苦い記憶を思い出す
ほどなくして、報告会はお開きとなった。
正直、怒ったり落ち着いたり呆れたり驚いたりと感情が慌しかった割には、得るものが少なかったように思う。……エルフ国、特に長老会がなにを考えているかがわからなかったせいだけども。
最初は報告が終わった後に軽くお茶というか、みんなでゆっくりするつもりだった。でもさすがにそんな空気にはなれず——ハジメさんも立場上、僕らと仲良くして口を滑らせるわけにはいかないってことで——ひとまず今日のところは各方面ですり合わせしておこう、ということで落ち着いたのだった。
すなわち、クリシェさんたちはギルドとしての対応を。
ノアたちは国としての対策を。
エルフたちはまだ疲れているようだし、休息を。
そして僕ら、ハタノ一家は——エルフ国の意向に、どう対処するべきかを。
※※※
借り受けた宿は広々としていて、部屋数も部屋の大きさも我が家より上だった。厨房もしっかりしており、料理も存分にできる。ただやっぱり、我が家と比べるとちょっと落ち着かないし、そわそわしてしまう。
「ハジメのお父さんとヴィオレさまが知り合いだったの、知らなかった」
その日の夜。
蜥車に積みっぱなしだった荷物を下ろし、それぞれの部屋決めをして、夕食を食べて、湯浴みをして。ポチとミントが庭で眠りに就いた後——僕とカレン、母さん、セーラリンデおばあさまは、応接室のテーブルでお茶を飲みながら今日のことについて話していた。
ちなみに四季さんは『妖精境域』に帰っていった。「また明日来るよ」との言葉を残して、ふっと霞のように。
いや便利だな……。
ともあれ。真っ先に俎上に乗ったのはもちろん、ハジメさんが最後に告げてきた言葉だ。
『ルイスとエクセアの仇討ちをしたい』——。
「あの子の父親……エミシは、当時のアクアノの跡取り息子よ。ルイスとエクセアとは幼馴染だった。ただ正直、私とカズくんとはそこまで親しくもなかったわ」
ルイスさんとエクセアさん。カレンの両親はエルフ国の空気に馴染めず、地上に降りて冒険者として活計を立てていたそうだ。そしてそんな中でうちの父さんと母さんに出会い、互いを親友と呼ぶほどに親しくなった。
ただ、エルフ国の閉塞を厭いはしても、愛すべき故国であることは変わりない。旧友がそこに住んでいるのも、だ。
ハジメさんの父親であるエミシさんも、ふたりの旧友のひとりだった。
「正義漢というか、融通の効かない石頭というか……まあ、エミシの為人は今はいいわ」
母さんの言葉が辛辣なのは、当時の性格によるものだろう。
まだ父さんと結婚する前、人間嫌いだった頃のことだから。
「……カレン。あなたが生まれた時のことよ。ふたりは里帰りしてあなたを産んだ。私たちも付いていったわ」
母さんの唇が、固く強張る。
なにかを耐えるように——なにかを、思い出すように。
「無事にお産が終わって、エクセアの体調が落ち着くまで、私たちもエルフ国に滞在することにしたの。ふたりは家に戻っていて、私たちは少し離れた場所に宿を取った」
「ショコラはその時、もういたんだよね」
「わふっ?」
「ええ、まだちっちゃかったけど。よちよち歩きだったわ」
「ふすっ……くぅーん」
名を呼ばれたショコラが母さんに身体を寄せていく。
母さんは——そんなショコラの身体を、ぎゅっと抱いた。それはまるで、昼間のカレンのように。
自分の心を締め付ける痛みを、和らげるように。
「……変異種が出たのよ。群体の、蟲よ」
「それは、エルフ国に……?」
「ええ。おそらく、歴史を見ても未曾有のことよ。街中に変異種が大量に発生したなんて。しかも、空の上の城……逃げられない場所に」
僕は思わず、息を呑んだ。
空に浮かぶ孤島、おそらくは人口の密集していたであろう街に、蟲の変異種だって?
どんな被害が出るのか——想像すらしたくない。
カレンとおばあさまへ視線を遣る。
ふたりとも真剣な顔をしているが、驚いた様子はない。初めて聞くのは僕だけか。
母さんは続けた。
ショコラの毛並みを撫でながら、苦渋に満ちた声で。
「……始祖六氏族の居住区は、一般区画とは壁で仕切られていてね。手続きも面倒くさくて、おまけに入り組んでいて。平時でも行き来にはすごく時間がかかったのに、変異種のせいで一帯は混乱していた。だから……私たちは、遅れてしまった」
ずっと、疑問に思っていたことがある。
事故で亡くなったというカレンの両親。
父さんが魔剣を打ってもらう時、ノビィウームさんのお師匠さまへ口にした「親友夫婦を守れなかった」という言葉。
そんなことがあるんだろうか、と。
父さんは強かったはずだ。もちろん、母さんも。なのに、し損じるなんてこと——守りたかった生命を取りこぼしてしまうなんてこと。
僕にはいまひとつ、想像できなかった。
経緯を聞かされて、思わず唇を咬む。
それは不運に重なった不運。
時間が、距離が、タイミングが、場所が、すべての因果が悪い方に転がったんだ。
どれほど無念だっただろう。どれほど悔しかっただろう。
父さんは——僕らは、因果に干渉する魔術が使えるのに。闇属性の魔術は、未来を良い方に変える力なのに。それなのに。
「ふたりとも、強かったのよ。称号こそ『賢者』止まりだったけど、私たちと一緒に戦って、足手纏いにならないくらいには。でも……大量の変異種を前にはどうしようもなかった。私たちは間に合わなかった。全力で駆け付けたけど、間に合わなかったの」
そして父さんと母さんは、ルイスさんとエクセアさんからカレンを託されたのか。
だったら、かろうじてご臨終の時には——いや、僕が考えたって仕方ない。
「ヴィオレさま。お父さんとお母さんは、事故だったんでしょ?」
「ええ、そうなっているわ。変異種が大量発生してそれに巻き込まれたんだから。ふたりに限らず、あの当時に亡くなった人はみんな、事故とされている。でも……」
そう、でも。
長いこと『不幸なこと』『仕方なかった』とされていたその事件が、覆されようとしているかもしれない。
「エミシは伝言で『仇討ち』と言った」
仇討ち。
それはつまり、仇がいるということ。
「あれは、事故じゃなかったっていうの……?」
母さんのつぶやきに誰も答えることができない。
壁にかけられた振り子時計のかちかちという音が、僕らの沈黙をざわめかせた。