トモエさんの機嫌が悪い
わずか三十分ほどの会合だったが、どっと疲れた——。
会合が終わり、四人が先に店を辞したあと。
僕とカレンは苦笑しながら顔を見合わせる。
途中から諸連絡などの事務的な話に入ったせいで退屈させてしまったのか、子ドラゴンたちはソファーに埋もれて寝入ってしまっていた。折り重なるように丸まってすやすやする姉弟はとてもかわいらしい。
ともあれ、双子である。
なんだか彼らに関しては、ベルデさんとシュナイさんの素晴らしさを散々語られただけで終わった気がする。
「初対面の時と別人だ……すごかった」
そう言った僕に、少し嬉しそうな溜息を吐くカレン。
「子供の頃に戻ったみたいだった。私は、安心した」
カレンは実のご両親のお墓参りのため、三年に一度くらいのペースでエルフ国へ赴いている。だからエジェティアの双子とも、幼い頃から面識があった。
「むかしはふたりとも、素直ないい子たちだった。でもちょっと素直すぎたんだと思う。成長して魔導が強くなるにつれ、世間知らずなところが悪く出て、他人を見下す嫌な感じの性格になっていった。……私も六年前くらいから、面倒くさくなって避けてた」
通りで再会した時、ちょっと嫌そうな顔をしていたのはそのせいか。
「エルフ国に住んでるエルフって、みんなあんな感じなの? 初対面の時のリックさんとノエミさんみたいな……」
「他種族をちょっと下に見てるところはあるけど、あんなにあからさまじゃない。でもあの子たちはたぶん『お前たちはすごい』『お前たちは特別だ』ってもてはやされて、その価値観がふくらんじゃったんだと思う」
なるほどなあ。
それでも性根は素直なままだったから、シデラで現実を知って元に戻った——目が覚めたのだろう。
「よかったね。昔馴染みと険悪にならずに済んで」
「ん」
安心したように顔を綻ばせるカレンを愛おしく思うと同時に、少しだけ嫉妬する気持ちが湧いてきて、自己嫌悪に陥る。
彼女がエルフ国へ定期的に赴いていたのは知っていた。ただそれは、話として知っていただけ。具体性がないから、ふうん、くらいに思っていた。
それがこうしてエジェティアの双子が現れたことで、実感してしまったのだ。
カレンは、僕以外にも幼馴染がいるんだな、って。
つい今し方、自分がその『幼馴染』という言葉を口にできなかったことに気付く。昔馴染み、なんて言い換えにもならない単語を使ってしまって——ああ、無意識でそんなことをしてしまうほど、僕は嫉妬していたのか。
「スイ、だいじょぶ。私の幼馴染は、スイだけ。幼馴染で、家族で、恋人……私のいちばん大切な人は、あなた」
「……っ」
——察したように。
そう言って微笑み、頭を寄せてくるカレン。
だから僕はその肩を抱く。
「ごめん。……幼稚でつまらないこと、考えた」
「そんなことない、嬉しい」
「くぅーん……わふっ」
「ふふ、ショコラもいたね。もちろんショコラも、私たちの家族で、幼馴染」
「……いや、カレン。これは違う。ミルクのおかわりを欲しがってるだけだ、こいつ」
「えっ……」
「あおん!」
空っぽになった皿を前に尻尾を振るショコラ。
がびーんと呆然とするカレン。
僕はショコラの頭を撫でながら、ポーチから手拭いを取り出した。
「一回、口をちゃんと拭くからな。真っ白だぞ」
「わふう……」
などとやっていると、扉ががしゃりと開き、トモエさんが戻ってくる。
先に帰った四人を見送りに出ていたのだが——、
「あ、お帰りなさい。すいません、できればミ……」
その顔に貼り付いていたのはいつもの営業用美人スマイルではなく、不機嫌を体現したような顰めっ面で。
「トモエさん……?」
「なんなんですの!? 本当にもうっ!」
怒号一声、拳を掌で打ち鳴らしながら、彼女は歯軋りしていた。
「あーーーっ腹立つ! スイさんカレンさん、すいませんけど残ってるケーキ、わたくしが食べても構いませんか!?」
「いや、それはもちろんいいですけど、あの、なんでそんなに……」
「きーーーっ!」
僕らの対面にどっかと腰掛け、手のつけられていない皿を引き寄せ、フォークをがんっと突き刺して口に運ぶトモエさん。豪快に頬張って飲み込むと、いつの間にか怒りの形相は消え——入れ替わりにどんよりとした雰囲気の溜息が、彼女の口から洩れ始めた。
「はあああ……」
いや機嫌の乱高下。
「くぅーん……」
「しっ、ショコラ。今は我慢しなさい」
ミルクのおかわりどころじゃないぞこれ。
なんなんだなにがあったんだ——うろたえる僕だったが、カレンは聡かった。
「トモエ。もしかして、シュナイさんのこと?」
テーブルにほとんど突っ伏していたトモエさんが、幽鬼のごとくぬうっと視線を覗かせる。
「……ちがいます」
「ノエミが懐いてるのが気に入らなかった?」
「ちがいます……そんなんじゃ……」
「だいじょぶ。あれは単に尊敬の眼差し。ノエミにそういう感情はない」
「でも……、……………………って」
「え?」
がばっ。
テーブルに両手を付いて顔を完全に上げ、こっちに詰め寄るようにして。
トモエさんは——叫んだ。
「シュナイのこと! 『ものにしてみせる』って! あの娘、言いましたわ!」
それは言った。
確かに言った。
でもそれは……、
——森のすべてを見通して、獣たちの習性を読み裏をかくその技術……なんとしても私、ものにしてみせるわ。
「技術のことですよ! シュナイさんの、斥候のっ」
「うがーーーーーー!!!!」
僕がたまらずつっこむも、トモエさんの情緒は落ち着かない。
「……そりゃ、あの娘は綺麗ですわよ」
ぼそり。
「うら若くて、肌なんて細やかで、髪だって、性格も素直で……おまけに冒険者として隣で戦えるなら、敵いっこないじゃないの。でも許せないのはあいつよ。ふざけんじゃないわよ、いい齢のくせにデレデレしやがって」
今度はテンション低く、ぶつぶつと呪詛を吐き始めた。
「スイ、どうしよう。対処法がわからない」
「ごめん、僕もわからない……」
トモエさんの乙女心なんだろうなというのはわかる。
好きな人の隣に、急に女の人が現れて。おまけに尊敬の眼差しで相手を見ていて。
ただ落ち着いて観察すれば——ノエミさんに恋愛感情がなさげなのも、シュナイさんが微塵もデレデレしていなかったのも、明らかなはずなのだ。むしろどちらかというと、ベルデさんを推すリックさんと張り合っているように見えた。
「でも、それを説明しても納得しないんだろうなあ」
「ん……困った」
「わふ、くぅーん……」
ミルクのおかわりをもらえそうにないショコラが項垂れる。
横のソファーではすやすやと、子ドラゴンたちが安らかな寝息をたてている。
トモエさんが叫んだのに起きる気配がないのすごいな。いや目を覚さない方がよかったかな。
そんなことを考えながら、カレンに肩をすくめてみせた。
「とりあえず落ち着くのを待とうか。僕らは無力だ……」