虚の森には足跡がある
冬になって二度めの雪がちらついた。
寒さもじわじわと厳しくなってきて、吹く風に身体の芯が冷える。
「ここでお茶をするのも厳しくなってくるのかしら」
「ん、屋外だから仕方ない」
色さんが東屋からガーデンを眺めながら言い、カレンが残念そうに答える。
すると四季さんは笑って頷いた。
「冬のうちはこっちに遊びに来るといい。常若の国はいつだって変わらないからね」
「あら四季、それでは風情がないじゃない。わたしは雪のガーデンも見てみたいわ」
が、色さんはむくれて唇を尖らせた。
僕はふたりをたしなめる。
「確かに、冬には冬のよさがありますね。ただ、だからって『妖精境域』に遊びに行かないのも惜しいし……まあ、折々で楽しんでいきましょう」
ティーカップを傾けながら、ガゼボの横、植え込みに視線を向けた。
そこでは妖精たちが楽しそうに、飛び回って遊んでいる。
隠れんぼをしているようだ。
彼らには冬の寒さなんて関係ない。きっと気ままにふらふら、我が家にも遊びに来るのだろう。——そして両親である四季さんたちは、子らの様子を優しく見守るのだ。
「スイくん、いまいいかしら?」
蔦のトンネルを潜ってきた母さんが、茂みからひょこりと顔を出す。
「どうしたの?」
「ポチの水飲み場なんだけど……少し、流れが悪いのよね。見てもらえない?」
「わかった」
お茶をちょうど飲み終わっていたところなので、三人に軽く手を振りつつガーデンを辞す。カレンは色さんとすっかり仲良くなっていて、僕についていくよりも彼女とのお喋りを選んだ。……少し嫉妬しちゃうぞ。
「ばあば、もっかい、もっかいっ!」
「はいはい。じゃあ、今度は高く飛ばしますから、ショコラと力を合わせるんですよ」
「うーっ!」
「わおんっ!」
牧場ではミントたちがフリスビーで遊んでいた。
おばあさまが投げてるみたいだけど、平気なのかな……。
「あの人、肉体年齢は私より若いのよねえ」
母さんがおばあさまに呆れたような一瞥を送る。
確かに見た目、僕と同じくらいなんだよね。
ひゅん——と。
おばあさまの放ったフリスビーは急角度で上空へ舞い上がる。
そういえばこの前、ボール遊びをしててワイバーンに持っていかれたのを思い出す。今回は大丈夫だろうか。
「いくよ、しょこら!」
「わうっ」
たたたた、と並んで走る一人と一匹。走りながらミントは、ショコラの背にひょいっとライドオンする。そして上空のフリスビーを見据えながら、そのまま地面を蹴った。
あれじゃ届かないんじゃないか、と思うも、
「わん!」
「うーっ!」
なんとびっくり、ショコラの背中から立ち上がったミントは、それを足場に再び跳躍し——二段ジャンプで舞い上がり、フリスビーを見事にキャッチする。
「すごいわね。風と、それから闇かしら?」
「魔術なんだあれ。……まあ、物理法則無視してるよね」
ショコラとミントは無事に着地し、おばあさまの元へと嬉しそうに駆け寄った。おばあさまはにこにこ顔でそれぞれの頭を優しく撫でる。
「ショコラもすっかり懐いたなあ」
「そうね、よかったわ。……伯母さまも、私たちの家族だもの」
そんな風景を横目に、僕と母さんは厩舎へと歩いた。
「きゅるるるっ?」
「よしよし」
身体を寄せて甘えてきたポチの首筋をがしがし掻いてやりながら、水飲み場をチェックする。確かに流れてくる水が少ない気がする。というより、勢いが一定じゃないな。
「U字溝に泥とかが溜まってきたのかも。明日、掃除してみるよ」
「お手伝いできることがあったら言ってね?」
「うん、大丈夫。ミントにお願いすればすぐだよ。……でも、そっか。年越し前にこういうところも見とかなきゃな」
冬籠りの準備はほぼ終わったが、家の中も含めて大掃除するのもいい。向こうの風習だけど、年を跨ぐのを機会にいろいろすっきりさせるのは悪いことじゃないだろうから。
「寒さが厳しくなったら、水飲み場も凍るかもしれないなあ。ホースが破れたりはしないと思うけど、お前の飲み水はカレンにお願いすることになるかもね」
「きゅるっ!」
さて、じゃあ家に戻るか。ぼちぼち夕飯の仕込みを始めなきゃ。おばあさまが泊まっているから普段よりもちょっとだけ豪勢にしてるんだよね。年明けまではみんなで美味しいものを食べて過ごしたい。
そんなことを考えていた僕の隣で、ふと。
母さんが視線をじっと、厩舎の隣にある観測小屋へと向けていた。
それはつい先日、急拵えで作ったばかりのほったて。
人がひとりふたり入れるくらいの広さしかない部屋には、測定水晶と『虚の森』の地図、座標を出力する魔力盤、それに異変が起きたら自動的に鳴るベルなどが設置されている。
それをどこか切なそうに、眺める顔。
「どうしたの? なにかあった?」
問うと、母さんは僕へ背を向けたまま、ぽつりと言った。
「あれと同じものを作るのに、五年……いえ、六年かしら。無我夢中だったわ」
「それって、王都の……」
「ええ。境界融蝕現象観測装置。あの日、スイくんが転移してきたのを報せてくれた機構よ」
僕が融蝕現象を起こして、この家と父さんとショコラをあっちに飛ばしてしまったのが十三年前。
母さんは悲しみに暮れる間もなく、僕らとの再会に向けて動いた。
再度の融蝕現象が、いつどこで起きてもいいように。
僕らが帰還するその瞬間と座標を、決して逃さないために。
世界間測位魔術を利用し、魔導の知識と技術、そして財力のすべてを注ぎ込み——六年という歳月を、一心不乱に費やして。
「出来上がって最初の二年くらいは、カレンと一緒に装置の前に張り付いていたわ。でもあの子も年頃になって、いつまでも研究局に引きこもっているわけにもいかなくて。私もカレンの養母として、それから研究局の局長として、いろんな付き合いをしなきゃいけなくて」
母さんは振り向いた。
僕の頬へ手を伸ばし、両の掌で包み込む。
「今日こそ鐘が鳴ってくれますように、そう思わない日はなかった。どんなに忙しくしてても、頭の隅にはずっとあった。でも観測装置は、三年経っても四年経っても、うんともすんとも言わなくて。理論は正しいはずなのにどうして、って。……いつからか、たぶん私は、装置のことを憎み始めてさえいたわ」
そうして。
細いその腕は、僕を抱き締める。
震えるその唇は、僕の髪に口付ける。
「無駄じゃなかった。必死になってこの機構を設計した時間も。試作を繰り返した日々も。待ち続けた歳月も。どうして鐘は鳴ってくれないのって、苛立って憎らしく感じたあの思いも。……ようやく鐘は鳴って、家族が帰ってきてくれて。しかも今はこうして、この森を、私たちの家を守るために使われている。無駄じゃ、なかったのね」
「……天の、鈴」
母さんの震える背中に手を添えながら。
僕の口は、その単語を紡ぐ。
僕らの帰還を報せてくれた鐘。
森の危機を教えてくれる鐘。
母さんが僕らのために作ってくれた、天鈴——。
今回、僕がしたことは、父さんと母さんの功績の再利用にすぎない。
父さんの発案した世界間測位魔術と、母さんの発明した境界融蝕現象観測装置。そのふたつを流用し組み合わせただけだ。
以前の僕なら、思い悩みもしただろう。
ただ両親の背中を追いかけながら足跡をなぞってるだけなんじゃないかって、もやもやしていただろう。
だけど、今は。
この世界に戻ってきて九カ月を経て、それなりにいっぱしに、自分の道を歩んできた自覚のある今の僕は。
ふたりの背中がまだ前にあることが、誇らしくて。
その足跡が足元にあることが、嬉しいんだ——。
母さんをぎゅっと強く抱き締めてから離れ、僕は笑った。
その手を引き、家へ足を向け、歩きながら言う。
「行こう、母さん。今日はなにが食べたい?」
第七章『虚の森には秘密がある』でした。
『虚の森』に潜む脅威と、二千年前にあった恐怖。それらの存在が明らかになった章でした。
そして、森とともに生きる人たちを描いた章でもありました。
次回からは第八章です。
『凍てつく風のあたたかさ』と題してお送りします。
これまでとは少し趣向を変えて、スイだけではなく各キャラクターにも焦点を当てながら、冬の生活が描かれていきます。
大きな事件の起きない章になると思いますが、番外編の短編集、みたいな空気感でお楽しみください。
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