インタールード - 虚の森北部:竜の里
山脈の斜面に作られた集落は、連日、賑やかさの中にあった。
「……こう?」
「そうそう、その茎をそこに通して……上手上手!」
「ミントすげえ、器用だなー。まあ、おれたちの指じゃこんなん無理だけど!」
「ちょっと羨ましい、かな……」
「竜なんだから仕方ないよ。魔術を使えばいいのさ」
「そうそう。ぼくらだって手の形は同じだけど、大きさ的に無理だから。花輪を作るのはいつも魔術でだよ」
「ねえポチ、あんた、角に飾るならこれとこれ、どっちがいい?」
「きゅるぅ……?」
血妖花、子竜、甲亜竜、おまけに妖精たち。
多種多様な姿の者たちが、草原でわいわいと遊んでいる。
花冠や草笛を作ったり、追いかけっこをしたり、ボールを転がしてみたり。
甲亜竜の背中に乗ってはしゃぎ、子ドラゴンに抱えてもらいながらふわふわ浮き、寝転んではごろごろし。農作業をしているラミアたちも、遠巻きに微笑ましげにその様子を眺めている。
「平和なことよなあ」
ほのぼのとしかし野太く、そうつぶやくのは集落の主。
ジ・リズは集落をのしのしと歩いて横切りながら、子らを愛おしく眺める。
「そろそろお昼ね。ここのパンは美味しいから、食べ飽きないわ」
「あんたはすっかり我が物顔だな、天鈴殿……」
そんな図々しいことを言うのは、魔女装束を纏った人間の女性。
ジ・リズの首の付け根へ横乗りに腰掛け、白銀色の髪を風に揺らすまま、楽しげに牧草地を見渡す。
「せっかくご厄介になっているのだから、遠慮する方が失礼ってものでしょ」
女性——ヴィオレはくすくすと笑むと、友人の首筋をぽんぽんと叩いた。
彼女は現在、スイたちを除いた家族を連れてこの里に滞在中なのだ。
理由はちょっと情けない。母親の家事能力が心許ないから、というものだった。
ハタノ家の日々の食事はほとんどすべてがスイの手によるものだ。ヴィオレは料理が下手で、普段も手伝い程度しかやらない——やれない。
なのでスイが長期的に出かけることになって、彼女は三択を迫られた。街に滞在しておくか、家で自炊を頑張るか、それとも家族でこの里に居候をするか。
結果、彼女は三番めの案を選び、こうして全員で里に来たのである。
ついでに、暇だからとちょくちょく妖精たちも遊びに来ており、毎日がなかなか騒がしい。
とはいえジ・リズをはじめ、里の者はみな一家を歓迎している。出されたものを遠慮なく飲み食いし満足げにするヴィオレの姿などは、いっそ気持ちがいいものであった。
「まあ、ぬしが慎ましやかに大人しくしている方が気味が悪いからいいんだが」
「あら、それどういう意味?」
むっとするヴィオレに、ジ・リズはにやりと口を歪める。
が、直後——どこか哀憫めいた声音で、問うた。
「やはりシデラより、こちらで過ごす方が居心地がいいか?」
「そうね。ここには、人がいないもの」
対するヴィオレの返答はあっけらかんとしていた。
「……人は、好かんか」
「まあね。スイくんたちの手前、口にはしないけど」
ジ・リズは、初めて出会った頃のヴィオレを思い出す。
世を疎み、周囲を厭い、ただ家族のみ——カズテルとふたりの子供、そして幼犬だけに心を開いていた女のことを。
纏う魔力は竜族を軽く凌駕するほど膨大で、それでいてなんとも刺々しく、おまけに不安定で。初対面で争いになった際、脅威に感じたのはカズテルよりも圧倒的に彼女の方だった。
そんな当時のヴィオレが曲がりなりにも己と友誼を結んだのは、カズテルとジ・リズが意気投合したからというだけではない。
自分が、竜だったからだ。
『天鈴の魔女』にとっては——人よりも竜の方がまだ、信用に足る存在だったからだ。
「それでも、この十三年で随分とマシにはなったのよ。夫と息子があっちに飛ばされてからは、たくさんの人に助けてもらったし、力を借りたから。……あんたは知らないうちに引っ越して、行方がわからなくなってたけどね」
「いやそれは悪かった。儂も、人との付き合いに慣れておらんかったんだ……後悔しとるよ」
「いいえ、意地悪を言った。こっちこそ謝罪するわ……カズくんもきっと、あんたとまた会いたかったと思う」
詮無いことではある。仮に今のように連絡を頻繁に取っていたとしても、カズテルとの再会が叶ったわけではないのだから。
「ただ……いろんな人に親切にしてもらって、昔ほど頑なではなくなったとしても。それでもやっぱり私は、シデラよりもここの方が気が楽だわ。竜たちもラミアたちも、私のことをただの客人として扱ってくれる。びくびく顔色を窺ってくるようなことも、上手いこと取り入って利用できないかと企むこともない」
この春先から人と関わることがぐんと増えたジ・リズだが一方で、人間社会のことは未だによくわからない。知らないのではなく、わからないのだ。
知識はある。理解も把握もできる。ただ、いまひとつ共感できず、気に入らぬ相手とも共存していかねばならんのは大変だなあ……などと、ぼんやり同情するのみであった。
「……時々、変異種のことを考えるわ」
斜面、眼下にある海に視線を向けながら、ヴィオレはぽつりとつぶやいた。
思い出しているのは、かつてあの場に居座りラミアたちの生活を脅かした変異種——蛇と亀と鮫の混合生物か。
スイによって討伐された、孤独な悲しき生き物のことか。
「もしあれで寿命が長かったら、彼らはどうなるのかしら。理性もなくただ本能のままに暴れ狂い、周囲を蹂躙した果てに、なにを思うのかしら。もしかしたら孤独に耐えかねて、世を恨んで、怨んで、憾んで……滅ぼそうとすら、思うのかもしれないわ」
そういえば、遥かな昔に聞いたことがある。
かつて——己の身を蝕む荒れ狂った魔導をついに克服し、長寿を得てしまった変異種がいたと。
坩堝水晶を体内に溶かして生物としての姿を取り戻したそいつは、けれどもはや生物の形をしただけの災害、暴威でしかなく、ただただ気の赴くまま、世界を蹂躙したそうだ。
少なくとも、二千年よりも前。
世に現れて星を乱し、果てに何者かの手で倒されたそいつのことを、けれど誰も仔細は覚えていない。長い歴史を持つ竜の間でさえ、お伽話としての口伝でしか残っていない。
確か——『魔王』だったか。
ヴィオレは自嘲気味に言う。
「私は、スイくんやカレンと違って、社会に馴染めないまま育ってしまった。そして人の世にあって、あまりにも強すぎる。……畢竟、ただ変異していないだけで、あれらとなにも変わりはないのかもしれないわ」
驕傲ではなくただの事実として。
だからこそ不安に満ちた声で。
そんなことを口にするのだ。
だから——。
「……っ、きゃっ!? どうしたのいきなり」
ジ・リズは無言で両翼を羽ばたかせると、そのまま魔導を全身に巡らせ空へと舞い上がる。大地はぐんぐんと眼下に離れ、近くで遊んでいた子らが、わあと歓声をあげながらこっちを指さしてはしゃぐ様も、あっという間に小さくなっていく。
「天鈴殿。いや……ヴィオレ」
やがて雲ほどの高度に達したところでふわりと滞空し。
背にしがみついたヴィオレに——友に、告げた。
「人間は、小せえなあ。儂がこれから大気の座を解いてくるんと宙返りすれば、ぬしは真っ逆さまに落ちていって、地面にぺしゃんだ。変異種じゃこうはいかん」
「ちょっと?! なにを……」
「誇り高き竜の背に、変異種など乗せるものか。儂が背に乗せるのは、儂と同じく誇り高き者よ。儂が友と認めた者よ」
「ジ・リズ……」
竜は——陽光に鱗を光らせながら、雲の更に上、天を見上げた。
「ぬしにとっては昔の話かもしれんが……なあヴィオレ、おてんばの娘っ子よ。貴様が我が鱗を灼き爪を凍らせたあの戦いは、儂にとってはつい最近だ。あれは楽しかった。カズテル殿を抜きにしても、実に楽しかったぞ」
ヴィオレは——。
一瞬だけ泣きそうな顔になり、けれどぐっと堪えた後、くすくすと。
楽しそうに嬉しそうに、顔を綻ばせた。
「生意気を言うんじゃないわよ。カズくんがいないからって、私に勝てると思った? あれから十八……十九年かしら。たったそれだけの時間で人がどれほど成長するか、目にもの見せてやりましょうか」
「くく、やってもいいが、あとで儂は妻に、ぬしは子らにこっぴどく叱られるぞ」
だからジ・リズも。
その裂けた口を大きく歪め、牙を見せながら、呵呵と。
嬉しさと楽しさで、顔を綻ばせる。
「それは怖いわね、やめておきましょうか。……代わりにちょっと、その辺をひとっ飛びしない?」
「うむ、それで手打ちとしよう」
竜は天を翔ける。
鈴のように笑う友を背に乗せ、雄大に、誇らしく。