ありふれたひとのはなし
「……最初の手がかりは、四季さん。あなたのその服でした」
僕は語る。
彼ら妖精たちに——彼らの過去、二千年の永遠が始まる、更にその前のことを。
「一見して、妖精王……王さまらしい格好です。細かな装飾が豪華で、すごく似合ってる。でも僕には、既視感がありました。どこかで見たことあるな、って」
それに対し、彼らは無言だ。
ただ静かに、まっすぐに。
正面から僕の言葉を、受け止めてくれている。
だから、そのまま続ける。
「次に引っかかったのは『妖精境域』へ来て、城の外、並木道の花を見た時。既視感が違和感になりました。宴で出してもらった果物も合わせて、僕は『もしかしたら』と思った」
そして——、
「決定的だったのは、色さんと対面した時です。理由は四季さんと同じ、あなたの着ている服。ふたりのものを合わせてようやく……僕は『それ』がなんなのかに気付いた」
気付けたのは、僕だけだ。
母さんやカレンには絶対に無理だ。可能性があるとするなら僕のほかには父さんだけだろう。
「四季さん、色さん。あなたの着ているのは……学生服だ。四季さんのは詰め襟っていう。そして色さんのは、セーラー服っていいます」
四季さんの衣装は首周りに襟が立ち、前がボタンで留められている。各部に装飾が施され、色も黒ではなくなっているが、それでも全体の構造とシルエットは、詰め襟——いわゆる学ランと呼ばれるものと相似していた。
色さんのドレスはもっとわかりやすい。逆三角形に広がった大きな襟にプリーツの入ったストレートスカートは、こっちの世界のドレスとしては異彩を放っている。細かな装飾が加わっていたり、胸元のスカーフがフリルになっていたり、そういった差異はあっても——やっぱり全体的には、セーラー服なんだ。
「城の外に植えられた花たち。春夏秋冬のものが一斉に咲いていることに驚いたけど、よくよく考えたらおかしいんです。桜、藤、紫陽花、桔梗。彼岸花、菊、椿、水仙……どれもこれも、日本に生えている花ばかりだ。こっちにも存在する品種はあるけど、桜や紫陽花なんかは、カレンや母さんも見たことがないって言ってた」
なによりも、桜だ。
僕の見立てが正しいなら、あの並木道に生えていた桜は、ソメイヨシノだと思う。
ソメイヨシノは日本——江戸時代に、人為交配によって生み出された種で、受粉しても種子ができない。だから接木によって殖えるしかなく、日本に植えられているソメイヨシノはすべて同一個体、クローンだというのは有名な話である。
つまりあの桜は本来、異世界にあるはずがない。
「更に言うなら、歓迎の際に出してもらった果物や野菜にも、地球にしかないものがたくさんあるはずです。こっちの植物をすべて知っている訳じゃないから、桜みたいに絶対とは言い切れないけど……それでもこれだけの条件が揃っている以上、僕の推察は間違いないと思う」
僕は深く息を吐く。
目の前にいるふたり、四季さんと色さんの顔を見る。
ああ——どうしても他人とは思えない。
だって彼らは、僕らだ。
ひょっとしたらあり得たかもしれない、僕らなんだ。
「あなたたちは二千年前、この世界に転移してきた。境界融蝕現象によって、日本からやってきた。ふたりきりだったのかもしれないし、他にも仲間がいたのかもしれない。当時のことまではわからない。でもきっと……あなたたちはまだ学生で、制服を着ていて。そして、シベリアンハスキーを連れていた」
思わず、足元。
愛犬の——ショコラの頭を撫でる。
「わふっ?」
どうしたの、ときょとんとするショコラ。
僕は返事をしないまま、わしわしと情動のままに手を動かす。
「こっちの世界に戻ってくるまで、僕はこいつのことをシベリアンハスキーの雑種だと思ってた。妖精犬という種だったって教えられて、びっくりして、受け入れてたけど、よくよく考えてみればおかしな話なんだ。だってショコラは……こいつの姿が妖精犬の典型的な形質だとしたら、あまりにもクー・シーは、シベリアンハスキーに似過ぎてる」
「くぅーん?」
僕の膝に前脚を乗せて甘えてくるショコラ。
どこか心配げなのはきっと、僕の心中を察してくれているからだ。
「色さんが言ってた。ショコラは、自分たちがむかし飼っていた犬の子孫なんじゃないか、って。それはきっと正しい。こいつのご先祖さまとあなたたちは、一緒に日本からやってきた。そしてこの異世界でも共に過ごしてきた。でも、人の姿を捨てて妖精になる時……なにかの理由で、妖精境域に連れてはいけなくて」
苦渋の決断だっただろう。
子供たちの命と、愛犬との別れ。
理屈としてどっちを取るかは迷うべきじゃないにせよ、感情として天秤にかけられるようなものじゃない。
僕だったら——僕は——ああ、くそっ。
こいつと離れ離れになるなんて、きっと耐えられない。
「シベリアンハスキーは、その後、この世界で強く生きた。あなたたちが妖精化した際の影響を受けたのかもしれないし、別の血が混じったのかもしれない。なんにせよ、彼らはちゃんと子孫を増やして、ヘルヘイム渓谷を棲家にして、いつしか『妖精犬』と呼ばれるようになって……その果て、末裔に、こいつがいるんだ」
「わふ! きゅー……」
愛犬と、友人たちと、あるいは家族とも別れて。
人じゃないものに変貌し、世界の隙間に落っこちてしまって。
それでも。
彼らは二千年を経てもなお、かつての残滓を持ち続けている。日本人だった名残を持っている。
たぶん——妖精に変化する時、かつての記憶が作用したんだろう。
学生服。彼らが青春を過ごした時に着ていた、思い出の衣服を再現した。
四季折々の花と果実。彼らが日本にいた時に親しんでいたものたちを、無意識に創造した。
『妖精』の姿。地球のメルヘンに出てくるその貌を模して、身体を作り替えた。
そして——自分たちの名前を、改変した。
『四季』、『色』。
『夜焚』、『鵲』。
『孔雀』、『霧雨』、『花筏』——。
世界の『修正』で言語が自動で翻訳されてるから、すぐには気付けなかったけど。
彼らの名前は、どれもこれも日本語なんだ。
けれど日本で過ごした頃の記憶は、心は、すでに彼方へ失われて。
意味を置き去りに、ただ形だけが二千年間、在り続けている。
「……このことをお話ししたのは、僕のエゴです」
いまさら、思い出せなくてもいい。
失った意味が取り戻せなくてもいい。
「あなたたちに、知ってもらいたかった。あなたたちに、人の世界から持ってきたものがあることを。失ってもなお、残っているものがあることを。忘れてしまおうとも、あなたたちが生きていた証はあることを。僕らと……僕と、なにも変わらないんだってことを」
正確に言うなら、僕は日本人じゃない。こっちで生まれてあっちに飛ばされ、そうしてまた戻ってきただけの、異世界人だ。
だけど——覚えている。
日本で過ごした日々のことを。
桜の下を通って学校に通い、傘を差しながら紫陽花の横を通り過ぎ、彼岸花の咲き乱れる土手を走り、椿の木に積もる雪を眺めたあの暮らしを。
デザートに旬の果物を食べ、四季折々に心を巡らせた、懐かしい生活を——。
「……そうか」
そして、ふたりの妖精は。
四季さんと色さんは、僕のその訴えを前にしばらくの間、瞑目し。やがて目を開くと、穏やかに笑う。
四季さんがどこか清々しい顔で、言った。
「正直なところ、きみの話を聞いてもいまいちピンと来ない。こことは別の世界のことも、日本という国のことも、ぼんやりと雲を掴むようさ。でも……ひとつだけ。ひとつだけ、思い出したことがある。……未練だ」
遠くを見遣るように、思いを馳せるように。
「ぼくと色には、人であった頃、ずっと未練があった。子供たちに、故郷を見せてやりたかったな、と。ぼくらが生まれ育った場所の景色を、子供たちにも見せてやれたらいいのにな、と」
色さんが、セーラー服の形をしたドレスの胸元でぎゅっと指を握りながら言った。
「わたしも思い出したわ、同じことを。……そっか、よかった」
「うん、よかった」
互いを見詰め合い、彼らは笑う。
「少しだけ、欠片だけだけど。わたしたち——あの子たちに、生まれ故郷を見せてあげられていたのね」