ごはんができたよ
まだ夜が白むうちから、石窯に火を入れた。
窯を暖めつつ材料を用意する。
小麦粉、砂糖に、ふくらし粉。卵とミルク、それからバター。
まずは小麦粉とふくらし粉を混ぜて篩にかけ、細かくしていく。この世界のふくらし粉は重曹と、それから『ズメイ』という亜竜の角を加工したものを主原料にしているらしい。魔物の角が材料なのかよって思うけど、これ使うといい感じのふわふわになるんだよな……。
次はそこに砂糖を加えてから卵を落とし入れ、ミルクで少しずつ溶いていく作業。ミルクは竜族の里から仕入れた大角羊のものだ。濃厚で後を引き、マンゴーに似た芳香がある。
ダマもなくなめらかになってきたところで、最後に温めたバターを投入。このバターもラミアさんたちが飼っている白毛牛のもの。ちょっと癖がある割になんにでも合う、最近のお気に入りだ。
あとはできた生地をフライパンに流し入れ、金属の型で囲う。石窯を使うからうんと厚めに、食べ応えがあるように。最後に、砂糖水を表面に塗ったら、あとは石窯でじっくりと焼くだけだ。
「お前はなにがいい? たまには大角羊のミルクにするか」
「わうっ!」
「昨日、妖精さんたちにもらったバナナも入れちゃおう」
「あおんっ! くぅー……」
「わかったわかった、いま刃物使ってるからじゃれついちゃいけません」
はしゃいで僕の足に飛びつこうとするショコラをあしらっていると、二階から母さんとカレンが下りてきた。
「おはよう、スイくん。早いのね」
「おはよう……ふぁ……」
「ふたりとも、おはよう。カレンは顔洗ってきなよ」
「ん、そうする……」
洗面所へ向かおうとするカレンと、ソファーに腰掛ける母さんへ、僕は言った。
「朝ご飯、もうすぐできるからね」
※※※
ホットケーキは芳醇な香りを纏いながらふっくらと分厚く、それでいて表面はカラメルによりかりっとコーティングされている。カットしたフルーツと、それから生クリームを添えて、みんなで味わった。
「朝から甘いものを食べると元気が出るわ。たまにはこういうのもいいわねえ」
「ん、ヴィオレさまに同じ。……でも、私はいつものお米も好き」
「あら、それはもちろんお母さんもよ」
ティーカップを傾けながら、ほう、と息を吐く母さん。
いつも朝は麦茶か緑茶だけど、ホットケーキなら——ということで紅茶にした。
「こっちの世界は普通、朝はパンなんだよね?」
「そうね、あとは麦粥とかかしら」
「こんな豪勢な朝ご飯、一流の宿に泊まっても出てこない」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、カレンはいつも大袈裟なんだよなあ……」
「大袈裟じゃない。真面目に言ってる」
「ええ、大袈裟じゃないわ。今日のホットケーキも本当に素敵だもの」
母さんまで……。
そういえば、お米って見たことがないんだよね。母さんもカレンもごくごく当たり前のようにサトウのごはんを主食にしてるんだけど、こっちの世界にもどこかにあるのかな。
「くーん……わふっ」
「なんだ、まだ食べたいのか?」
口の周りをミルクで真っ白にしたショコラが上目遣いにこっちを見てくる。仕方ない、今日は特別だぞ。
「きゃうっ! がふがふがふ……」
バナナ入りミルクのおかわりにがっつくショコラを(ミルクで床を汚さないか)見守っていると、カレンがふと問うてきた。
「……そういえば、スイ。あれ、どうしよう」
「ああ……」
というか、この子も口の端にクリーム付いてるんだけど?
手を伸ばしてそれを指で拭いつつ、僕は答えた。
「そのまま仕舞っておくのも申し訳ないし、アクセサリーに加工してもらおうか。来週あたり、ノビィウームさんに頼みに行こうと思う」
『あれ』とは、昨日、パーティーの終わりに四季さん夫妻がくれたもののことだ。
雫型をした透明な宝石が、三つ。
色さんの流した、涙である。
『これをあなたたちに受け取って欲しいの』
ふたりは、言った。
『本来は人の手にあまるものだけど』
『うん、きみたちならきっと、悪いことにはならないと思うから』——。
実際、受け取った時に肌が粟立った。
僕にもよくわからない質の、とんでもない量の魔力が込められている。『不滅』の特性を付与するまでもなく決して壊れないだろうし、なんならどこかへ落としても、勝手に僕らの手元へ戻ってきそうな気さえする。
「ショコラとスイくんとカレンで、それぞれひとつずつもらいなさい。ネックレスかイヤリングにするといいわ。あなたたちを守ってくれるはずよ」
「母さんはいいの?」
「ふふん……私には、これがあれば充分なの」
そう言ってイタズラっぽく微笑み、左手薬指を掲げる母さん。
紫と翠と黒の宝石があしらわれた銀の指輪——父さんから送られたそれは、母さんの想いを受け止めて誇らしげに輝いている。
「わかった。じゃあ、明日にでも行ってみようか。ノビィウームさん、腰を抜かさないといいけど……」
「ん、でも、他の人には任せられない」
「まあ、それはもちろん」
そういえば、妖精さんたちもシデラに行ってみたかったりするかな。
ミントもそろそろ街に連れて行ってもいいかもしれない。これから大きくなるにつれ、人の社会のこととかも学んでいく必要があるし。
「すい、かれん、しょこら、おかさん! おはよー!」
……などと考えていると、目を覚ましたミントが掃き出し窓を開けて元気よく挨拶してきた。
「おはよう、ミント。ジュース飲む?」
「のむー! でもそのまえに、ぽちのとこいってくるっ」
そのまま踵を返してとっとこ走り去っていく後ろ姿に苦笑しながら、僕はソファーから立ち上がった。
「ついでにふたりとも、お茶のおかわりはどう?」
「ありがとう、いただくわ」
「ん、私も手伝う」
「わおんっ!」
「いやお前はもうさすがに食べ過ぎだからね」
「くぅーん……」
しょんぼりするショコラ。
慰めるようにショコラを撫でる母さん。
キッチンへと歩いていくカレン。
「おはよー!」と庭の裏から微かに聞こえてくるミントの挨拶。
それに応える眠そうなポチの「きゅる……」という鳴き声。
家族の食卓を前に、僕の胸には後悔とか罪悪感とか後ろめたさとか、そういった迷いは迷いはもう、どこにもない。
父さん、愚痴、聞いてくれてありがとうね。
第五章『フェアリーテイル』でした。
妖精という存在。彼らとの関わりを通じて、この世界の成り立ちが明らかになっていく。そしてハタノ一家は新たな隣人を得、更には自分たちの想いを再確認する——そんなお話をお送りしました。
次回からは第六章です。しばらく出番の少なかった、シデラの街にいる面々にスポットを当てていきたいと思います。
引き続きお楽しみください。
またもしよかったら、ブックマークや評価などよろしくお願いします!