むかしむかし、あるところへ
「……ひとつ、わからないことがある」
色さんの感慨、その余韻が終わるのを見計らい。
四季さんが、怪訝な声で問うてきた。
「時間だ。スイくん、きみの推察が正しいとすると……ぼくらは二千年前、ニホンというところからこの世界へとやってきたという。だがきみの語り口は、ぼくらのいたニホンときみが暮らしていたニホン……ふたつが、まるで同じ時代であるかのようじゃないか」
彼の表情は疑念というよりも、困惑に近い。
当然だろう。二千年という歳月は、あまりにも長く、重い——それを実際に体験してきた妖精たちにとっては、特に。
「チキュウ……ニホンが、ぼくらのいた時代ときみのいた時代とで、二千年間ほとんど変化がなかったとは考えられない。きみはこの矛盾について、答えを持っているのかい? 持っているとしたら教えてほしい。純粋な興味だ」
そして当然と言うのなら、彼の疑問もまた当然のものだった。
僕もまた、彼らの出自を推測した時、まったく同じことを思ったのだから。
時系列が合わない、と。
僕は頷き、説明を再開する。
「あなたたちが元は日本人だったんじゃないか——そう思った僕はまず、境界融蝕現象の歴史について調べることにしました。つまりこの世界において、いつの時代のどこに、どんな人が転移してきたのか。その記録です」
セーラリンデおばあさまに頼み、王都から文献を取り寄せてもらった。
それを読み漁った結果、見えてきたものがある。
この世界でたったひとり、僕だけにしかわかり得なかったこと。
「たとえば、今から三百年前。ひとりの女性が転移してきました。その人は『ハルヴァ』というお菓子を伝えたそうです。これは西アジアの伝統料理で、彼女がその地域の出身だということを物語っている。西アジアは、日本から遠く離れた場所だ」
つまり転移の対象は決して日本人だけという訳ではなく、おそらく世界中で、同じようなことが起こり得るということ。
「今から七百年前。この地を疫病が襲います。人がばたばたと倒れ、国家が機能しなくなる寸前まで追い詰められた。……その窮地を救ったのは、五人組の転移者だったといいます」
そして一度に転移するのはひとりという訳ではなく、時には複数もあり得るということ。……というかこの五人組ってたぶん、お医者さんだったんじゃないかな。『白い衣を纏っていた』みたいな一文あったし。
ともあれ。
極め付けの、僕が確信した事例は——。
「……今から、千百年前。世界を大きな戦乱が包みました。たった十年弱で幾つかの国がなくなり、人口も激減した……大陸の地図が今の版図になった、直接の出来事です」
歴史書に刻まれる大戦の名は『破滅へ進んだ三十二の季節』。
そしてその記録は、物語る。
「戦乱が起きたきっかけは、融蝕現象によってこの世界にやってきた転移者たちです。今に至るまで類を見ない、三十二名の同時転移。彼らは、ある学舎の同じ教室にいた級友同士だったという。これは……文献を深く読めば読むほど、現代日本の学生にしか、僕には見えなかった」
フィクションでよくある、クラス転移。
あれと同じものが起きたことを——。
「他にもたくさんの記録がありました。そのうちの幾つかは、彼らがどの時代のどんな国から来たのかを、推測できた。そして時系列を整理した結果、僕が確信したのは……『地球と異世界とでは、時間の流れが連動していない』ということ」
どう考えても二十一世紀の人だよなみたいな転移者の記録が、千年以上前のことを記した文献にあった。
かと思えば、産業革命以前の知識レベルしか持っていない人が、百年前に転移してきていた。
「地球で境界融蝕現象が起きると、こっちの世界に扉が繋がる。だけど、繋がる先の時代はランダムなんだと思う。あみだくじみたいな乱雑さで、時空と時代の因果を無視して、無作為に世界が繋がるんだ。だから僕から見たらはるか昔の人が、いまこの時に転移する可能性もある。そして僕と近い時代を生きていた四季さんたちみたいな人が……二千年前に転移することも、起き得る」
「……質問をいいかしら?」
発したのは、僕の隣にいた母さんだった。
カレンと母さんにはここへ来る前、既にあらましを伝えてはいた。だから本来なら、すべてわかっているはずだ。
なのにこうしてこの場で声をあげてくれたのは—— わざとわからない風を装ってくれたのは——四季さんたちへの配慮だろう。どんなに頭がこんがらがりそうな事象であっても、彼らにはしっかり把握しておいてもらわなければならないから。
「あなたたちには話していなかったけど、スイくんとショコラは、この世界で生まれて地球に転移し……そうして再び融蝕現象を起こして、この世界に帰還しているの。この子たちは十三年前に地球へ行き、十三年を経て戻ってきた。つまりその間、あちらとこちらでは同じ十三年が流れていたことになる。変ではないかしら?」
案の定、僕へではなく四季さんと色さんへ語りかけるような口調だった。
僕は母さんの意を汲み、答える。
「まさにそこが、肝要なんだ。僕もショコラも、あっちで十三年を過ごした。子供から大人に成長した。その上で、十三年後のこの世界へ戻ってきた」
「わふっ」
名前を呼ばれたショコラがきょとんとして僕に鼻先を向ける。というかお前、さっきからずっと僕の膝に脚を乗せっぱなしだよな……もしかして、もう果物食べ終わってるから暇なの?
「わうっ!」
「いま大事な話してるんだけどなあ……」
苦笑しながらとりあえず頭をわしわし撫でる。こら、僕の指を舐めても果汁はついてないぞ。
「ええと……そう、僕も当然このことに疑問を持ちました。なぜ僕らだけ、時間軸を維持したまま再転移したのか。考えた結論として……これは、色さん。あなたがこの城を維持できているのと、同じ理屈によるものなんです」
色さんははっとし、そうしてつぶやく。
「そうか……座標が、固定されていたのね」
「ええ、その通りです」
僕はさっき、色さんを錨にたとえた。
その例に合わせるならば、
「たぶん、世界っていうのは船みたいなものなんだ。次元の海をゆらゆら漂い、気ままに流されている船だ。そして次元の海には幾つかの船が浮かんでいて、それは時々、波の悪戯でこつんと体当たりする。あっちの世界とこっちの世界がぶつかって、ぶつかった場所に融蝕現象が起きる」
「でも、ぶつかる場所はその時その時で、一定ではない。だから現象が起きる度、時代がばらばらになっている……」
「ええ、そうです。だけど一度ぶつかると、船は慌てて、錨を降ろして停泊する。そして停泊し続ける。……おそらく、その錨を失うまで」
あっちの世界とこの世界は今、接触したまま停泊している状態なのだ。
それは僕とショコラという錨が、海に降ろされているため。
もしかしたら——錨と船体を結ぶロープがこんがらがって、身動きが取れないのかもしれないな。
「だから僕とショコラが生きている限り、あっちの世界とこっちの世界は、同じ時間を歩み続ける。たぶん僕もショコラも死んでしまったら、ふたつの船は錨と切り離され、また次元の海を漂い始める」
正確に言うなら、父さんと僕とショコラ、だ。
父さんがここへ来てからあっちに戻るまでは、父さんが座標となっていた。
だけど父さんが僕とショコラと一緒に戻ったことで、僕らが座標となった。
結果、父さんが死んだ後も僕らによって時間軸は連動し続け——僕らは無事、母さんとカレンのいた時代へと帰還できたって訳だ。
ともあれ。
この理屈に従えば、色さんを外へ連れ出す方法も見えてくる。
僕の闇属性魔術であれば、やれるはずだ——。
「この『妖精境域』は正確には『別の世界』ではないから、細かな差異がありますが……理屈は変わらない。ポイントは、座標の固定なんです。色さんが錨の役割を維持できるかどうかなんです。その関係、その因果因果さえ維持していれば……船と錨を結ぶロープさえ切れなければ、時間軸と扉を維持したままにできる。あちらとこちらを、行きて戻りしことができる」