インタールード - シデラ:街の人々(前)
冒険者組合はここ数日、喧騒に包まれていた。
※※※
喧騒の中心となっているのは『前線街興進局』——俗に『スープ局』と呼ばれている部局だ。本来、顆粒コンソメの生産と販売を統括する場所であるが、今回はスイ=ハタノたっての依頼により、臨時で別口の仕事が入った形になる。もちろんコンソメの方の業務を止めるわけにもいかないため、てんやわんやといった趣きであった。
「おうリラ、弁当持ってきたぞ」
「わ、あんがとーおっちゃん! 助かるー」
慌ただしく忙しなく人の動き回る部屋にひょっこりと顔を出した、ベルデ=ジャングラー。彼の妻であるリラが、大きな図体が持つ小さな包みに目を輝かせる。
にこにこしながら弁当を受け取り軽く抱擁を交わす新婚夫婦に、ギルドマスターであるクリシェ=べリングリィは肩をすくめた。
「お前、結婚したってのにおっちゃん呼びは直ってないのか?」
「うーん、なんかねー、癖になってんのよ。家に帰ったら違うんだけどね! ねえねえ、なんて呼んでるか知りたい?」
「のろけんな、面倒くせえ」
リラひとりであればまだ可愛げがあるが、隣にいる夫が夫である。むくつけき日焼け顔が照れる様など見たくもない。
「中身なに?」
「雲雀亭のサンドイッチだ。トモエちゃんが、仕事頑張れってよ」
「やった!」
「そのサンドイッチって、あれか。スイが考案したっていう」
箱型に焼いたパンを薄くスライスし、それで具材を挟んだもの。クリシェなどは説明を聞いた時、わざわざパンを箱に形成する意味があるのか、パンに肉や野菜を挟むなど誰でもやっているではないか、などと思ったものだが。いざ売り出してみるとこれが人気となった。
具を挟んでから更に斜めに断ち切り三角形にすることで手に持って食べやすく、また彩りがあり見栄えもいい。肉と野菜だけではなく果物やジャムなどを挟んで甘く仕立てたものもあり、同じ料理なのに主食にもデザートにも化けることが、より幅広い層の支持を得た。更には『ラスク』——サンドイッチを形成する際に切り落とした表面の皮を油で揚げ、砂糖をまぶしたものも菓子としてもてはやされている。
スイが暮らしていた異世界で普及していたものの受け売りだそうで、まったく無駄のない効率的なメニューだと感心するばかりだ。
ともあれ。
「いちゃつくのはそれくらいにしておいてくれ、こっちはてんやわんやなんだ。……リラ、鍛冶師ギルドへの二次発注書はまとめ終わったか?」
「はいはい、ギルマスは相変わらず仕事の虫ねー。そういうの、なんだっけ、わーかふれっく? とか言うらしいよ?」
「俺だって仕事なんざ、ないならない方がいいと思っちゃいるんだよ。まあ、今回は話が話だ。……本気でやらざるを得んだろうさ」
「まーね。ウチらのこの街の、命運がかかってんだもん」
クリシェが唇の端を上げると、リラもまた不敵に笑む。
「頼んだぜ。今はお前らの踏ん張りどころだ。俺らも出番が来たら、張り切るからよ」
ベルデが片腕を挙げながらそんなふたりを激励した。
それに親指を立てつつ、クリシェは再び各所の調整作業へと戻る。
※※※
同刻——。
「パルケル、国費の認可が下りたそうだぞ」
ノアップ=メリル=ティ=ソルクス——ノアは、屋敷の居間、ソファーに腰掛けながら、通信水晶の表示盤に浮かんだ文字列を眺めていた。
婚約者であるパルケルは窓べりに腰掛け庭を眺めていたが、狼に似た耳をぴくりとさせ、こっちへ視線を向ける。
「それはよかった。『天鈴』さまの私費だけじゃ、さすがに申し訳ないもんね」
「まあ、ここで金を出さんという選択などないから当然のことだがな。なにせ、治安に関わる事態だ」
ふたりは目配せをしながら笑う。
話題は、スイ=ハタノが主導となって行っている『帝江』対策——その計画にかかる諸費用についてだった。
『設備』の製造と配備、それにかかる人員。ノアたちもざっとしか聞かされていないが、その『ざっと』だけでも莫大な弊えであることが窺えた。もちろん『天鈴の魔女』の資産は途方もなく、彼女ひとりの私費で補える範囲ではあるのだろうが、だからといってそうさせるわけにもいかないのが政というもの。
「あたしは、渋る貴族が出てくると思ってたよ。辺境のことなんて、あいつら興味なさそうだしさ」
「そうでもないぞ。今やこのシデラは流行の発信地だ」
もちろん、資源産出地としては昔から重宝されていた。『虚の森』で採れる様々な素材は高級品、貴重品としてもてはやされている。
だがスイが——ハタノ家がここに居着いて以降、これは資源だけではなくなった。
コンソメ、胡麻豆腐、それにレアチーズケーキやシュトレンなどの菓子類。王都ではまだ広まっていないものも多いが、耳聡い好事家たちや鼻の利く商人連中は、シデラの街の動向から目が離せずにいる。
「スイが世に出すのは庶民が喜ぶ、つまり経済が潤う品が中心だからな。父上が王太子だった頃ならともかく、庶民の幸せを利と捉えられんような貴族はいまいよ。……まあもっとも、稀存種の危険性については、現実感がなかろうがな。あの恐ろしさは、相対した者しかわからん」
「……そうだね。いま思い出しても震えが来る。悔しいなあ」
パルケルは己の掌を見詰め、拳をぎゅっと握った。
「『魔女』の称号をもらって少しは近付けたつもりになってたけど、全然足りなかった。あのぐちゃぐちゃな魔力を受け流したスイに、叩き潰したカレン。……強いよ。強くて、遠い」
「それを言うなら俺など、あの場ではただ震えて竦む木偶の坊だった 。研鑽に熱心なのはきみの愛すべきところだが、上を見過ぎてもきりがないぞ」
唇を咬む婚約者に、ノアはあくまで穏やかに笑う。
「……だから、上ではなく前を向こう」
だがその表情とは裏腹、声には力を込めて。
「届かないものに手を伸ばしても、腕の長さが変わるわけではない。ならば一歩ずつでいいから前に歩けば、いずれ距離が縮まることもあるだろう。それに……俺たちはこれから、俺たちにできることをやらなければならない」
スイの立案した『帝江』発生防止策。
その実現——設備の構築には、とにもかくにも人手がいるのだ。
「スイやカレン嬢、天鈴さまでさえ、手の長さは決まっている。広大な『虚の森』すべてを網羅はできない。それこそジ・リズ殿の翼であろうとも限度がある。……だから俺たちも手伝うのだ。俺たちにも、この街を守ることはできるんだよ」
「そうだね……そうだ」
パルケルは深く息を吐き、窓の縁からひょいと飛び降りる。
そうしてノアのところへと歩んでいき、その髪に口付けると、居間の扉へと足を向けた。
「エルフ組を呼んでくる。割り当てを決めとこう。ベルデさんとシュナイさんは小隊を指揮するだろうから、あたしたちは単独行動になる……せめて『魔女』と『賢者』の称号に相応しい働きくらいは、しないとね」
扉を開けて出ていく婚約者の背を見送りながら、ノアはティーカップを傾ける。
指先は微かに震えていた。それはきっと、高揚によるものだ。
※※※
スイ=ハタノから街に『準備ができた』との連絡が来たのは、その五日後のことだった。