夢を拾おう
およそ半月近くぶりの我が家は、やはり落ち着く。
「おとさん、ただいまー!」
「わうっ」
「きゅるるぅ……」
「ただいま帰りました」
「ただいま」
「ん、ただいま」
一家揃っての挨拶とともに玄関を開けると、いつもの匂い。
具体的にどんなと言われると困ってしまうけど問答無用で安心させてくれる、我が家の匂いだ。
ちなみに僕とカレン、それにショコラは、シデラからジ・リズの背に乗っていったん竜族の里へ行き、母さんたちと合流してポチの牽く蜥車で一緒に帰ってきた。なんだかんだ、それが手っ取り早かったからだ——みんな一緒に父さんへ『ただいま』を言えるしね。
「うーっ、しょこら、ぼくじょ、いこ? ぽちとあそぶ!」
「わふっ!」
ミントは疲れ知らずの元気いっぱいで、ショコラを誘って再び屋外へ。ほどなくして裏手、厩舎からポチの楽しそうな鳴き声が微かに響いてくる。
「母さん、すぐお風呂沸かすから先に入って。僕とカレンはノアの家でご馳走になってるから」
まあそれも三日前の話ではあるけど、
「いいの? 助かるわあ。竜族の里、居心地は良かったけどお風呂がね……山の沢で水浴びしかできなかったのよね」
母さんはかれこれ、十日以上だ。
こっちの世界においては毎日お風呂に入れるような環境はすごく贅沢で、旅においては水浴びどころか濡れタオルで身体を拭くことしかできないこともざら。石鹸は普及しているからそれなりの清潔さは担保されてるんだけど——気持ち的にやっぱりさっぱりするし疲れも取れるし、なにより我が家のお風呂はシャンプーとボディソープがチートなのだった。
「ショコラも今夜は覚悟してろよ」
きゃいん!? という悲鳴が遠くで聞こえた気がした……。
——さて、ともあれ。
お風呂を沸かして順番に入って、洗濯機を回して。
ご飯を作ってみんなで食べて、嫌がるショコラを泡まみれにして。
まだすすぐ前なのにぶるるるんっと身体を震わせるものだから酷い目にあったが、その毛並みを指が引っかかるごわごわからさらさらのもふもふに変えて。
ミントが蕾になって寝入った後、お茶を片手にリビングで話を始め——、
「ちょっと、母さん。なんだかお茶に物足りなさそうな顔をしてない? もしかして竜族の里でお酒ばっかり飲んでたんじゃないの?」
「そんなことないわ」
「本当に? 絶対? 嘘じゃなくて?」
「……違うの。たまたま乳酒の仕込みが終わったばかりで古いやつを空けなきゃいけなかったの。仕方なかったのよ」
「そっかあ、仕方なかったのか。……しばらく控えるようにね。いい?」
「はい……」
——始めます。
こほん、と。
咳払いで切り替えて、僕は口を開いた。
「家に帰ってくるまでの三日間、エジェティアのふたりからは連絡が来てない。つまりエルフ国の方はなしのつぶてってことだ」
アテナクの集落で起きたことのすべては、母さんにも既に共有してある。もちろんジ・リズにもいろいろ尋ねてから、こっちに帰ってきた。
だからこれは事実確認。
「エルフ国の人たちがなにを考えているのかは置いとこう。むしろ、向こうが無反応なのはこっちとしてはありがたい。手札を揃える猶予ができるからね」
そして、今後の指針についてだ。
「……ジ・リズの知識に手がかりがあったのは、すごく助かった」
僕が言うと、母さんとカレンは重く息を吐く。
「『魔王』……ね」
「ん。私たちが戦った『稀存種』と、特徴が一致してた」
竜族の伝承、いわく。
かつて遥か昔、似たような『もの』がいたそうだ。
身体に生えていた坩堝水晶を体内に溶かし、生物の外見をした災害と成り果てたもの。ただただ気の赴くまま——いや『気』なんてものがあったのかもわからないが——暴れ回り、世の中をめちゃくちゃにした存在。
そいつは『魔王』と呼ばれた。
だけど『魔王』は、星を蹂躙し尽くした後、斃される。
誰にかはわからない。竜族の記憶にも記録にも残っていない。
ただ「うんと昔にそういうことがあったらしい」と、お伽話のように語られている。
「アテナクでも、稀存種のことを魔王とも呼んでた。つまり稀存種の発生は、竜族の伝承に残っているほどの昔からあった事象なんだ」
だったらなぜ、今に至るまで情報が世界に出回っていないのかとか、目撃例がないのかとか。そういうのはひとまず置いておく。
歴史の謎を紐解くために必要なのは、元を辿ること。
つまり歴史の大元——そもそもの始まりについて知ることだ。
竜族の伝承において、重要な点がひとつある。
人の有史以前からの長きにわたる彼らの歴史は、ある時代を境に断絶が起きている。情報が曖昧になり、伝わるべきものの多くが欠落してしまったのだ。
それは、二千年前。
人の有史が始まったポイント。
「たぶん『魔王』が現れたのは、二千年よりも更に前。そしてその『魔王』を倒したのは……四季さんたち。日本からの転移者だと思う」
それまでの世界が——四季さんたちの大魔術により書き換えられた時だ。
「竜が忘れてるってことは、世界の改変に際して情報が失われたってことだ。そして僕は夢で、あの日本人たちの過去を少しだけ見てる。彼らは言ってた。……『世界を救った』って」
——この▇▇に来て十五年、俺たちはいまや英雄だ。
——何度▇▇を救ったかわからん。
クィーオーユの祖、木ノ上さんは——妹である色さんに、そう笑っていた。
彼らの姿は、今でも記憶に焼き付いている。
最初は十人いた。
それが最後には、六人になっていた。
いま特に印象が強いのは、綿貫さんだ。
色さんと泣きながら抱擁し合っていた女性——おそらくはアテナクのご先祖さま。
思ってしまう。考えてしまう。
二千年の間に、なにが起きたのか。
なにを背負って、なにを抱いて。なにを経て、なにを積み重ねて。なにを得て、なにを失って——綿貫さんの子孫たちは、集落と責務を捨てるに至ったのか。
色さんの親友、綿貫さん。
きっと彼女は、その始まりを識っている。
「できるかどうかはわかんないんだけどさ。でも、やってみるよ」
伏せるショコラの背中を撫でながら、僕は母さんとカレンに宣言した。
「もう一度、四季さんと色さんの記憶を見る。彼らが忘れてしまった二千年前の、以前の世界の記録を。……それができればきっと、すべてがわかると思うんだ」