それは相手も同じみたいで
そして、仰々しく一礼した後。
頭を上げたユズリハ=シルキアさんは、にか、と笑う。
「まあ、そういうわけさ。手間を取らせちまったね」
先ほどまでの我関せずといった無表情とは一転、妙に人懐こいその顔は、近所のおば——いや、お姉さんって感じだ。
「……ん? あんたいま、なにか胡乱なことを考えなかったかい?」
「いえ考えてないです」
片眉を上げられた。僕は誤魔化すようにショコラを撫でる。
「わふっ……?」
「母さんの相手してくれてありがとうな」
「わん!」
そんな僕らを一瞥すると、カレンと母さんへ向き直るユズリハさん。
「……久しぶりだね、カレン。元気にしてたかい?」
「ユズリハさんこそ。長老会の席にいて驚いた」
「ヴィオレも、ご無沙汰。黙ってて悪かった」
「別に構わないわ、エミシからもなにも聞いていなかったもの。……まあ、事前に教えられてなかったし無視もされてたから敵だと判断してた。それだけのことよ」
「いや手厳しいね。でも、さすがにあの空気でにこやかに挨拶はできないだろ?」
談笑し始める三人。
え、いや、その口ぶり……、
「まさか、知り合いなの……?」
「ああ、そうさね」
頷くユズリハさん。
「カレンは、同じ始祖六氏族として。ヴィオレは『大発生』の時にね」
「……ユズリハはルイスたちと同様、私の幼馴染でもある」
エミシさんが仏頂面で説明を加えてくれる。
むっとしているのはたぶん、同じ長老会であるユズリハさんが奔放に振る舞っているのが気に入らないのだろう。
「じゃあ、カレンも母さんも、知らんぷりしてたってことか」
——というか、事前に知らされることなくこの場に座っているのを見て、敵味方定かならずと判断していたようだ。
「というわけだ、ミヤコ婆さん。クニザエの爺さんはこのままにしておいて構わないよな? 率直に言うとね、私も爺さんの脅迫は腹に据えかねたんだ。ありゃあ、人の道に外れてる。長老のひとりとしても、始祖六氏族が一、シルキアの当主としても……看過はできない」
殺気めいた視線を送るユズリハさんに、ミヤコ=ヴェーダはゆるゆると首を振った。
「仕方ない。この男は昔からこうある。目的のためなら下衆な手段も許されると心得違いをしておってね。……ま、わらわとしても足を引っ張る味方は要らぬ。都合がいいとしておこう」
呆れた口調の彼女だけど、呆れたいのはこっちの方だ。
つっこみたい。めちゃくちゃつっこみたい。
あなたがついさっき僕に言ったやつ——『帰ってもいいけどこの国は滅びちゃうよ? きみはお人好しだからそんなことできないよねえ(意訳)』ってあれは——下衆な手じゃないのかと。
「くぅーん……」
「僕もお前を撫でて精神の安定をはかろう」
我慢してショコラをわしゃわしゃする。お前がいてくれて本当によかった。帰ったらお腹がはちきれるまでミルクを飲ませてやるからな。
「イズク、下がらっしゃいな。西部屋で控えておれ」
「はい」
ミヤコ=ヴェーダがそう命じると、控えていた青年が踵を返す。僕らはおろか、カレンすらも素通り。まるで自分の意思などないかのようで、気味が悪かった。
「考えてみればあいつ……丁寧な挨拶はしてたけど、カレンに懸想してるふうじゃなかったんだよね」
「ん、私もそれは思った。視線に温度がない。たぶん、私に対してなんの感情も持ってない」
「まったく。軽い牽制のつもりだったがとんだ痛手を喰ろうたものよ。……じゃあ、行くかね。スイ=ハタノ」
椅子から立ち上がり一同へそう告げ、少女の歩幅でてくてくと歩き始めたミヤコ。
だが、しかし。
「……待て」
それを阻む低い声が、隣の席からあがった。
僕の恫喝に失敗して以降、ほとんど沈黙していたモアタ=ピューレイだ。
「なにかえ? 用があるなら後に——」
「いいや、今だ。今でなくてはならん。……スイ=ハタノ」
目上の相手であるミヤコを掣肘して、僕の名を呼び。
モアタは低い声で、続けた。
「貴様の魔導が凄まじいのは認める。俺ではとても敵わぬのも認める。だが、貴様は言ったな。物事には踏み越えてはならぬ一線がある、と」
瞳に宿るのは、憤怒。
そこに無念と屈辱を混ぜて煮詰めたような、どろどろした気配だ。
「言いました、確かに」
「ならば、取り消せ」
握り締めた拳は血が滴りそうなほどに白く、対して顔は奥歯を咬み砕きそうなほど赤い。
そして吐き出す言葉は、
「『二千年ぽっち続いてるだけの血を残すことに価値などない』——貴様のぬかしたことだ。それを取り消せ。さもなくば俺は、退けぬ。たとえ他国に謗られようと、長老会を除名されようとも、その侮辱だけはそのままにしておけんのだ」
僕に対して謝罪を求めておきながら、まるで、僕にではなく。
自分自身、あるいはもっと大きなものへ憤りをぶつけようとしているようで——。
「俺は人生のすべてをこの国に、二千年の血に捧げてきた。始祖さまの血脈をお守りすることこそが、己の生きる証だと考えてきた。そこに価値がないと言われたことを受け入れたまま、生きてはいけん」
「……そうですか」
別にあれは本心じゃなく、売り言葉に買い言葉だった。そう反論したくはある。
先に散々、失礼なことを言ってきたのはそっちなんだ。知ったことか——そう返すこともできただろう。
けれど僕は、すべてを呑み込んだ。
なんだか、この人を突っぱねたらダメな気がしたのだ。さっき僕がクニザエ氏にした行動のように、たぶんここから先を否定し合うなら、戦争になる。殺し合いになる。きっと相手はそのくらいの覚悟を持っているのだろうと。
だから、頭を下げる。
「わかりました。撤回をします。始祖六氏族の血は決して軽んじていいものじゃない。あなたの一線を踏み越えてしまったこと、すみませんでした。……ただ、後半——始祖六氏族の血を繋ぐことよりもカレンの幸せの方が大切だ、というのは、それを踏まえてもなお僕の本心であり、譲れない気持ちです」
モアタはそれを聞いて、軽く俯いた。
俯いて、握り締めていた拳をじっと見つめ、ゆっくり開いて、閉じて。
顔を上げ、僕に言う。
「……受け入れる、かたじけない。ミヤコ殿、手間を取らせた」
「そうかえ。では、行くとしよう」
ミヤコの声音からは感情が読めない。
踵を返して背中を向け、奥の大扉へと再び歩き始めた。
※※※
僕はみんなと並んでその後に続きながら、考える。
血統主義者——始祖六氏族の血、ひいてはエルフの歴史をなにより至上とする人たちのことを。
いけ好かない連中だと思う。
カレンやドルチェさんのことを血を繋ぐ道具としか見ていないのは、腹が立つし許せない。
歴史の積み重ねとか、血の継承とか、確かに大切だとは思うけど、それを最優先にするというのはやっぱり共感できない。
でも。
僕は、モアタさんを怒らせた。
彼の逆鱗——越えちゃいけない一線を、知らず、踏み越えていたんだ。
たとえ僕にとって取るに足りないものであっても、他の誰かにとってはかけがえのない宝物なことがある。僕がまるで理解できないことであっても、他の誰かにはなによりも大切なものかもしれない。
そのことだけは、肝に銘じておこう。
相容れない相手だとしても、考えなしに踏み躙ることはしたくないから。