インタールード - 穏やかな年始②
パルケルはご機嫌だった。
というのも、故郷で慣れ親しんでいた香辛料がシデラに輸入されてきたからだ。
赤く細長い実であるその香辛料を『コショウ』という。王国で広く使われている『胡椒』とどういうわけか同じ名で呼ばれていて、おそらくこっちでいまいち普及していないのはそれもあるのではないかと思う。
見付けてくれたのは、スイ=ハタノである。
森の中に棲む友人は少年時代を異世界で過ごしたという唯一無二の経験から、一風変わった知識を持つ。どうやらコショウと類似したものが育った地にあったらしく、市場で発見し、教えてくれた。
とはいえ通信水晶の連絡に最初、首を傾げたことは内緒だ。
スイはコショウのことを『トウガラシ』と呼んでおり、その名称はパルケルにとってわけのわからない異国の響きでしかなかったからだ。『市場 トウガラシ あり』などと送られてきた時は、送信先を間違ったのではとすら思った。
すったもんだはあったものの、親切なことにスイが店に取り置きを頼んでくれていたので、パルケルは無事にコショウを入手することができた。なお、店主には継続的な入荷をお願いしておいた。スイもたくさん欲しがっているようだし、獣人の同胞たちにも需要はある。だいぶ高くはつきそうだが、仕方ない。懐かしの故郷の味を王国でも食べられるのであれば、お金などたいした問題ではないのだ。
そんなこんなで喜び勇んだパルケルは、購入したコショウでとっておきの料理を作ることにした。
※※※
「獣人領はね、地域によって寒暖差が激しいんだ。南は暑くて北は寒い。あたしは北の方……寒い地域で生まれ育ったから、身体をあっためるためにこういうのをよく食べてた」
そのように講釈する婚約者と、目の前に置かれた汁物のどぎつい赤色。それからぽかんとするドルチェを見比べて、ノアップは思わず苦笑した。
屋敷、夕刻。
冬季遠征から帰ってきたばかりの身に、赤いスープからたちのぼる湯気が滲みる。
具体的には、とんでもなく辛そうだった。
獣人領で盛んに食べられているスープだ。
具材は鳥肉と川海老、それにキノコ類。
これを『コショウ』——ニンジンを小さくしたような形の香辛料を主な味付けに、牛乳や冬酸橘、様々な香草、それに魚醤などと合わせて煮込んでいる。
「俺は初めてではないからいいが、ドルチェは大丈夫か?」
居候の少女に思わず尋ねる。
ノアップは獣人領に行った際、これを振る舞われたことがある。確かに旨い。が、辛い。とにかく辛い。ここまで辛くする必要があるのかと思うくらいに辛いのだ、これは。
「よくわかんないけど、いい匂いがするっす。いただきます」
だがノアップの懸念を他所に、ドルチェは臆した様子もなく匙を手にしてスープを口に運ぶ。
ひと口、ふた口。
三口めを食べようとしたところで、その手が止まった。
「あっ、ひ。ぴええええっ!?」
想像通りというか、想像以上というか。
ドルチェの顔が真っ赤になり、口元を押さえてじたばたともがき始める。
「あつい! いたい! なんすかこれなんすかこれ!」
「あはは、辛いでしょ? ほら、ミルク飲みな、少しはマシになるから」
「ひいいいっ! んぐ……ひふー……」
ミルクをがぶ飲みしてひと息つき——ぜえぜえしているからひと息とは言い難いが——汗をだらだら流すドルチェを案じながら、ノアップはパルケルに苦言を呈した。
「そら見たことか。お前も意地が悪いぞ、最初に説明しておけ」
「いやあ……作る前、今日の料理は辛いけどいいかって尋いてたんだけどさ。ドルチェ、いいって言うもんだから」
「こんなのとは思ってなかったっす……」
「確かにコショウの辛さは王国で出回っている香辛料と質が違う。そこも含めて説いておくべきだったかもしれんな」
胡椒にせよ玉葱にせよ、こんなふうに——辛さがいつまでも後を引くようなものではない。後を引くというよりも、後から来る、と形容した方が正しいか。おそらくそれも、王国でコショウがいまひとつ普及しない原因のひとつなのだろう。
「ふひー……酷い目に遭ったっす……」
やっと落ち着いたドルチェはしかし、再び赤いスープへと匙を入れる。
「おい、だというのにまた食べるのか? 無理をしなくてもいいのだぞ。他の料理もたくさんあるのだ」
当然ながら食卓に並んでいるのはスープだけではない。肉料理、パン、温野菜、それらすべてに辛くない味付けが施されている。
それでもやっぱり匙を持つ手は止まらない。
掬い、口に運び、食べ顔をしかめてひいひいと息を吐き肩を震わせながら、
「いや、口の中が痛いけど……美味しいっす、これ」
「おお、ドルチェわかってるじゃん!」
美味しそうに、スープを食す。
「驚いたな。きみは故郷で、辛いものを食べ慣れていたのか?」
「いや、全然っす。そもそもアテナクの集落じゃ、美味しいものなんてほとんど食べたことなかったっすから」
「……っ」
彼女の返答は、ノアップたちにとって重かった。
もっとも、本人には気にしたふうもない。
「あの時、スイさんの料理を食べさせてもらって、この世にこんな美味しいものがあるんだってびっくりしたっすよ。シデラに来てからも、食べるもの全部が美味しくて……今まで食べたことのなかったものばっかりだったっすから」
そして続く言葉に、ノアップは得心した。
表情からして、おそらくパルケルも。
「この赤いやつもさっきはびっくりしたけど、こういう味なんだってわかれば大丈夫っすよ。辛くて酸っぱくて、美味しいっす。ちょっとずつしか食べられないけど……」
——ああ、そうか。
この娘にとって、シデラに来てからの食事はどれも、初めてで新鮮なのだ。
美味いものを知らず——いや、それどころか『美味い』という感覚すらろくに体験したことのなかったドルチェにとって、珍しい異郷の料理であっても関係ない。むしろ、味わうすべてが異郷の料理であり、あるがままに受け止めて楽しめるものなのだろう。
「……あんた『いいっすよ』って、よくわからないまま言ってたんだね」
「うん、よくわからなかったっすよ。だから、いいって言ったんっす」
ずれた受け答えは彼女の境遇を考えれば痛ましくある。
ただ同時に、彼女の心根を考えればなんとも好ましい。
「よくぞまっすぐに育ったものだな」
「なんか言ったっすか?」
「いや、スープを楽しめたのならよかったと、そう言ったのだ」
かつての己の境遇をほんの少しだけ重ね、ノアップは微笑んだ。
仮にも王族として遇された自分とあからさまに疎外され続けてきたドルチェとは比べるべくもなく、むしろ烏滸がましくさえあるが、それでも——彼女がこんなふうに屈託なく食事を楽しんでくれているのは、なにか救われたような、そんな心地さえする。
「ひえー。食べてると汗かいてきたっす。暑いっす」
「さっきも言ったけど、辛いものは身体があったまるんだ。だから冬になるとあたしら獣人は、こいつをよく食べてた」
「ぽかぽかするっす。寒くないのは、いいことっすよ」
がしがしと子鼠のように川海老の尻尾を齧るドルチェの頭を、パルケルがわしゃわしゃと撫でた。きょとんとするドルチェに、ノアップはうむ、と頷き、傍にあった大皿を差し出す。
「ほら、辛いものばかりでは胃が驚くぞ。他のものもしっかり食べておけ。ミルクを飲むのも忘れるな」
お小言を聞かせながら——自分が幼い頃、兄姉たちがなにくれと世話を焼いてくれたのを思い出した。きっと彼らも、今の自分と同じような心持ちだったのだろう。
——なお、後日この料理を振る舞われたスイくんは『トムヤムクンだ!』と大喜びしたとか。