手がかりはある
「そもそも……『帝江』が発生し得るのは『虚の森』だけなのかな?」
僕の発した問いに一同は、はっとし、沈黙した。
きっとそれは、みんなが無意識で気になっていたことだ。
「つまり、他の『神威の煮凝り』のことか」
「うん」
ノアが、ふむ、と得心するのへ、頷く。
「この世界……この大陸文明の観測範囲内に『神威の煮凝り』は、あと二箇所ある。ザザリオ帝国南部の『悪性海域』と、獣人領北端の『ヘルヘイム渓谷』」
僕だって、いつまでもこの世界に対して無知なままじゃない。
こういう知識も、ちまちま勉強してはいたのだ。……まあ、普段が森の中で暮らしてるせいで、どんなに学んでも常識知らずなところがなかなか抜けないんだけども。
『悪性海域』と『ヘルヘイム渓谷』は『虚の森』と同様に、魔力坩堝が発生しやすくかつ消えにくい——つまりは変異種が極端に発生しやすいという、人類にとって脅威的な地理的特徴を持つ。もちろん必然それに応じて魔力も濃く、棲息する動植物も総じて強力なため、脅威である反面、資源の宝庫でもあるのだが。
「『悪性海域』は、常に荒れ狂う海とそこに点在する群島で構成されている、だっけ。船が使えないから空から行くしかなくて、領海を所有するザザリオ帝国が調査に積極的じゃないから、実態もあまりわかってない」
「うむ、その通りだ。ただ、海域周辺では資源発掘が行われてはいる」
解説を引き継いでくれるノア。
「ザザリオは今でこそ国策を平和主義に転換しているが、帝国と冠するだけに無論、かつては侵略主義を執っていた。必然、多民族国家であり……中には伝統的に、海域周辺で狩猟を営む少数民族などがいる」
「じゃあ、王国にもその情報が入ってきてるの?」
「ああ。帝国はその辺りを秘匿していないからな。冒険者組合も進出しているし、そっちでも情報共有はされているはずだ」
ノアはベルデさんに視線を向ける。
ベルデさんは頷いた。
「悪性海域の周辺は元々、デルピュネ族の小国があったところだ。今は帝国の属州だがな。あいつらは——スイは知ってんだろ、竜族を父祖として崇めている。それは帝国でも例外じゃねえ」
デルピュネ族。つまりラミアさんたちの種族だ。
「え、じゃあ、悪性海域の周りの人たちも、竜族に守られてるの?」
「そのはずだ。ヤト氏族、だったか。悪性海域のど真ん中にある島に棲んでる」
「ベルデ殿、博識だな。俺でも竜族の氏族名までは知らなかったぞ」
「まあな」
感心するノアに対し、ベルデさんの反応は妙にあっさりしているように見えた。照れもせずそっけなく、軽く流す、みたいな。……気のせいだろうか?
「なんにせよ、悪性海域じゃ変異種も討伐が行われてる。緊急時とか弱い相手に限るだろうが、竜族なら遅れを取らねえだろ? ただ……今回みてえな化け物が出た、なんて話は聞かねえ。もし出てるんなら、竜族の一体や二体が犠牲になっててもおかしかねえし、そうするとさすがに情報も出回るはずだ」
「獣人領も同じだね。そんな話は聞かない」
ノアとベルデさんに続き、今度はパルケルさんが口を開いた。
「ヘルヘイム渓谷は魔境であると同時に、あたしたち獣人にとって聖地でもある。なにせ、妖精犬さまのおわす場所だ」
そう言って熱っぽい視線でショコラを見る。
「くぁ……わふ?」
……いや、ショコラさんはあくびをしていらっしゃいますよ?
「お前もヘルヘイム渓谷の生まれだもんな」
「ふすっ。くぅーん?」
「反応が薄い……」
「ん。ショコラは当時、まだ赤ん坊。それに……」
「ああ、そうだね」
ショコラは幼い頃、変異種に家族を——両親を殺されている。
自らも襲われそうになっていたところを、たまたま近くにいた父さんと母さんに救われたのだ。
覚えていないのであれば、わざわざ思い出させる必要もない。
「パルケルさん。ヘルヘイム渓谷は、他の二箇所と違ってそこまで前人未到ってわけじゃないんだっけ」
「まあ確かに、けっこう奥まで人は入ってるね。でも、谷底……『無間の蓋』まで降りたことがあるのは、あんたのご両親だけだよ。知らないの?」
「あ、いや」
ジト目で見られてしまった。
「知らないわけじゃないけど、母さんから聞いただけだから……」
たいしたことないみたいな口調でさらっと話すんだもん、あの人。
僕もむしろ冒険譚そのものより、一緒にいた父さんがどんなふうだったかに興味があったし。
「まあ天鈴さまだし、しょうがないか……。なんにせよ、ヘルヘイム渓谷でも、坩堝砕きだとか稀存種だとか、そんな話は聞かないよ。あそこは虚の森と違って定住も禁止されてるから、集落があったりもしないと思う」
「そっか。……うーん」
もちろん、他所に情報が漏れないままひっそりと行われている可能性も大いにある。実際に『虚の森』がそうだったのだから——同族であるエルフでさえ、アテナクの責務を知らなかったわけだし。
ただやっぱり、引っかかるのだ。
『悪性海域』『ヘルヘイム渓谷』そして『虚の森』。
もし、この三箇所のいずれででも『帝江』が発生し得るのなら、あのキマイラみたいなやばいやつが生まれる可能性があるのなら——むしろ大々的に対策が行われていてもいいんじゃないか?
なのに悪性海域でもヘルヘイム渓谷でもその気配はなく、虚の森でも今の今まで誰にも知られず、ひっそりと行われてきた。
というか虚の森にしたって、儀式の及ぶ範囲は中層部まで。深奥部はまるで手付かずだったという。
「わかんないな。わかんないことが多すぎる。どうしたもんか」
情報があまりにも少ない。
部品を欠いたまま組み立てた機械がまともに動かないのと同じだ。ましてや設計図すらない中じゃあ、逆さまに嵌め込んでいるパーツなんかもあるかもしれない。
「……エルフ国に乗り込んで尋ねる、ってのも穏やかじゃないしなあ」
「怖いことを言わないでくれ。いや、きみたちなら制圧もできそうだが……」
リックさんが青い顔をするので、僕は笑った。
「冗談ですよ。それに、城を制圧するのは父さんがもうやったやつだし……」
「おお、父上が即位した時の話だな! 俺も子供の時分はよく聞かされたものだぞ」
「……ねえカレン。あなたの家族ほんとなんなの?」
「ふふん。ハタノ家はすごい。本国があまり舐めた真似してると、私とスイもおじさまたちと同じことをする」
ノアとノエミさん、それにカレンがわいわいと話す中、考えを整理する。
エルフ国の思惑が謎めいている以上、直接に問いただすことは避けたい。あまりにもこっちが不利すぎる。
故に、こちらも可能な限りの手札を揃えて挑まなきゃ。
この場合の手札とは、力ではなく知識、情報。
そして僕は、あるいは。
その情報を得られるかもしれない可能性に、思い当たりがある。
『稀存種』とか『坩堝砕き』とか『帝江』とか『神威の煮凝り』とか、そういったものよりももうひとつ大きな枠組み——この世界の成り立ちについての記録を所持している人たちを、知っている。
——決めた。
「ひとまずリックさんたちは、エルフ国にすっとぼけつつ、ドルチェさんからの聞き取りをお願いできますか。ベルデさんたちはギルドの記録で『悪性海域』のことを、パルケルさんは可能なら『ヘルヘイム渓谷』のことを、もう少し調べてみてください。僕は森に帰って、ちょっと尋いてみます」
「尋くって、誰にだ?」
「人の有史以上の歴史を持つ竜族。……それと、人の有史の成立に深く関わった、妖精たちに」
彼らならあるいは、情報を持っているかもしれない。
僕ら人間には知り得ない、なにかを。
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