街で見つけた赤いやつ
あれから、雪はあっという間に溶けていった。
雪遊びの限りが尽くされた我が家の敷地内はもちろん、一メートル以上も積もっていた敷地外も、二、三日で日向では地面が見えるようになった。
気温が高かったせいもあるし、『虚の森』の魔力の濃さがなにか関係しているのかもしれない。そういえば雨季の後も、水はけは異様に良かったなと思い出す。
ともあれ——。
ぐずぐずになっていく地面と、水っぽくなっていくかまくら、そして形を失っていく雪だるま。
ミントはその様子を、最後まで見届けた。
涙を堪えながら、寂しそうにしながら、それでも。日に何度も牧場に行って、ぎゅっと唇を引き結んで。
三日後の夜に雨が降ったせいで、思い出たちはついに跡形もなく消えてしまったけれど、ミントはもう嘆いたり悲しんだりする様子はなかった。ただ静かに目を閉じてから雨上がりの空を見上げ、くるりと振り向いて僕らに笑ったのだった。
※※※
そして、雪の降ったあの日から一週間が経ち、新年も十日を過ぎた頃。
僕らは久しぶりに、シデラの街へと赴いていた。
メンバーは少し珍しい。
僕、ショコラ、そしてミントである。
「すい? まえにきたときより、ひと、すくないね」
「冬だからかな。市場もあんまり活気がないな」
街へ出たのは、ノビィウームさんのところに所用があったからだ。それも早々に終わり、帰りのついでに市場へ寄ってみたものの——やはり冬の最中、取り扱う品も人通りも少ない。
「ベルデさんたちにも会えなかったしなあ」
せっかくだから挨拶くらいはと思っていたが、タイミングも悪かった。冒険者組は冬季調査だとかで森に出ており、帰るのが数日後とのこと。冬は休みが多いと聞いていたから油断していた。まさか数少ない仕事の時に当たるなんて。
加えてリラさんもトモエさんも勤めに出ており、結局、顔を合わせることができたのはノビィウームさんだけだった。
「まあ仕方ない。こういう日もあるさ」
「くぅーん……」
「でも、ひと、すくないと、とおくまでみえるよっ」
「そっか、ミントが前に来た時は人だらけだったもんね」
大通りも閑散としているので、ミントが迷子にならないよう気遣う必要もないし、ショコラの足取りも軽快だ。……というかミントを背中に跨らせ、てくてく楽しげに歩いている。
「お? 兄ちゃん、久しいな」
「どうも、こんにちは」
顔馴染みである野菜売りのおじさんが、僕を見付けて声をかけてきてくれた。
「今の季節、トマトはねえぞ」
「もういいでしょその話……。変だったってのは認めますから」
初対面の際、店先のトマトを生で齧ってびびらせてしまった、あの人である。
仕方ないじゃん、日本では生食が当たり前で、そういう品種ばかりが並んでたんだから……。
あの時は無愛想な人だなと思っていたけど、何度も顔を合わせるうち、気さくに接してくれるようになった。
「……ところで犬ころ、大丈夫なのか? そんな大きな子を乗せて」
おじさんは僕の横にいるミント(ライドオンショコラ)に目を見開く。
まあ、そうだよね。犬ってそもそも、人を背中に乗せるような動物じゃないし……。
「うちのショコラは強いから大丈夫です」
「わふっ」
「こんにちは、みんとだよっ!」
犬の上でひょこんと下がった頭に、おじさんの相貌が緩む。
「おお、ミントちゃんっていうのか、よろしくな。前に見たことがあるな……飴を買ってたっけか?」
「すごいですね。挨拶が初めてってことは、通りすがりだったでしょうに」
感心する僕に、おじさんは片眉を上げ、
「商売柄だ。……残念だったなあ、嬢ちゃん。飴売りのやつはさすがに今の時分、店を出してねえんだ」
「あめ、ないの? ……でも、おやさいはいっぱいあるね!」
「おお、野菜には冬でも収穫できるやつがあるからな。野菜、好きか?」
「すき!」
「そうかそうか、ちっちぇえのに感心なことだ」
野菜もりもり食べるんです、アルラウネだし。
「おう、嬢ちゃんもこう言ってることだし、なんか買ってけや」
「子供にかこつけてセールスするのよくないですよ? いや、もともと買うつもりではあったんですけど」
ちゃっかりしているおじさんと笑い合いつつ、軒に並ぶ野菜を吟味する。
品揃えは実に冬らしい。
白菜や小松菜などの青もの、カブなどの根菜、それからキノコ類。どれも地球とは種が違い、僕が勝手に「これは白菜っぽい」「これはたぶんカブ」とかカテゴライズしているんだけど——今のところ、食べ方や味が極端に違っているものはほとんどない。
カブなどは色とりどりの様々な品種が並んであった。
聞けば「こっちのは甘い」とか「こっちのは煮ると香りがいい」とか「これは生だと辛いが焼けば甘くなる」とか、いろいろ教えてくれる。
「お前は珍しい野菜には詳しいくせにこういうのは知らねえからなあ」
「頑張って覚えてる最中なんですよ。……あ、それ!」
思わず目を見開く。
にんにくや生姜などが吊るされている横に、細いものの束があった。
近寄って覗き込むが、間違いない。
小さな人参みたいな形をした、真っ赤な実。
乾燥させて束ねてあるそれは——、
「唐辛子だ! まさかあったなんて……」
駆け寄り、尋ねる。
「店主さん、これ! こっちでも普及してるんですか?」
「……やっぱ珍しいもんにすぐ食いつくなお前」
「今まで見たことなかった。シシトウもたぶん、なかったし……」
さっきおじさんは『珍しい野菜』って言ってた。
つまりシデラじゃ少なくとも、出回ってないってことか。
「おい、そのまま食うんじゃねえぞ。死ぬほど辛えからな」
「おお、やっぱ辛いんだ。紛うことなきレッドペッパーだ」
「ほんとお前ってやつは……嬢ちゃんも苦労するな」
「? みんと、からいのもへいきだよ?」
「お、おう、そうか……」
若干引き気味なおじさんに、構わず問いを重ねる。
「今回たまたま入ってきたんですか? それとも前から?」
「たまたまだよ。確か、獣人領で栽培してる香辛料だったか。そっちの奴らに売れるかもと思ったから買い取ったんだが……お前が飛びつくとはなあ」
「ってことは、パルケルさんも知ってる可能性があるのか。ショコラ、お前の故郷の香辛料だぞ。まあ、お前は食べられないんだけど……」
「わふ……」
もちろんこの街には、パルケルさん以外にも獣人がいる。
だからたぶん、そこそこの需要があるとは思う。
「ちょっと試してみたいんで、半分ください」
「お前の目利きなら信用できそうだな。あのちっこいトマト、今じゃ人気商品だぞ?」
「レシピは……街に普及できるやつがあるかはちょっとわかんないですけど、獣人の友達にも教えておくんで。もしうまくすれば継続的に売れるかもですよ」
ほくほく顔のおじさんから唐辛子を受け取った僕は、思わぬ収穫にうきうきしながらミントの頭を無意味に撫でる。くすぐったそうに身をよじらせたミントは、僕の手を握り返しながら問うてきた。
「すい、たのしそう! そのあかいので、なにつくるの?」
「唐辛子はね、香辛料なんだ。とにかくいろんな使い道があるんだけど……料理に使うことで、味を変えられる。ぴりっとした刺激が、アクセントになるんだ」
煮物や炒め物に散らしたり、味噌汁に使ってもいい。最近、料理の味にバリエーションを増やしたいなと思っていたところなので、すごく助かる。
それに——、
「いま作ってる料理に、欲しかったんだよね。やっぱりこれがあるのとないのとじゃ、違うからさ」
カブにしても白菜にしても、それに季節外れだから今はまだできないけど、きゅうりにしても。
向こうで作っていた時は、いつも使っていた。こっちじゃ見当たらないから、残念だなって思いつつ、仕方ないと諦めていた。でも、まさか手に入るなんて。思わぬ僥倖ってやつだ。
「……漬物にね、散らすんだ。さっそく帰って試してみよう」
上手くいけば、キムチとかも作れるかな。
それにもし大量に仕入れられるようになれば、レパートリーもぐんと広がる。
僕はわくわくしながら、店主のおじさんに挨拶をしつつ大通りを後にした。