インタールード - 新婚夫婦たちの年明け②
年始から春にかけて、『雲雀亭』は休業日を増やす。
理由はふたつある。客足と、材料費だ。
シデラの街は経済の重要なところを『虚の森』の資源に頼っている。ゆえに、森から獲物が減る冬季はどうしても金の流れが悪い。誰もが贅沢をやめて外食を控えるようになるため、喫茶店の客もがくんと減ってしまうのだ。
そしてこの時期は、食料品の緊縮も行われる。獲物が減っているのに贅沢をして食べるものがなくなったでは話にならないからだ。そして緊縮が行われるということは仕入れ価格も高騰するわけで、飲食店も対策を取らざるを得ない。
雲雀亭を含めたシデラの飲食店は、足並みを揃えて定休日を増やし営業日を持ち回ることで、これに対応している。
たとえ客足が減っても、空いている店が少なければその分、いち店舗あたりの客数を維持できる。そして数日に一度の営業とすることで、材料費が高騰する中でも価格を上げずに品を提供できるという仕組みだ。
もちろん、店による人気不人気はある。売上の偏りはどうしたって出るだろう。だがこの施策は茶寮組合が取りまとめて行っているものだ。店の規模に応じた補助金も支給されるため、特に問題は起きていない。
——ともあれ。
雲雀亭の看板娘も、店の休業日が増えたことで暇を持て余すようになった。
おまけに新婚の身空。気持ちも浮かれ、愛しの旦那さまと共に過ごすのが最も楽しい時期だ。
であれば、やるべきことは決まっている。
そう。
ケーキの試作である。
※※※
「……お前、いくら休みだからって、小麦粉や砂糖の値段もバカにならねえだろ」
帰宅してきたシュナイは、甘い匂いの漂うキッチンに顔を突っ込みながら顔をしかめた。中では妻が鼻歌混じりに、またぞろケーキを焼いている。
「別にいいじゃありませんの。私の稼ぎから出してるんだし」
「まあそりゃあそうなんだが」
背中を向けたトモエはこっちを見もせずに、ひらひらと手を振る。
「そのケーキを片付けるのは俺なんだがなあ」
「構いませんわ。あなたがお腹いっぱいになっても、働き盛りの口はまだまだありますのよ」
夫婦だけでは食べきれなかった場合、残りはすべてトモエのきょうだいたちに押し付けられる。ここから歩いて五分、彼らが通信水晶で呼びつけられる日は多い。
だが、シュナイはそれでもしかめ面を苦笑に変える。
「挨拶が遅れた。……ただいま戻ったよ」
「挨拶が遅いですわよ。おかえりなさいまし」
ようやく振り返ったトモエと、互いに歩み寄り口付けを交わす。
唇はシナモンと柘榴の味がした。
「着替えてきなさいな」
「あいよ」
結婚に際し、シュナイは自宅を改装した。
元々、トモエの実家の近所に建てていた家だ。
冒険者等級が上がってそれなりに稼げるようになってから——いつか結婚した時のことを夢見て少し広めの家にしたことは、トモエに言っていない。そして相談もせず勝手にそうしたひとりよがりな報いは、いざ結婚した際にやってきた。
つまりケーキが焼ける設備と、材料の備蓄できる食糧庫。加えて将来、子供ができた時のための部屋。そういったトモエの要望がまったく満たされていなかったのだ。まったく、自分の愚かさが嫌になってくる。
「今日は、どうだったんですの?」
自室で着替えていると、背後から声。
なので上着を脱ぎながら答える。
「ああ、まあいつも通りだが……大将がいねえとやっぱやりにくいわ」
シュナイは仕事——森に出ていた。
ただ、採取や狩猟でではない。ギルドから依頼を受けて、後進の育成だ。
これでも、斥候の技術においては他の追随を許さない自負がある。特に『虚の森』においてはなおのこと。なので今のように暇な季節にはギルドから直接、依頼が来る。新人冒険者たちに生存技術を叩きんでやってくれ、というものだ。
シュナイとしても、彼らが早死にするのは本意ではない。なのでできる限りは応じており、今日も森でひよっこどもを教導していたのだが、
「若い子たちが言うことを聞いてくれなかったんですの?」
「まあな」
「あなた、無愛想ですもんねえ。ベルデさんは強面なくせに愛嬌がありますから」
「それだけじゃねえんだよなあ……」
口の中でだけぼやく。
今日のやつらがやけに反抗的だったのは、ベルデの不在が原因でも、自分の面相がよくないからでもない。
雲雀亭の、常連だったからだ。
「……どうしたんですの? わたくしの顔をじっと見て」
「お前は綺麗だもんな」
「は? なんですいきなりっ」
急な言葉にどぎまぎするトモエの頬を軽く撫で、部屋を出る。
シュナイが雲雀亭の看板娘を射止めたことは、既に周知の事実だ。
古くからの常連客にはふたりが幼馴染だったことはよく知られていたし、大半の連中も、血涙を流しながら「トモエさんが幸せならいいです!」と祝福してくれた。もちろんトモエ自身、客に愛想を振り撒くことはあってもあくまでそれは接客としての範囲、相手を勘違いさせるような言動をしたことは一切ない。なので、表向きはさほど波風が立たなかった……のだが。
「勘違いしちまう奴は必ずいるもんだ。それも、若いのに限って」
別にやっかんでくれても妬み嫉みを抱いてくれても構わない。なんなら憎まれていても気にしない。ただ、仕事中にあからさまな態度を取られると困る。
手前の命がかかっているというのに、くだらない感情でこっちに反抗して、せっかく教えてもまともに聞こうとせず、むしろ舐めてかかる——たっぷり絞ってやったし、ギルドマスターのクリシェにも報告してはいたが、少々心配ではあった。
「お前一応、行き帰りとか気を付けとけよ」
「ああ……そういうことですか」
食卓につき、テーブルに向かい合ったトモエは得心したように肩をすくめた。
「心配無用ですわ。たとえ冒険者とはいえくだらない三下にどうこうされるほど弱い女じゃありませんから」
「そうは言うけどよ……」
「それに、お忘れですか?」
なおも不安を感じているシュナイに見せつけられたのは、フォークを持つ左手——その薬指に光る、指輪だった。
「わたくしには、これがありますから」
同じものが、シュナイの左手薬指にも嵌められている。
ノビィウームに誂えてもらった夫婦の証は、加えてスイにより魔術を付与されており、一介の平民が持つにはおよそ似つかわしくない代物となっていた。
『鉄』の称号を持つ匠が打ち、森の守り人によって仕上げられた、魔導補助具——トモエは魔術を積極的に用いて菓子作りを行う魔導士だが、その魔導はごく平均的だった。だがこの指輪のおかげで、おそらくは『祭司』の称号持ちに匹敵するほどの実力まで跳ね上がっている。若手の小僧などがちょっかいをかけようとしても、返り討ちに遭うだろう。
「スイには感謝してもしきれねえな」
「ええ、本当に。だから、恩返しをしなきゃいけないんですの。目標は『雪溶かし』の時です。……新作で、あっと言わせてやりますわ」
食卓に並ぶ料理を平らげたら、そのあとはケーキが待っている。
もちろん味の審査はシュナイの担当だ。昔から——トモエはシュナイが『美味い』と言わないと、新作の出来に決して納得しない。自分などは味覚にことさら秀でているわけでもないというのに。
肉をナイフで切り分けながら、シュナイは愛しの妻に笑んだ。
「そいつは面白え。俺も気張らないとな」
なんだかんだで暇を持て余し気味な冬の季節だが、今年は退屈せずに済みそうだ。
なお、シュナイさんに嫉妬して態度の悪かったシャバ僧どもはギルマス(クリシェさん)がきっちり絞めたので心配したようなことはなにも起きなかった模様。
いつもスイたちに疲れさせられているギルマスですが、一応は魔女の弟子であり、一般基準では相当強い人なのです。
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