんし間違って落ちることもない。うちの雛どもも、なんなら集落の奴らも喜ぶだろうさ。だからいつでも……」
「そうね、そうだわ」
僕が喜んでいたのに気をよくしたのか、得意げに語るジ・リズさん。
その言葉を遮って母さんが不意に、思い付いたかのように手を叩いた。
「ジ・リズ、ここから南に人間の街があるの。シデラっていうんだけど……ちょっとそこまで私たちを乗せていってくれる?」
「えっ、儂の話聞いてた?」
「聞いてたわよ、私たちを乗せて飛べるんでしょ? 丁度よかったわほんと」
「そこしか聞いてねえ……」
「行きの五日間が短縮されるから、スイくんの不安もだいぶ軽くなるわ。よかった、ほんと。いいところに来てくれたわね」
全員が唖然とする中、母さんだけが満面の笑みであった。
「みんな、今からは支度できる? さあ、物資を取りに行きましょう」
ジ・リズさんと波多野夫婦の出会いは、カレン2歳、スイ生後半年くらいの頃。冒険者として活動していたお父さんが依頼を受けてジ・リズさんの棲む山に鉱石を採掘しに行ったところ出会いました。
「なにしてんだ?」「石採りたいけどいい?」「いいぞ。ところでぬしらどこから来たんだ?」……って感じで最初は友好的に話をしてたんですが、お父さんが異世界出身の無知でやらかして喧嘩に。そしてひと通りハチャメチャに戦ったのちに友達に。
なお竜族と人間は特に敵対などしていません。寿命や文化や個の強さ、姿形があまりにも違うため逆に争いが起きない——みたいな感じです。