縁側から見る景色によせて
その日の昼下がり。
僕とカレンはふたり、縁側に腰掛け、庭で遊ぶミントとショコラを眺めていた。
「……そっか。色さんが」
眺めながらの会話は、昨夜のこと。
カレンと色さんとの、深夜の交流についてだった。
経緯を聞かされ、僕の唇から笑みが洩れる。
それはきっと彼女にとって、色さんにとっても、穏やかなひと時だったのだろう。
そして——、
「その時にもらったのが、それ?」
「ん」
彼女の手のひらに置かれた、涙滴型の透明な宝石ひとつ。
僕らが以前、授かったものよりもひと回り大きな『妖精の雫』だった。
「すごい魔力が秘められてる。私たちのアクセサリーとはまた少し違う感じ」
「そうだね。……一日前だったら、どうしようかって持て余してたところだけど」
渡りに船、と形容すると失礼かもしれない。
あるいは妖精の持つ超常的ななにか、未来を見通すような力が、この宝石を導いてくれたのではないかと思わせる。
だって、つい一昨日のことなのだ。
『帝江』対策のため、強い魔力を溜め込むことのできるなにかが欲しいな、と、僕らが話したのは。
母さんも交えてここ数日、どうすればいいのか、どんな手を講じればいいのかの議論を重ねてきた。
そんな中で僕が何気なく出した案はだいぶいい線を行っており、やれるなら言うことなし——ただ、実現にはかなり費用と手間がかかりそう、って感じで。
最もネックとなっていたのが、術式を恒常稼働させるために必要なもの。
僕ら以外の魔力源だったのだ。
求められる水準は高かった。父さんの形見——地球産の純銀を仮に使ったとしてもまだ足りない。そんなもの、どこかの王族が家宝として持ってるかもしれないってレベル。だったら母さんが権力にものを言わせて買い上げようかなんて、強引な案まで検討された。
「でもこれは、どんな国の宝物でも敵わないよ。計画してたよりずっと高水準のものができる。上手くいきそうだ」
「不思議。私、魔力源が必要だなんてこと、色さんに話してなかったのに。なのに、これをくれた」
「霊感、インスピレーションみたいなものなんだろうね。でも、彼女はそのためだけに涙を流したんじゃない。本当にただ嬉しくて、泣いてくれたんだ」
たぶん——宝石を作ろうとして涙を流しても、魔力は宿らない。
色さんの心が、感情が溢れたからこそ、その涙は宝石になるんだろう。
そしてだからこそ、この宝石には途方もない魔力が宿るんだ。
「……僕は、助けられっぱなしだ」
苦笑いとともに思わず口をついて出た言葉。
少しの無力感がある。
「稀存種の存在を知って、なんとかしなきゃって思っても……僕ひとりじゃ、どうにもならない。シデラのみんなに、四季さんと色さん。ジ・リズに、母さん。カレンにショコラ、それに、父さん……いろんな人の助けを借りて、なんとか道が拓けた」
「スイ、それは……」
「大丈夫、わかってるよ」
ただそれは——その無力感は、ちっぽけなものだ。
僕の歩みを止めるようなものじゃない。
むしろ、無力だからこそ、ひとりじゃどうにもならないからこそ、
「ありがたいと思うし、心強い。僕ひとりの問題じゃないって思えることが。みんなで一緒に、ひとつの目的に向かって進めてることが。やるべきこととやりたいことが、一致してることが」
森の平穏を守る。
この家の暮らしを守る。
ひいては——この地、この大陸、この世界が、健やかでいられるように。
「僕はみんなに助けられっぱなしだ。でもそれは裏を返せば、僕がみんなを助けてるってことでもある。謙遜しないでおくよ。僕だって、ちょっとしたものなんだ」
そう言って片眉をあげると、カレンは。
肩へそっと頭を乗せて、体重を預けてくる。
「ん、わかってる。スイはすごい」
手を握り指を絡め、悪戯っぽく微笑みながら。
「……色さんが言ってた。『きっと意味がある』って。その通りだと思う。スイがここにいるのも、この家が森の真ん中に転移してきたのも。ミントが生まれて、スイのスマホで遊んで、妖精たちを写し出して——そうして、縁が繋がったのも」
奇跡だとか運命だとか、そんなふうに呼ぶこともできるんだろうけど。
もしかしたら僕や四季さんの魔導が、無意識で因果を導いたのかもしれないけど。
そういうのじゃなくて、もっと愉快なふうに思いたい。
僕らは出会って、繋がった。
だから手を取り合って、前に進むんだって。
「ねえ、カレン。四季さんの夢を見て、知ったことがあるんだ」
僕は縁側から立ち上がり、庭に出た。
「ここ『虚の森』。それと『ヘルヘイム渓谷』と『悪性海域』。どうしてこの三箇所が、『神威の煮凝り』って呼ばれていると思う? 魔力坩堝が極端にできやすく、消えにくい……そんな土地なんだと思う?」
庭できゃっきゃと遊ぶ、ミントとショコラを眺める。
それから、空を見上げて、続けた。
「むかし、二千年前。稀存種の生産拠点——魔王城は、三つあった。四季さんたちの手によりすべて破壊されて、世界は救われたけど……魔王を生産し続けたその澱みはこの星に、この世界に深い傷をつけてしまった。そして二千年を経た今も、その傷口からは血が流れ続けている」
「じゃあ、まさか……」
「傷が癒えるにはもっともっと長い時間がかかると思う。完治には遠くて、それは僕ら程度じゃどうこうできない。でも、せめて絆創膏くらいは貼れるよね」
冬の澄んだ空気、陽光に手をかざして、遠くから近付いてくる影を仰ぐ。
「あ、かえってきた!」
「わうっ! わんわん!」
それに気付いたミントとショコラがぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃぐ。
あっという間に上空までやってきた竜のシルエットが、翼を羽ばたかせて勢いを殺し、ゆっくりと着陸する。
「おかさん! じりず! おかえりー!」
「わおん!」
ジ・リズの背から飛び降りた母さんの腰にミントが抱きつき、その周囲をショコラがぐるぐると走る。
「ただいま、みんな。あらかた買い揃えてきたわ。それと、助っ人も」
「こんにちは。お邪魔しますよ」
「……ふおー、ばあば!」
母さんに続いて優雅にふわりと降りてきたのは、セーラリンデおばあさま。
「まあまあミント、今日も元気ですね」
「ばあばー! いらさい!」
「おいおい、はしゃぐのはいいが、残ってる荷物も忘れんでくれよ。貴重なものばかりなんだろ?」
ジ・リズが小さく首を揺らし、困ったように角を傾ける。
そんな一同に歩み寄りながら、僕は気合を入れて拳を掌に打ちつけた。
よし、始めよう。
かつて魔王城が建っていたこの地、薄氷の上に広がるこの森に、均衡と平穏をもたらすんだ——せめてもう二度と、あんな悲劇を繰り返さないために。
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