だからもう、さみしくはないのよ
我が家の庭に姿を現した少女——色さんは、息を大きく吸い込みながら、周囲を見渡しながら、目に涙を浮かべながら、言った。
「外の世界は、こんなにも色に満ちていたのね」
潤んだ瞳からいつかみたいに、透明な雫が落ちる。今度はぽろぽろと、ふたつ。
雫はやっぱり以前と同じように宝石となり、それを隣の四季さんが、さりげない仕草で受け止めた。
「おかあさん!」
そして直後。
感極まった声が、庭に響く。
「外だよ、ここが外だよ!」
「おかあさん……よかった……よかったねえ」
「一緒に遊べるの? お外で、これからは?」
「ああ、なんてこと。おかあさん……」
「ううう……うええええん」
「おまえたち。ありがとう、ありがとうね」
肩に、頬に、頭に、胸元に、首筋に。妖精たちがこぞって色さんへ群がりながら、喜びの声をあげる。そんな母と子の様子を眩しそうに眺めていた父親——四季さんが、僕らへ向き直った。
「これが、きみたちの魔術か。……脱帽だよ」
その横にあるのは、現世と『妖精境域』とを繋ぐ、穴。だがそれはもはや『穴』ではない。
僕らの魔術を経て、現世へ強く繋ぎ止められたことで形を変え、物理的な扉の様相を呈している。
「うん。どうも今までと同じ、ぼくの裁量で出し入れできるようだ。なんだっけな……これと同じようなやつを、ヒトだった頃に見たことがあった気がする」
「どこでもドアですか?」
冗談めかして僕が言うと、四季さんは肩をすくめた。
「わからない、やっぱり詳しい記憶はないよ。……ただ、なんだか懐かしさがあるね」
「その扉、もしよかったらうちの庭に常設してくれませんか? 気軽に行き来できるようにしたいな」
「ああ、こちらからもお願いしたい。是非そうさせてくれ。おそらくこの家の敷地内に設置しておけば、ぼくの魔力をほとんど使わずとも維持できそうだ」
快諾を得たので細かな場所を指定することにする。かねてより——色さんを外へ連れ出そうと決めてからずっと、考えていたプランがあった。
「ここ。塀に貼り付けるようにして設置できますか?」
「うん、任せたまえ」
転移してきた時は僕の胸くらいの高さしかなかった我が家のブロック塀は、度重なる拡張と改修を経て、今や僕らの背丈を超える高さになっていた。属性相剋が治った後のミントが張り切って、石を加工しくっ付けてくれたのだ。
扉を設置するのに相応しいあつらえになっているのである。
「すい! あれ、つくるの?」
僕らの相談を耳聡く聞きつけて、ミントがとてとて走り寄ってきた。
ハタノ家一同にはすでに計画を相談しており、この子もそれを知っている。
「みんと、がんばるよっ」
「そうだね、着手する。でもさあ、ミント。僕ら家族だけよりも、妖精さんたちと一緒にやった方が、うんと楽しいと思わない?」
「……、ふおー!! すい、てんさい! そっちのがたのしい!」
大喜びでぴょんぴょんと飛び跳ね、全身から期待を溢れされる。
ただ実のところ、家族みんながミントと同じ気持ちなんだ。
「スイ」
カレンが色さんたちを引き連れてこっちへやってきた。
「あの話、するかと思って」
「かれん! みんと、いっぱいはたらく!」
「ん、ミントは大活躍できる。でも妖精さんたちと一緒に仲良くね」
「うー! いっしょのほうがたのしいもんねっ」
「なんのお話なの? これ以上、わたしを驚かせるつもりかしら?」
色さんが悪戯っぽく微笑む。妖精たちはさすがに泣きやんでいて、だけどお母さんにくっ付きっぱなし。
その様子に微笑ましいものを覚えながら、僕は説明する。
「この辺りの一画、本来は牧場にするつもりだったんですけど……最近どうも、余剰スペースだってことが判明しまして」
ポチの食事ペースと牧草の生え変わりスパンが、現時点で供給過多になりそうなのだ。牧草の生育力と繁殖力が予想よりも高く、干し草を作ってもなお余裕。おまけにこの牧草、冬でもしっかり育ってくれるようで、これからの備えを用心しすぎる必要もない。
「だからこの場所を、憩いの場にしようと思うんです」
それはたとえば、イングリッシュガーデンみたいな。
「この周囲一帯に、花や果物の木を植えます。庭と牧場とここを繋ぐ道を作って、それ以外を色とりどりの鮮やかな空間にする。東屋も建てて、お茶なんかもできるようにしたい。もちろんガゼボの奥、塀には扉があって……あなたたちがいつでも、ここへ遊びに来られるようにしたい。僕らと気軽に、一緒に過ごせるようにしたい」
ガーデンは父さんの花畑と繋げる。
見てもらうんだ。
僕らがわいわいとやっているところを、元気でいるところを。
父さんの傍で、笑っているところを。
「わあ! すごい、素敵だ!」
真っ先にそう叫んでショコラの頭に飛び乗ったのは、夜焚だった。
「ショコラ、花畑の中で追いかけっこしようよ」
「わふっ! わうわう!」
ショコラは頭上の夜焚にじゃれつこうと、その場でくるくる回った。自分の尻尾を追いかける時みたいに。
「向こうから花の種を持ってきたいな。できるかい?」
「ええ、もちろんよ。でも、あっちのお城とはまた趣の違う庭にしましょうね」
鵲が母さんに相談している。
母さんはどこか楽しげに、彼の言葉を聞いている。
「ミント、土魔術が得意なんだよね? わたし、見てみたいな」
「むふー。はないかだも、いっしょにやるんだよ?」
ミントの手のひらに立つ花筏が目をキラキラとさせて。
それに対し得意げに、しかしわくわくした顔で応えるミント。
「今度はこっちで、ごはん、食べられるかな?」
「ん、もちろん。あなたたちの手に合うコップが作れたらいいんだけど」
孔雀がカレンの胸元に身体をつっこみ、甘えるようにじゃれる。
カレンはくすぐったそうにしながらも、優しい微笑みを浮かべる。
そして——。
「……ねえ、にんげん」
ポチの鼻先にまたがった霧雨が、ポチと一緒にずんずんと、僕に近付いてきた。
「きゅるるっ」
「わかってるわよ! あの……」
ポチになにかを促された霧雨は、ふわりと飛んで僕の眼前で止まると、少しだけもじもじして。
そっぽを向きながら、それでも、言った。
言ってくれた。
「ありがと。女王さまを外に連れ出してくれて。……おとうさんとおかあさんに、あんな笑顔をくれて。……ありがと、ほんとうに……っ」
最後の方は声も崩れ、霧雨は泣きじゃくる。
僕はそんな彼女の——彼女たちの様子に頷いた。
「こっから忙しくなるよ。庭作り、きみたちも手伝ってね」
「……、もちろんよ! にんげんなんかに言われなくてやってやるわ。わたしたちを誰だと思ってるの?」
僕らの様子を、四季さんと色さんが並んで見詰めていた。
屈託のない笑顔で、ふたり寄り添いながら。
庭に吹く秋風が彼らの髪を揺らし、草のにおいがふたりの破顔をまた深くさせる。
その表情は、城の中で目にした寂しそうなものとはもう、違っていた。
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