やがてやがて、あるべきところに
母さんに術式の骨子を組んでもらった。
カレンが細部を整えてくれた。
そして稼働の際は、母さんやカレンはもちろん、ミント、ショコラ、ポチ——家族みんなに魔力を分けてもらうことになっている。
こちらとしては万全を期したつもりだ。
だけどやっぱり万が一ということはあり得て、だから事前にそれをしっかりと伝える。
もし失敗したら——『常若の城』を『妖精境域』ごと失うことになる、と。
つまり最悪の場合、錨たる色さんと船たる『妖精境域』が切り離されてしまうのだ。因果が結べず、かつ維持できないとそうなってしまうだろう。
彼らの不死性や『意思あるものには観測できない』という特性まで消えることはないだろうが、だからといって家がなくなっていいはずがない。あれはヒトであった頃のふたりが、生まれ故郷である日本での思い出を残すべく想像した場所なんだから。
けれど四季さんと色さんは僕の説明をひと通り聞いた後、目を合わせ微笑み合い、きっぱりと言った。
「構わないよ。やってくれるかい?」
「……いいんですか?」
あまりの迷いのなさに思わず問い返すが、
「いいのよ。このお城も、お花たちも、確かに大切なものだわ。あなたが思い出させてくれた、わたしたちの『未練』が込められているのだから、今はなおさら」
「でもね。ぼくらのいちばん大切なものは、場所じゃない。家族なんだ」
「わたしたち夫婦と、五つの子供たち。孔雀、霧雨、花筏。夜焚、鵲……あの子たちと一緒にいられるなら、わたしにとってはそこが常若の城だわ。どこだって構やしないのよ」
その思いは、やっぱり僕らと——ハタノ家のみんなと、同じもので。
だからもう、止めたりはしない。
あとは僕らが全力で、全身全霊を尽くすだけだ。
※※※
色さんひとりを残し、みんなで『妖精境域』を出た。
彼女には並木道の終わり、四季さんが開いた現世との穴の前で待機していてもらう。
穴を開けてもらっているのは、我が家の庭と牧場の境目あたり。
かつてこの建物が転移してきた時にはまだ『虚の森』の一部であったが、度重なる領土拡大によって今やブロック塀の内側となった場所、玄関を出て右隅あたりだ。
術式を行使するのに——座標を固定するのに、これ以上の場所はない。
何故ならそこは、花壇——父さんの視線《石碑》が向いた先の場所だから。
「では、始めます」
僕の背後に立つのはうちの家族たち。
母さん、カレン、ショコラ、ミント、ポチ。
『穴』を挟んだ場所で見守るのは妖精の家族たち。
四季さん、孔雀、霧雨、花筏。夜焚、鵲。
四季さんは穏やかな顔で、けれど妖精たちは五者五様、少なからず不安な表情を浮かべている。
「大丈夫よ。……うちの息子を、どうか信じて」
母さんが妖精たちへ優しく語りかける。
「スイならできる。私たちが見てる」
カレンは僕の背に手を添え、落ち着かせてくれる。
「みんとも、がんばるよ!」
ミントがふんすと鼻息荒く、自分の両拳をぎゅっと握った。
「きゅるるるっ」
ポチはぶるりと身を震わせ、静かにその場へしゃがみ込む。
「くぅーん」
そして——ショコラは。
すてすて歩いてきて、ぺろぺろと。
知らず強張っていた僕の指を、舐めた。
「ありがとう、みんな」
いつの間にか緊張していたみたいだ。
だけど、もう大丈夫。
僕は頷き——そうして、始めた。
「……蕾むは菫、吹かば春凪。見上げれば星雨、進むに石英。踊る宇迦らは、終夜に在る」
これから行う術式は、大きく分けてふたつの効果を併せ持つ。
ひとつは、因果の偽造。
色さんが城の外にいても、錨の役割を果たせるようにする。
「……理繋げて、火、水、風。更に重ねて、土と光。五つを縒って、伸ばして届け。五つに依って、夜に座せ」
要は、世界を誤魔化すのだ。
『妖精境域』は色によって常に観測されている——という状態を仮想的に偽造し、因果線を途切れさせなければいい。
そしてもうひとつは、
「……菫は土を撫でる。春凪は光へ向かう。星雨は闇に寄り添う。石英は風と泰らかに。宇迦は水に抱かれ火を点す」
因果の創造だ。
背後で、家族たちが魔力を立ち上らせる。
それを母さんがひとつに集積する。
そしてカレンが経路となり——僕を背中から抱きしめて、流し込む。
「——そして終夜は天に鈴を鳴らし、すべてを可惜夜に委ねる」
幽世——『妖精境域』とはつまり、擬似的な異界である。地球やこの世界ほど大きくも強くもなく、少しの波で流されていってしまうような、そんな小さく儚い小舟なのだ。
だからこそ『色さんの観測』が必要不可欠となる。色さんが錨となることで、この世界の横に停泊している。ただこれは言い方を変えると——色さんに存在を依存しすぎているということ。
「夜、星、花。清かに連なれ。石、血、熱。艶やかに盛れ。手繰り寄せては紡ぎ、糸車は廻り……」
ならば色さんだけではなく、他のなにか、この世界に根を張ったなにかを、錨として追加設定してやればいい。
「……鮮やかならずとも、汚穢にあろうとも、彼岸と此岸は文を取る」
それが、僕らの住むこの地。
スイ、ヴィオレ、カレン、ミント、ショコラ、ポチ、カズテル——それらの魔力が宿り、土地に根差して強固に存在している、
「巡って七度。揺らめいて七度。色めいて七度。そよいで七度。繋げ満ちて、帰り来たれ。七度曲がれば、彼方は此方。終夜において、縁は守られる」
——この家そのものを、礎にする。
色さんと『妖精境域』とを繋ぐ因果を偽造し『色は常に幽世を観測している』という途切れない線を紡ぐ。
同時にこの家の一画と『妖精境域』との間に、境界融蝕現象を起こし、その門を固定する。
そしてこのふたつを束ね、楔とし。
世界の狭間に撃ち込み、恒久と為す。
彼らと僕らの間に、繋がりを作るんだ——。
「……『永劫は、可惜夜に佇む』」
詠唱を終えた瞬間。
光が奔り、熱が満ち、風が吹き、水が震え、大地が受け止め、闇が包んで——、
※※※
「ああ……懐かしいわ。ずっと忘れていた」
彼女は、一歩を踏み出した。
「外の世界は、こんなにも色に満ちていたのね」