インタールード - シデラ:貸別荘
シデラの街、南東部。
『虚の森』からはやや離れた、しかし中央部とは通り一本で繋がった区画に、閑静な高級住宅地がある。高等級の冒険者や商会の幹部などが好んで住む、地価の高い場所だ。
そしてその一角には、長期滞在する富裕層向けの宿——貸別荘が一戸、建てられていた。
滅多に利用者のいる物件ではない。シデラはソルクス王国の辺境であり、さりとて景勝地というわけでもないからだ。この宿を利用できるほどの財力を持つ貴族など滅多に訪れないし、訪れたとしても短期滞在——『傾ぐ向日葵亭』で事足りる。
だが、ここ数日。
そんな高価な貸別荘を、ある家族が利用していた。
宿泊しているのはひとりの『魔女』、幼い子供、それから一頭の甲亜竜のみ。
いかにも奇矯な組み合わせであるが、この街の住民たちがそれに違和感を持つことはない。何故なら彼らは、シデラで最も有名な一家であるからだ。
※※※
「ミント、お空を見ているのですか?」
その日の昼下がり。
セーラリンデ=ミュカレは、ポチの背中で仰向けになってぼんやりとしているミントへと声をかけた。
スイたちが発ってから二日——彼女がこうして蒼穹に想いを馳せるのは、早くも習慣になりつつあった。
「ばあば!」
声をかけると半身を起こし、ポチの背中からひょいと飛び降りた。庭へと降り立つとセーラリンデの腰に突撃し、ぐりぐりと頭を擦り付けてくる。
「あのね、くも、みなみにうごいてた!」
「まあ、エルフ国のある方向ですね」
「すいたち、あのくもと、あえるかな?」
「そうですねえ。天空城はすごく高い場所にあると聞いています」
「くもよりも?」
「ええ、雲よりも。ですからきっと、みんなはあの雲を上から見下ろすことになりますよ。素敵ですね」
「うー!」
ミントを抱き上げたセーラリンデは、一緒にその雲を仰ぐ。
なんの変哲もない形だ。面白く見える部分もないし、大きくもない。南に流れるうちに散って消えてしまうかもしれないし、スイたちが目にすることもないだろう。
そうだとしても、届けばいい、と思う。
雲に乗せたミントの想いが、彼らに届けばいいと。
「みんな、がんばってるかな……?」
彼女のふと洩らしたそんな呟きに、
「大丈夫だよ、きっと。お父さんもついてるもん」
「そうよ。お父さんがいれば安心だわ。ポチもミントも、でんっと構えてなさい」
ふたりの妖精、花筏と霧雨が応える。
ぱたぱたと飛びながら、自慢げに胸を張りながら。
「うー! しきも、がんばってる!」
ミントはそんなふたりに満面の笑顔で頷いた。
そんな様子を微笑ましく眺めつつ、他の妖精たちの姿が見えないことに気付き、セーラリンデは問う。
「孔雀たちはどこに行ったのです?」
「街の見物よ。いったいなにが楽しいのかしら」
「霧雨、優しいもんね。ポチとミントについてなきゃって思ったんでしょ。みんなが帰ってきたら、わたしたちも行こう?」
「はあ? わたしは前にも見て回ったことがあるから、めんどくさかっただけよ。……まあ、あんたが行きたいなら案内してやってもいいわ」
意地っ張りの中に気遣いを潜ませた霧雨の言動が、実に可愛らしい。
まだ『見える』ようになって日が浅いセーラリンデだが——年末年始を森の家で過ごしたこともあり、妖精たちひとりひとりの性格もすっかり把握していた。
そして、その父親たる四季と、母親たる色。
二千年前におのが子が病となり、それを救うため世界を変え、自身らをも人ならざる存在へと転じさせた夫婦。
セーラリンデは、彼らのことが他人とは思えなかった。
何故ならふたりの子供たちが罹った病は、愛しの息子を死に追いやったものと同じ——『神の寵愛』だというのだから。
四季と色の気持ちが痛いほどにわかる。
もしあの時の自分に手段があれば、禁忌だろうがなんだろうが、間違いなくそうしたという確信がある。世界を作り変えてしまおうとも、己が世界の隙間に落下しようと、子供たちが人ではなくなったとしても。
「花筏、霧雨。では他のきょうだいたちが帰ってきたら、私たちと一緒に街へ行きませんか?」
亡き息子の面影を追うわけではない。
妖精たちも、ミントも、あの子とは違う。想いを重ねてしまうのは失礼だ。
だけど、わかってはいるけれど。
やはり自分は、幼い子たちには甘くなってしまう。
「なにか、お菓子を買ってあげましょう。まだ春は少し先だから種類は少ないかもしれませんが……焼き菓子ならいろいろあるでしょう」
「ほんと!? ありがとう、おばあちゃん!」
「く、クッキー……! こほん。へえ、なかなか気が利くじゃない人間」
「ばあばと、かいもの? やたっ!」
花筏がはしゃぎながら頭に乗ってくる。
霧雨はにまにまと頬を緩めながらも偉そうな仕草をどうにか保つ。
そしてミントは喜色を浮かべ、いっそうぎゅっと抱きついてくる。
「これからしばらく、たくさん予定が詰まっていますからね。みんなで甘いものを食べて英気を養いましょう」
「よてい?」
セーラリンデはそんな彼女たちへ、目を細めた。
「明日はノアップ殿下たちが遊びに来ます。王都の名物料理を振る舞ってくれるそうですよ。もちろん、ミントの好きな胡麻豆腐も」
「わあっ……ごはん、みんなでいっしょ?」
「ええ、もちろん、ベルデ殿たちも。それに、明後日は牧場に行きますからね。農家の方に頼んで、ポチに働いてもらうことになっています」
「きゅるるっ?」
「お手伝いです。畑を耕すのに、牛鍬を牽いてあげるのですよ。ずっとお庭にいたのでは退屈でしょうから、運動も兼ねてね」
「すごい! ぽち、おてつだい? みんともやるっ」
ミントがきゃっきゃとはしゃぎ、妖精たちがうずうずと身をよじらせ、ポチが楽しげに嘶く。
愛らしい子らが、笑顔を見せてくれることがたまらなく嬉しい。
「スイたちがいなくても、寂しい思いはさせませんからね」
だからあなたたちも、どうか平穏無事に、帰ってきて——。
想いを込めて、セーラリンデは蒼天を見上げる。
雲は未だ形を変えないまま南に流れ、遠く彼方にある天空の城まできっと届くだろう。今の自分には、そう信じることができた。
もしよかったら、ブックマークや評価などよろしくお願いします!