街の灯りが揺れる
道中は順調だった。
最も懸念してたのがミントの睡眠だったのだけど、これは力技で解決した。つまり——ミントが根を張って眠っている間も蜥車は止めずに進ませて、夜が明けてから走って合流するというやり方だ。
もちろん彼女ひとりにはせず、ローテーションで付き添いを付けながら、傍で一夜を明かす。身体強化をかけて森の中を走れば追い付くのは容易で、妖精さんがナビゲーションしてくれたから迷うこともない。その際もミントを背負ったりかけっこしたりで、楽しくさえあった。
ちなみにミントがもう少し成長すれば、蕾で休む時間が短くなりそうな雰囲気もある。あの形態で食事しつつ眠るのはひょっとしたら、生まれたばかりが故の、一過性のやつなのかもしれないな。
ともあれそんなこんなで、計算通りにジャスト一週間。
七日め、陽が沈んだのとほぼ同時に——僕らはシデラの街へと到着したのだった。
※※※
出迎えてくれたのはセーラリンデおばあさまと、ノア、パルケルさんだった。
「ばあばー!」
「あらあらミント、ようこそいらっしゃい」
姿を見るや駆け寄っていくミントを、おばあさまはしゃがんで抱き留める。ミントが嬉しそうに頬擦りする姿は微笑ましい。
「スイ!」
「久しぶり、ノア」
そして僕とカレンもまた、ノアとパルケルさんに出迎えられる。
ノアが僕にがっしと抱擁してくるが、こいつ爽やかイケメンだから絵になるんだよな……。僕? たぶん傍目には、ぼんやりしてる感じだと思います。
「パルケル、魔導はなまってない?」
「なにを。ちゃんと訓練してたよ……まあ、実戦から遠ざかっちゃったのは否めない」
カレンとパルケルさんはお互いの拳をこつんと打ち合わせる。
「ノアたちはいつこっちに?」
「昨日だ。屋敷はすぐにでも使えるぞ」
「ありがとう、ご厄介になるよ」
こっちでの滞在には、彼らの屋敷へ泊めてもらうことになっていた。
ノアたちがシデラを空けていたのは三カ月近く。留守の間も、人を雇ってちゃんとメンテしていたらしい。
「ああ、クー・シーさま……ショコラ殿! お変わりなくご健勝なようで安心しました。またお会いできて光栄ですっ」
「……わふぅ……」
「パルケル、やめて。ショコラが戸惑う」
相変わらずショコラに対して大仰な反応のパルケルさん。いやまあ個人というか種族の信仰って大切なものだろうから尊重はしたいんだけど、あなたあと半月ちょっと後には、ショコラと一緒に森に入る予定なんですよ?
そろそろ慣れとかないと支障が出そうな気がするな……。
そんな婚約者を完全にスルーして、ノアは母さんに声をかけていた。
「天鈴殿もようこそ! 俺がこっちに戻る前、母上が連絡を寄越したと思いますが……」
「こっちにいる間お世話になるわね、ノアップ。ファウンティアのことは気にしなくていいわ。母親同士のちょっとした世間話よ」
ちなみに『連絡』の内容は僕についてだったりする。
シュトレンの情報がいつの間にか王都まで届いており、仰天した王妃さまが母さんに通信水晶で問い合わせてきたのだ。いやまあ、あれたぶん高カロリーの携行食としてだいぶ優秀だから最終的にはすごく流行る気がするし、なにやってんのと言われるのも当然かもしれない。
「シュトレン、今夜にでも作ってひとつ贈呈するよ。王都に送ってくれていいから」
「いいのか? すまん……」
「さすがに製法までは開示できないからね?」
「無論だ。母上も、商売に絡もうとは思っていない。将来、普及するかもしれない品なら見ておきたいんだろう。……というかここだけの話、母上と姉上がな、お前の菓子を食べたがっているのだ」
「嬉しいな。じゃあ、普通便で送った方がいいかも。王都に届く頃にはこなれて美味しくなってると思うよ」
「くくっ。普通便で生菓子など、正気の沙汰ではないというのに。……まったく面白いな、お前は」
愉快げに僕の肩をぱんぱん叩いてくるノア。
屈託も憂慮もない、心の底から楽しげな顔だった。
ああ——いい顔をするようになったな、こいつ。
僕が密かに感慨深くなっていると、母さんがミントの背中を押しながらやってきた。
「ほら。こっちよ」
ミントは珍しく、少し固い表情だ。
けれど深呼吸をしながらノアたちの前に立ち、姿勢をしゃんとして、
「はじめまして。みんとだよ! そのせつは、おさわになりました!」
ふたりへ、行儀のいい一礼をした。
「『お世話になりました』ね? ノアップ、パルケル。うちの娘よ」
緊張した面持ちのミント。
対するノアとパルケルさんは穏やかな表情を浮かべ、しゃがんで彼女と視線を合わせる。
「おお、あの時のお子か。壮健そうでなによりだ。俺はノアップ。ノアと呼んでくれ」
「あたしはパルケル。ミントちゃん、よろしくね?」
「のあ、ぱるくる……ぱるける!」
挨拶をもらったミントはにぱっと笑い、いつもの人懐こさを取り戻す。一歩をパルケルさんに歩み寄り、こてりと首を傾けて、
「ぱるけるのおみみ、しょこらといっしょだね!」
——それは。
彼女への、殺し文句であった。
「……っ! ああ、なんて、なんていい子なの! そうなのよ、狼人種は祖たるクー・シーに最も近いと言われててね! んんんん〜〜〜ミントちゃん、こっちおいで! あたしのお耳、触る?」
「ふおお……いいの?」
「もちろん! ほらほらっ」
「……ねえカレン。獣人って頭に触れる行為は特別なんじゃなかったっけ」
「ん。そのはずだけど、めんどくさいしどうでもいいから放っておこう」
「辛辣」
パルケルさんの耳をわきわきとするミントと、そんなミントを抱きあげるパルケルさん。まあ本人が楽しそうだしいっか。
「では屋敷へ向かうか。零下殿も今夜は泊まっていってくれ。せっかくだ、家族で共に過ごしてほしい」
「まあ殿下、お心遣いに感謝します」
「はは、殿下はやめてくれ。俺はまた、ここで冒険者をやるんだからな!」
森と街を繋ぐ大門からは、大通りが真っ直ぐに伸びている。
蜥車を引っ張るポチを促しながら、僕ら一同は進んでいく。
既に陽は完全に落ち、月は出ていても夜は暗い。だけど大通りの左右には街灯が点っていて、建ち並ぶ家屋の窓々からもぼんやりと光が洩れている。
隣を歩くカレンに、ふと問うた。
「そういえばこの街灯って、どういう仕組みなの?」
「これは魔導火燭。火鼠っていう魔物の毛皮を編んだものを芯にして、魔力を込めた油を燃やしてる。強い光を出してすごくゆっくり燃えるから街灯にぴったり」
「灯すのは、人力で?」
「ん。夕方になると、管理してる人が火をつけて回る」
「なるほど……そうなんだ」
今まで全然、気にしてなかった。
もちろん街灯の存在は認知していたけれど、そこにどんな技術があって、どんな人たちが関わっているのか。この街が、どんなふうに日々を回しているのかについて、あまりにも無頓着だった。
灯りひとつにも、人の手がある。
夜間になると自動で街灯が点くような環境で育ったせいか、僕はそのことに今の今まで気付けずにいた。
考えてみれば、地球でも同じだったんだよね。ライトを開発した人がいて、製造してる人がいて、設置する人がいて、管理する人がいて。そして、電気を作る人たちがいて——。
僕らの行く先、足元を照らす光の向こうに誰かがいる。
人の営みは、この秋空の肌寒い夜にも息づいている。
「明日は街を散歩しようか、ショコラ」
「わう、わうわうっ!」
久しぶりにリードを繋いで。
久しぶりに街の中を。
のんびりとじっくりと、眺めながら。