おだやかな未来のこと
母さんたちはたくさんの茸を収穫して帰ってきた。
さすが実りの秋ということもあり、あちこちに群生していて、これでも手加減した方らしい。ついでにあけびや山葡萄、柘榴なんかも採ってきており、ミントは妖精たちにおすそ分けするんだとうきうきしていた。こういう野生的なやつは妖精境域で育ててないから、きっと喜んでくれるだろう。
で、母さんとミントがお隣へ行っている間、僕とカレンで茸の処理である。
四分の一ほどは冷凍庫へ。茸は一度凍らせると組織が壊れて旨味が増す。ただ、冷凍していても傷みやすいことには変わりなく、ひと月かふた月くらいが限度だろう。
では残りはどうするかというと、干す。
シデラで仕入れた干し網は日本で買えるやつと形状がそっくりで、三段に仕切られた直方体だ。素材はビニルではなく撚った蜘蛛の糸を用いているらしい。
蜘蛛の糸、水着にも使われてたやつだ。地球でいう養蚕みたいに家畜化してるそうなんだけど、カレンが言うには『けっこう大きくてころころしててちょっとかわいい』とのこと。見てみたいような見たくないような……。
畑の横に物干し竿を掛け、網を五つばかり吊り下げる。中にきのこを並べておいて、あとは天日でじっくり乾かすだけ。
「これでどのくらい保つの?」
「しっかり乾燥させれば半年くらいはいけると思う。天日干しの後はカレンの魔術で仕上げてもらおうかな」
「ん、わかった」
ふんすと意気込むカレンを微笑ましく思いながら、お茶を淹れて縁側に腰掛ける。
お茶請けに、窯で焼いたクッキー。ショコラにもミルクをあげよう。
「ほら。縞山羊じゃなくて牛のやつだけど」
「わうっ!」
ぺろぺろやり始めるショコラ。美味しそうに飲んではいるけどやっぱり『雲雀亭』で出された時とテンションが違うんだよね……というかこの前もまた秘密を聞き損ねてしまった。絶対、隠し味あると思うんだけどなあ。
ショコラがミルクをがっつき、畑の横に吊るした干し網が風で微かに揺れる。
湯気をたてたお茶と、カレンがクッキーを食べるさくりという音。
「……そういやさ」
それらの光景を眺めながら、僕は口を開いた。
「こっちの世界じゃ、結婚式ってないんだよね」
「ん。少なくとも王国の庶民に、お披露目会みたいな習慣はない」
だからベルデさんたちもシュナイさんたちも、役所——シデラの場合は冒険者ギルドに併設されてある——に届出をしてそれで終わりらしい。
「他の国にはあるの?」
「エルフ国にはある。白いドレスを着て、親しい人たちの前で結婚を報告する」
「やっぱ、日本の習慣が残ってたりするのかな」
「それ、この前話してくれた、二千年前のこと?」
「うん。まあ、真偽も定かじゃないやつだけどさ」
エジェティアの双子と出会った後、僕はカレンと母さんにあの夢の話をした。今となっては当人たちの思い出にすら残っていない、おそらくは因果の糸の先、微かに焼きついた残滓の光景——四季さんたちの、過去の記憶を。
四季さんと色さんはかつて、子供たちの命を救うため世界を改変する大魔術を行使し、その代償として妖精になった。
この時、ふたりに協力した六人の仲間たちがいる。
四季さんたちと一緒に転移してきて、この世界を生きた日本人たち。おそらくは彼らもまた、大魔術の余波を受けて変質したのだ。
妖精とは違い羽根もなく身体も小さくはないが、妖精と同じ尖った耳を持つ種族——エルフに。
始祖六氏族。
エルフの中でも最も古い血を持つという六つの血脈、その祖である。
『阿形』と呼ばれていた痩せぎすの男性。
『白河』という名の大男。
ショコラの祖先たちを託されていた二人組の青年『輪島』と『中野』。
そして色さんの親友であったと思しき『綿貫』という女性と——彼女の兄にして、四季さんの義兄でもあった『木ノ上』。
彼らの名は、世界の改変と更に二千年の時を経、発音と音韻を変じさせた。
即ち。
エジェティア、シルキア、ファッティマ、アクアノ。
そしてアテナクと、クィーオーユ。
カレンは——カレン=トトリア=クィーオーユは。
僕が肩をすくめたのへ、ゆっくりと首を振った。
「スイが見た夢なら、きっと本当にあったこと。私のご先祖さまは、色さんのお兄さん……そう考えると、あの人の涙をもらったのにも意味があるって思える」
耳に飾られたピアスを撫で、
「それに、四季さんたちの存在が、二千年経った今でもこの世界に残ってるのは、なんだか嬉しい」
「うん……そうだよね」
僕の肩へそっと、頭を寄せてきた。
だから僕も、その柔らかな髪に頬を合わせる。
「エルフに結婚式があるなら、僕らもやろうか。いつになるかはちょっとまだ、わからないけど」
「ん。……クィーオーユの血のこともある。たぶん、エルフ国がいろいろと面倒。スイから起源の話を聞いた後だと、くだらないことにこだわってるなって思うけど……」
「六氏族のことなら僕の方がよく知ってますよ、とか言えないもんね」
「たぶんやばい。戦争になる」
エルフという種族にとっても、そして人類の歴史においても、始祖六氏族は貴重な血筋であり生きた文化遺産とされている。故に、結婚——血を維持するという一点においては、どうしても政治的な思惑が絡んでくるのだ。ましてカレンはクィーオーユ唯一の生き残りで、血筋の希少さは跳ね上がる。
つまり有り体に言うと、僕とカレンが結婚するためにはエルフ国へ許可をもらいに行かなければならない。これは、母さんの権力をもってしても無視することができないらしい。
「いま、シデラから見えるよね、エルフ国」
「ん。エジェティアの双子を降ろすために王国に来て、そのまま滞在してるみたい。……アテナクの集落の調査が終わったら、行ってみる?」
「そうだなあ」
エルフ国は、空を漂う浮島に造られた都市だ。つまりは天空の城である。
その話を初めて聞いた時は「ラピュタは本当にあったんだ!」とお決まりの驚きに身が震えたものだけど——いざ自分が乗り込むとなると、やっぱりドキドキよりも不安が大きくなるな。リックさんとノエミさんが最初、あんな態度だったからなおさら。
二千年続いた、由緒正しい特別な血。
だけどあの夢を見た僕からしてみれば、
「カレンは日本人の子孫なんだから、父さんや僕と同じようなもんなんだよね……」
「私はそのことも嬉しかった。おじさまと同じルーツの血……外見は違っても、根っこのところではスイと同じだってわかったから」
始祖六氏族の血とか、エルフの風習とか。
エジェティアの双子と知り合って、ベルデさんたちが結婚することになって——改めてカレンとのことを考えた時、立ちはだかってくる、いろんなしがらみ。
けれどやっぱり僕らには、そういうの、些細なことのように思えるんだ。
「ね、スイ。もしエルフ国が反対して、邪魔をしてきたら……おじさまがヴィオレさまと結婚した時みたいに、スイも私を、攫ってくれる?」
僕の手に指を添えてくるカレンに、微笑む。
「物騒なのはちょっとなあ。できるだけ穏便に説得するよ。な、ショコラ」
「わふっ? ……わうっ!」
——そういえばこいつ、父さんたちが王国を脅した時にも同行してたんだっけ。
ミルクで真っ白になった口で吠え声を返すショコラを頼もしく思いながら、僕はカレンの指をぎゅっと握り返す。