それは懐かしい、あの人の
味噌の作り方——仕込みは、材料さえあれば意外に単純だ。
まずはよく洗った大豆を水に浸けおく。水嵩は大豆の三倍ほどが目安で、浸け時間はざっと半日以上。芯まで水を吸っているかどうかが目安となるので、気温によって伸びる。
それから、充分にふやけた豆を炊く。圧力鍋に入れ、ひたひたになるまで水を加えて、最初は普通に火にかけてアクを取り、そこから蓋をして圧力を加え、よく煮えるまで。ちなみに煮えたかどうかの目安は、指で潰してみて、しっかりぐちゃっとなるかどうか。潰れる前に粒が割れれば不充分。
続いてその豆を冷水にさらし、人肌くらいまでに温度を下げたら潰していく。
今回は量が多いので、まな板と布で挟んで水入りのペットボトルでとんとんがしがしやった。……ペットボトルがなにげにめちゃくちゃ便利なんだよね。お茶を作ったり水筒にしたり、こうして叩き棒にしたり。『食糧庫』に常備されてるからたくさんあるのだ。
大豆の粒がなくなりペースト状になったら、いよいよ麹の出番だ。
ミントが抽出してくれたコウジカビに塩を混ぜたものを、大豆に振りかけて捏ねていく。カビといっても、コウジカビに毒性はない。なので発酵に利用することができるというわけだ。まったく偉大だね。
耳たぶほどの柔らかさになったら、でかいおむすびくらいな大きさの団子に成形し、それを容器に押し詰める。シデラで買っておいた木桶を使った——奇しくも、昔の日本さながらの趣になったな。
詰めた桶は合計で、三つ。
それらに落とし布をしてから蓋をし、更に上から重しを乗せる。
「あとは半年くらい寝かせたら、完成だ」
※※※
さて。
コウジカビを手に入れた日から更に三日をかけて、製造作業を終えた。
合間を縫って、カレンとミントに種麹も作ってもらったが、こっちも無事に完成した。小分けにして戸棚に入れておけば『食糧庫』の魔術でずっと使っていられる。
「半年って、時間がかかるのねえ」
僕の作業を見守ってくれていた母さんが、感心した顔で言う。
「発酵食品だからね。母さんには温度管理をお願いできる?」
「任せて。熱を逃さがないようにしておくから」
味噌の発酵に適した温度は三十度前後。これから冬になると気温が下がり、そうすると完成までに必要な期間も伸びてしまう。だけど火属性の魔術で木桶の周りの温度変化を防いでいれば、早めに仕上がるはず。
気温が高くなると余計なカビが増殖してしまうリスクがあるのだが、そっちは僕の闇属性でどうにかなるだろう。
そして闇属性といえば——今回ばかりは、フル活用させてもらう。
僕は三つ置かれた桶のうちひとつを抱え、みんなの前に掲げた。
「ただし。この桶のだけは、もう完成しています!」
「まあ」
「おー」
「うーっ!」
「わう!」
母さん、カレン、ミント、ショコラ。四者四様がリアクションしてくれた。……たぶんショコラはよくわかってない。
「ちゃんとできるか確かめたくて、僕の魔術でちょっといんちきをしたんだ。因果を繋げて未来を引き寄せて、発酵をおもいきり進めた」
たぶん、普通に熟成させたものよりも深みは足りないし味もこなれてないと思う。でも、コウジカビが本当に働いてくれるか、成功するかをどうしてもすぐに知りたかった。懐かしいあの味を——一刻も早く口にしたかった。
キッチンのテーブルへ置き、重しを取り、蓋を開けた。
途端、キッチンにたちのぼるあの懐かしい匂い。
そこに詰まっているのは薄い黄土色に変化した、大豆ペースト。
麹によって発酵した、紛れもない味噌である。
「ああ、よかった。成功だ」
中央付近のものを少し匙で掬い、口に入れる。やっぱり魔術での急拵えなだけあってまだ色が薄いし、旨味も足りていない。だけどそれでも、日本人なら誰が食べたってこれは『味噌』って言うだろう。
「すごいにおい。それ、美味しいの……?」
カレンが不安げにこっちを見ている。
「うー! みんとがあつめたやつ、そのなか、いっぱいいる!」
ミントの着眼点はどっちかというとそっち。
「きゅう……」
ショコラは嗅覚が鋭いせいか喉を鳴らすだけでこっちに寄ってこない。薄めた味噌汁が入ったご飯、こいつも食べたことあるんだけどなあ。
まあさすがにみんな、初見ではそんな感じだろう。しかも使用した料理とかじゃなくて、調味料としての味噌そのものだし。
「今日はこれで味噌汁を作るから、試してみてよ」
「ん。がんばる……スイが言うなら心配はしてない。けど」
言葉とは裏腹、少しだけ頬を引き攣らせているカレン。
大丈夫かな……でも醤油とみりんの味付けには慣れてるから、きっといけるはず。
「……スイくん」
と——。
味噌のにおいに反応するみんなを他所に、母さんがふらりとこっちへ歩んできた。
やけに真剣な面持ちで、唇を引き締めて。
「それ。お母さんに、少し食べさせて」
「あ、うん」
有無を言わさぬ気配があった。
だから僕はさっきと同様、匙で真ん中の部分を少し取り、差し出す。
当然ながら、母さんも異世界生まれで異世界育ちだ。カレンと同様、味噌の匂いには慣れていないはず。それなのに、嫌がる気配もなく、むしろ——。
受け取り、口に入れて。
目を閉じて味わうと、母さんは。
「……っ」
「どうしたの? やっぱり口に合わなかった?」
からん、と。
取り落とされた木匙が、床に転がった。
そして、
「え……」
刹那。
母さんは僕へ、飛びつくように抱き付き、抱き締める。
「かあ、さん?」
「スイくん。ありがとう……ありがとうね」
声が潤んでいた。
僕の肩に顔を埋め、泣いていた。
「どうしたの? これが、なにか……」
「あの人。カズくんが、こっちに来た時。戸棚にね、缶詰があったの」
そういえば前に、そんな話を聞いた気がする。
あれは——そうだ。母さんと再会した、まさにあの日。
この家を見て回っていた時に聞かされた、エピソードだ。
キッチンの戸棚を開けた時、母さんは言った。
——『ここには昔、ほとんどなにも入ってなかったの。でも缶詰が少しだけあってね』
「あの缶詰。なくなっちゃわないよう、大事に食べてた、お魚。一度、食べさせてもらったことがあるの。出会ったばかりの頃よ。私は、変な味って言っちゃって。カズくんは少し寂しそうに笑って……っ」
——『サバ……だったかしら、お魚の』
そうか。
父さんがこっちの世界に偶然持ち込めた缶詰は。
「同じ味がする。あれと、おんなじ味がするわ」
「サバの味噌煮、だったんだ……」
「ずっと後悔してた。あの頃の私は素直じゃなくて、ねじくれてて。カズくんがいなくなってから、思い出すと痛かった。どうしてあの時、美味しいって言ってあげられなかったんだろう。どうしてあの人の暮らしていた世界のことを、あの人の好きなものを、わかろうとしなかったんだろうって。わたし……わたしは」
「母さん……」
子供みたいに泣きじゃくる母さんの頭を撫でる。
以前ならこんな姿、見せようとしなかっただろう。我慢して耐えて、無理にでも笑っていたはずだ。
でも今はもう、そうじゃない。
僕らの——子供の前で泣くことができるように、母さんはなったんだ。
「どう? 変な味でしょ?」
「ええ、そうね。でも、たくさん食べるわ。たくさん作ってね。きっとすぐに、美味しいって思えるようになるから」
ようやく顔をあげた母さんは、目を真っ赤にしていた。
けれどその泣き顔はすごく幸せそうで、僕は笑って頷くんだ。
「任せてよ。腕によりをかけるから」