人は巡り縁を紡ぐ
夜はみんなで食卓を囲んだ。
セーラリンデおばあさまを含めたハタノ一家と、ノアにパルケルさん。
それと、妖精たちだ。
僕はおばあさまとノアたちに妖精を紹介した。つまり、スマホの写真を見せて認識できるようにした。
これはここへ来る前、四季さんたちと話し合って決めていたことだ。限定的に彼らの存在を教えよう、と。
選定基準は、もちろん信頼できる人というのは大前提として、我が家に来たことがある——そしてこの先も来る機会があるだろうメンバー。
おばあさまは今後も家族としてお呼びすることがあるし、ノアとパルケルさんはミントの一件で一度、家まで来てくれたことがある。それに、いずれ自力で辿り着くことを目標としており、カレンや母さんいわく、実力からしてそのうち叶いそう、とのこと。
だったら今のうちに知っておいてもらった方がいい。家には、妖精さんたちの手が入ったイングリッシュガーデンとともに『妖精境域』へ繋がる扉があるわけだし。
おばあさまには既に存在自体を教えていたが、やはり対面すると大いに驚かれた。ノアくんたちは言わずもがな。ただそれでも、三人は目を白黒させながら、無邪気な小さい存在たちを受け入れてくれたし、秘密を守ると誓ってくれた。
なお前回の滞在と違い、もはやノアの屋敷を監視する不届な奴らはいない。彼ら(の親玉)にとってノアはもはや『粗探しをする監視対象』ではなく『決して機嫌を損ねてはいけない重要な取引相手』となっているからだ。
騒がしい妖精たちを前に、おばあさまはにこにこと優しく、ノアは鷹揚に頷き、パルケルさんも楽しそうに会話していた。
もちろん、彼らの存在が広まるのはいいことばかりではないし、慎重にしなきゃいけないけど——いつかベルデさんたちにも、彼らを紹介できる日が来るといいな。
※※※
で、次の日は旅の休息に充てつつ、宴のための準備も進める。
荷車を牽きつつ、物資の大量購入である。
「こんにちは、トマトください」
「おう」
市場ではすっかり顔馴染みとなった野菜売りのおじさんが、ショコラを連れた僕に頷く。
「ねえ人間、この赤いの、果物? 野菜?」
「霧雨、質問はあと。今ぼくらと会話するとスイが変に思われちゃうって言ったでしょ」
僕の頭に乗った霧雨が髪の毛を引っ張ってくる。ショコラの背中にまたがっていた夜焚がそれを制止した。
心中で苦笑しながら、おじさんに話しかける。
「そういえば、僕の故郷だとトマトって生で食べるから、果物と勘違いしてる人もいたんですよ」
「おお……今でも忘れらんねえわ、お前がいきなりその場で齧り始めたの」
「それはもういいじゃないですか……。あ、そっちのミニトマトも、ふた袋分お願いします」
「あいよ」
「へえ、野菜なんだ。人間、さりげなくやったわね」
「もう、霧雨。迷惑かけちゃダメだよ。ねー、ショコラ」
「くぅー……わふっ」
明後日の方向に鳴くショコラ。おじさんはスルーしてくれました。まあ、犬が急になにもないところを見たり吠えたりするのってたまにあるもんね。あれびっくりするんだよなあ。
それからも肉、野菜、調味料など、ありとあらゆるものを買い込んだ。
リアカーにどんどん積み重なっていく食材たちを見ると、気分がいい。
「おっ、今日は随分とまた量が多いな。なにかやるのかい?」
「ひとりとは珍しい。いつものエルフの姉ちゃんは? 振られたか?」
「ちょいとあんた! この前、欲しいって言ってた魚醤が仕上がったよ? もちろん買ってくんだろう?」
すっかり顔馴染みになってしまった面々に声をかけられ買い物しながら、大通りを歩く。
そんな中——川魚を売っているお店へと立ち寄った時だった。
「あ、スイさんですよね?」
「はい、そうだけど……きみたちは、初めましてで合ってる?」
声を掛けてきたのは、店番をしていたふたり組だ。
片方は十七、八。もう片方は十四、五か。顔立ちがよく似ていて、たぶん兄弟なんじゃないかと思う。
ふたりとも日に焼けて精悍で、細身ながら筋肉質だ。きっと漁師でもあるんだろう。ただ僕はその顔に覚えがなかった。
川魚は足が速いのと家の近くで獲れることもあり、シデラで買うことはほとんどなく、この店にも一度か二度しか寄ったことがない。今回はパーティーのために現地調達したかったから覗いてみたんだけど——。
その兄弟は人懐っこく笑うと、頭を下げてきた。
「俺ら、トモエの弟です。姉と、シュナイの兄ちゃんがお世話になってます」
「おお……トモエさんの!」
驚いた。雰囲気が全然違うから気付かなかった。ただ言われてみればどことなく、面影がある。
「明日は俺たちもお世話になります。もしかして、俺らの釣った魚、使ってくれるんですか? だったら好きなだけ持ってってください」
「うん、使わせてもらおうと思ってるけど、ちゃんと代金は払うよ」
「でも、それじゃもらいっぱなしだ」
「こっちもトモエさんにケーキを散々ご馳走してもらってるんだ。弟さんからタダで魚を奪ったとあっちゃ顔向けできない。頼むから代金は払わせてよ」
「すみません、ありがとうございます」
押し問答の末にお金を押し付け、大きなやつを二匹、購入する。
顔の形からしてたぶん鮭か鱒の一種。この時期に並んでるってことは鮭だろうか?
……にしてもでかい。両手を広げたくらいはある。青鈍色に光る鱗といい、鋭い鰭の形状といい、まさに異世界って感じだ。
「漁師になって長いの?」
「俺も弟も、十くらいの頃から川に出てます」
シデラの南には大きな河川がある。
ここから北西——『虚の森』の西端と隣った山脈を水源とし、南東に向かって流れ海へと注いでいるものだ。名前は確か『スティパス大河』。この地方に住む人々の営みを支える水源であり、幅の広い部分では対岸が見えないほどだという。
僕が手慰みでやる釣りなどとはレベルが違う。舟を出しての漁だし、魔物も潜んでいるから危険が伴う。成長途中ながらも鍛えられた彼らの身体が、その過酷さを物語っていた。
「うちは親父がろくでなしだったから、姉ちゃんには苦労をさせました。シュナイの兄ちゃんがようやくもらってくれるってんで、俺たち家族、みんなほっとしてるんです」
そう言う兄は少しだけ声を詰まらせた。
「俺らにとって、トモエ姉ちゃんはもうひとりの母ちゃんで、シュナイの兄ちゃんも父ちゃんみたいなもんだ。だから、ふたりが幸せになってくれてよかったって思う。兄ちゃんが俺たちの本当の家族になってくれるのも、すげえ嬉しいんだ。……ありがとうございます、スイさん」
彼の声音だけでわかった。
トモエさんがどんなふうに彼らを育ててきたのか。シュナイさんがどんなふうに彼らを支えてきたのか。そして——その想いを受けて、彼らはいま、健やかであるんだ。
だから、言う。
「僕はなにもしてないよ。その言葉は、トモエさんとシュナイさんに言ってあげるといい」
「ええ……そりゃ、恥ずかしいなあ」
「ちゃんと言葉にしないと伝わらない気持ちもあるよ。どっかの誰かが、それで恋人をやきもきさせてね。ひと悶着あったんだ」
「ああ、なるほど。骨身に沁みましたよ」
誰のことを話しているのか察した兄弟は苦笑する。
「じゃあ、僕は帰るから。明日はお願いね」
「こちらこそお願いしますっ!」
そんな彼らに別れを告げ、僕は再びリアカーを牽き牽き大通りを進む。
あとはなにを買うんだっけか。メニューと材料を箇条書きにしたスマホのメモアプリを開きながら、まだ足りてないものを探す。
「ねえ、人間」
そんな僕の頭上から、霧雨の声がする。
「わたしと夜焚、前にもここに来たことあるのよね。その時は、ただ賑やかで騒がしくて、ごちゃごちゃしてるだけの場所だと思ってた」
「うんうん、けっこう楽しかったよね」
「話、聞いてた? わたしはぜんぜん楽しくなかったわ」
ショコラの背中にいる夜焚が追従するのをぴしゃりと振り払い、けれど。
霧雨は街の喧騒を眺めながら、言う。
「でも。今日、街を見て回って、あんたがいろんな人と話をしてるのを眺めて……違うんだなって思ったわ」
身体全体で僕の頭にぎゅっと抱きつきながら——言った。
「賑やかなのは、人と人が話をしてるから。騒がしいのは、感情が行き交ってるから。そしてごちゃごちゃしてるのは、人間ひとりひとりが、わたしたちと同じように、生きてるから。わたし、それが羨ましかったのね、きっと」
「そっか」
だから僕はそんな彼女に、頷いて応えるのだ。
「でも、そんなもんだよ。きみたちも僕から見たら大概、賑やかで騒がしくてごちゃごちゃしてる。きょうだいたちたくさんで、羨ましいなって思う。だからさ。家に帰ったら、四季さんと色さんも巻き込んで、思う存分、わいわいやるといいよ」
「ええ、そうするわ。……ちょっと人間、あっちのあれ、なに? なんだかすごいきらきらしてて甘い匂いだけど!?」
しんみりしたのも一瞬、果実飴に反応して騒ぎ始める霧雨。
「ミントといい子ドラゴンといいきみといい、果実飴ってそんなに魅力的なのかな」
「わふっ。くぅーん……」
「なんだ、お前もまた食べたいのか」
仕方ない。
僕は苦笑しつつ、飴の屋台の前で立ち止まる。
帰ったら食材の仕込みとかで大忙しだし、まあ、糖分くらい補給しておくか。