帰路に揺られて夢を見る
出かけたのならば帰らなければならない。
それは自然の摂理であり、ものの道理である。
陽が傾くよりも少し前——たぶん、午後三時くらい。
荷物をまとめ、撤収することになった。
「なかなかいいスポットだったね。また来よう」
僕は、陽光が反射してきらきらする湖面を眺めながら言う。
「ん。次はもっと探検する。ね、ミント」
「うー! こんどはぎゃくに、ぐるっとしたいっ」
ミントを背後から抱きかかえたカレンと、カレンに体重を預けるミント。
「お弁当、少しあまってる分、道中でつまみ食いしちゃいましょうか」
悪戯っぽく笑う母さんが手綱を握りながら提案する。
「きゅるるう!」
「わうわうっ!」
そして蜥車を牽引するポチと、それに随伴するショコラ。
冬風が冷えていく中、来た道を帰る。それは少しだけ寂しいけど、一方で楽しい。名残惜しさと同じくらい、待ち遠しさ——我が家を望むそんな気持ちがあるんだろう。
「そういえばスイくん、あの湖の他にもよさそうな場所はあったの?」
「うーん……景観って意味じゃ、あれ以上のものはなかったなあ。でも、登って遊べそうな岩場とか、走り回れそうな草原とかはあったよ」
「楽しそうね。毎回あの湖だと飽きちゃうし、場所を変えたいわ。お母さんもちょっと探してみようかしら」
「いいかも。僕らも、深奥部をくまなく探索できたわけじゃないし。たぶん、見知らぬスポットはまだまだたくさんあるよ」
母さんとそんなことを話しながら。
「スイ、私も釣り、やってみたい」
「カレンが? そっか……やりたいのか」
「むー。私にはやらせたくないの?」
「いやそうじゃない、そうじゃないんだ。でもさ……ふわっと始めたカレンがもし僕よりも上手かったらって思うと……」
「だいじょぶ。私は餌の付け方もわからない」
「そういう子があっさり大物を釣っちゃったりするんだよなあ!」
カレンとそんなふうに笑い合いながら。
「はいミント、あーん」
「あーん……んぐ、おいしー!」
「お昼過ぎてからも、いっぱい運動したもんね」
「そう! あのね、すい。みぎのほうにいったところに、おっきなくもがいたの。みんとたちみて、わーってにげちゃったけど!」
「蜘蛛……蜘蛛かあ」
「ふわふわしてた! かわいかった!」
「そっか……見たいような、見たくないような……」
「ね、ね! こんどは、はないかだたちもいっしょはどうかな!」
「そうだね。妖精さんたちと蜥車に揺られるのも楽しそうだ」
ミントの取り止めのない話に微笑みながら。
「ポチ、たまには僕が背中に乗ってみてもいいか?」
「きゅるるっ! きゅうっ!」
「大丈夫か? 重くない? 重かったらすぐ言うんだぞ……よいしょ」
「きゅるるる! きゅーーーっ!」
「はは、高いなあ。それに力強い。ポチはやっぱりすごいな」
ワゴンを牽くポチと戯れながら。
「わうっ! わんわん!」
「お前、あんまり遠くに行くんじゃないぞ。あ……棒か」
「がふっ。ふすん」
「これはまたいい感じの棒だな……S字に曲がっててかっこいい」
「ふすっ、くぅーん」
「お、勝負するか? 僕の剣に敵うかな?」
「わん! わうっ!」
「あっさり捨てた」
気ままにうろつくショコラと遊びながら——。
「ミント、あんまり食べすぎるとお夕飯が入らなくなるわよ?」
「うー、でも、おいし……」
「この分だと、眠くなるのが先かもしれないなあ。夕ご飯は軽いやつにしようか」
「くぅーん」
「見て、スイ、ヴィオレさま。ショコラが御者台にお座りしてる。気に入ったのかな」
「かなあ。……そこから見るポチの背中もなかなかのもんだろ」
「きゅるっ?」
「わふっ!」
「あら、飛び降りちゃったわね」
「しょこら、おそといく? みんともいく!」
「この分だと、帰りと日暮れが同じくらいになるかな」
「きゅるるぅ……!」
「そうだな、ポチは夜道でもへっちゃらだなあ」
「いつもは夜通し歩いてくれてるものねえ。いつもありがとう」
「わうわうっ!」
「わかってるよ。お前もちゃんとポチのこと守ってくれてるもんな」
「むふー。ぽちも、しょこらも、えらい!」
「ん、えらい。よしよし」
会話は途切れることがない。
笑い声を交えながら、森に轍を刻みながら、僕らは帰路を進む。
帰ったらまずは夕食の支度かな。
いや、その前に厩舎のストーブに火を入れないと。
お風呂のボイラーはカレンにお願いしよう。
そうだ、お弁当箱もちゃんと丁寧に洗って、汚れを落として——。
※※※
陽は傾き、西の空が仄赤く染まっている。
カレンが手綱を持って御者台に座っている。
ポチは意気揚々と歩む。
「あるーきつかーれてー。ふふーんふふふーん。……」
ミントが歌っている。
ワゴンの天井で景色を眺めてながら——歌詞をよく覚えていないらしく、途中からは鼻歌になっていて、それが可愛らしい。
そしてショコラはてくてくと、気ままに蜥車と同道する。
ミントの歌は、日本で生まれた曲だ。
美しく、どこかもの寂しく、胸が締め付けられるような、それでいて優しい旋律。
確か曲名は、そう。
「……『愛しい我が家』」
ワゴンの中、ぽつりとつぶやくヴィオレの膝を枕に、スイが眠っている。
ミントの鼻歌と蜥車の振動を子守唄に、すやすやと寝息をたてるその様はまるで幼い子供のよう。
——いつだって母親にとって、子は、そうなのだ。
「ヴィオレさま。景色が見たことあるのになってきた」
「そう。あとどのくらいかしら」
「半刻もない。……起こす?」
「そうね……」
寝入ったその黒髪を撫でながら、ヴィオレはゆっくり首を振った。
「いえ、もう少し。このままでいさせて」
第八章『凍てつく風のあたたかさ』でした。
大きな事件の起きない、キャラクターたちの日常を描いた章になりましたが、ただ日常を過ごすだけでもいろいろなことが積み重なっていくものですね。
スイくんたちにとっても思い出深い冬になったことでしょう。
次回からは第九章です。
『天空の城、エルフの仔』と題してお送りします。
お楽しみに。
なお、書籍版も発売中です。そちらも手に取っていただけたらと思います。素敵なイラストに加えて書き下ろしパートもあるので、webで読んでいる方も是非。
書籍の調子がよければこのお話も心置きなく続けることができるので、どうかよろしくお願いいたします!