インタールード - 自宅:昼下がり
スイがシデラから戻ってきて、三日になる。
だがこの三日間、彼はずっと自室に籠りっぱなしで——カレンはそれが、少しだけ不満だった。
もちろんそれは、少しだけ。
スイのことを応援したいという気持ちは強い。
『妖精境域』から出ることのできない妖精女王——色に外の世界を見せてやりたいというのはカレンも同じだし、そのために全力を尽くすスイのことを愛おしく、そして誇らしく思う。
だけどやっぱり、少しだけ。
朝から晩までずっと部屋にいて、シデラから持ち帰った本をひたすら濫読しているスイに対して、頬が膨らんでしまう自分がいる。
もっと構ってほしい。一緒にいたい。隣に寄り添っていたい。触れ合っていたい。
そう思うのは、わがままなのだろうか——。
「カレン、スイくんにお茶を持っていってくれる?」
「……やだ。ヴィオレさまがやって」
だから台所でティーカップに紅茶を注ぐ義母にも、拗ねてしまう。
「あらまあ、この子は」
ヴィオレは苦笑し、お盆をキッチンカウンターに置くと、ソファーで膝を抱える義娘の頭をこつんと叩いた。
「どうして嫌なの?」
「……スイ、ドア開けてくれないかもしれないから」
悪癖としてスイは、夢中になると周りが見えなくなる。
それはつまり集中力がすごいということで、尊敬すべきものではあるのだが、いかんせんお茶を持っていっても、部屋の向こうから「ありがとう、そこに置いておいて」なんて言われてしまいそうな気がするのだ。
「これは重症ねえ」
カレンがむくれているのへ、ヴィオレは溜息混じりでつぶやく。
「そんなことはないと思うけど?」
「ん……でも……」
万が一、そっけなく言われてしまったら。
きっと、悲しい気持ちになる。なってしまう。
そして自己嫌悪に陥るのだ。
スイは頑張っているのに、なのにどうして、自分はこうなんだろうと。
応援したいのに、叶うなら手伝ってあげたいのに、それなのに私は、私のことばかり。なにもできないくせに、ただわがままばかりで、構ってもらえないからと寂しがって——最低だ、と。
カレンは抱えた膝に顔を埋める。
なので、ヴィオレは肩をすくめた。
「仕方ないわねえ。……ミント、ショコラ!」
そうして掃き出し窓を開け、庭で遊んでいる子供たちを呼ぶ。
「なに、おかさん」
「わふっ?」
「カレンと一緒に、スイくんへお茶を持っていってくれる?」
「うー!」
ミントは屈託なく間断なく頷くと、リビングに上がってくる。ショコラともども、ヴィオレにタオルで足を拭いてもらいながら、カレンへ笑いかけた。
「いこ! かれん!」
「ん……わかった」
渋々、カレンは立ち上がる。ミントが一緒なら断れない、ずるい——とヴィオレに抗議の視線を送るが、義母は微笑んで受け流すばかり。
「お盆は危ないから私が持つね」
「じゃあみんとは、どあをあけたげるね!」
「わうっ」
自分は自分は? と息を弾ませるショコラをなだめながら、二人と一匹で階段を上っていく。スイの部屋の前まで辿り着くと、ショコラが来訪を知らせた。
「ばうっ!」
「……どうした? ショコラ」
すぐに中から、くぐもった返事——カレンの愛しい人の、ちょっと疲れた声。
「すい、おりますか!」
「おりますよ。どうぞ」
「むふー。あけるよ!」
ミントが喜び勇んでドアノブをひねる。
「ああ、お茶、持ってきてくれたんだ。ありがとう」
カレンが持ったお盆に気付き、微笑むスイ。
カズテルの書斎を模様替えしたその部屋は、元からあった執務机と本棚を詰めた空間にベッドを押し込めていて、ちょっと手狭だ。
スイはかつて父が愛用していた椅子から立ち上がり、カレンたちを出迎えた。
「ん、これ。……あまり根を詰めすぎないでね」
「うん、大丈夫。借りてきた本もあらかた読み終えたところだし、考えももう少しでまとまりそうだ」
「……じゃま、だった?」
「まさか。そろそろ、ひと息入れようと思ってた」
お盆からティーカップを受け取って机の上に置くスイ。
その後ろ姿に、カレンは唇をわずかに震わせる。
なにか声をかけたかった。
さっきみたいな——根を詰めすぎないように、とか、邪魔だった? とか、そんなありきたりな科白じゃなく、もっと別のなにか。スイとカレンの気持ちを繋げることのできる、そんな言葉をかけたかった。
でも、思い付かない。口下手な性を呪った。逡巡して手を伸ばそうとし、引っ込める。ああ、自分はこんなにも気弱で臆病だっただろうか。
思わず顔をくしゃりとしたカレンを救ってくれたのは、ミントだった。
「すい、ぎゅーってする!」
「うん? どうしたのミント。いいよ、おいで」
抱っこをねだって甘えようとしたミント——カレンからもそう見えた——に笑いかけるスイへ、しかし。
ミントは首を振った。
「ちがうよ? みんとじゃなくて、かれんがぎゅーってするの」
「え……」
スイとカレン、ふたりの間に立って両腕を伸ばし、ふたりの手をぐいぐい引っ張ってくる。まるで、両親に仲良くしてもらおうと笑う子供のように。
「すい、げんきない、つかれてる。だから、かれんにぎゅーってしてもらうの」
「カレンに? ミントじゃなくて?」
「うー!」
そして、続くミントの言葉に。
カレンとスイは——目を見開いた。
「まえに、みんとがつかれてたとき、あったでしょ? あのとき、かれんにぎゅーってしてもらうと、げんきでたよ? ……すい、あのときみんとをたすけてくれたみたいに、しきをたすけるんだよね。だから、げんきだす! かれんにぎゅーってしてもらう!」
「……っ」
——まえに、みんとがつかれてたとき。
それはもしかして、属性相剋の。
——みんとをたすけてくれたみたいに。
この子は、知っていたの?
自分の身になにが起きていたのか、勘付いていたの?
それに、ああ——なんてこと。
カレンの目尻に涙が浮かぶ。胸にあたたかいものが満ちる。
ミントの、無邪気なその言葉。
—— かれんにぎゅーってしてもらうと、げんきでたよ?
そうか、私は。
ミントの助けに、なれていたんだ。
「なるほど、そうなんだ。ミントはかしこいなあ」
「むふー」
頭をぐりぐり撫でられて喜ぶミントが、一歩下がるのと同時。
カレンの身体が、抱き寄せられる。
「スイ……」
「カレン、部屋に籠りっぱなしでごめん。もうすぐ終わるから」
「ん……」
「お茶、ありがとう。これ飲んで、もうひと頑張りするよ」
「ん」
だから、カレンは。
ミントに言われた通り、自分の気持ちに忠実に。
背中に手を回し、愛しい人を、ぎゅーっとする。
「スイ。もうひと息」
「うん、もうひと息だ」
気の利いた言葉なんて要らなかった。
手を伸ばすのを躊躇することもなかった。
自分は役立たずだなんて——そんなこと思ったら、みんなに叱られてしまう。
「ね、げんきでたでしょ!」
「くぁ……」
ミントが得意げに笑いかける。
ショコラが床に寝そべってあくびをする。
スイの胸元に顔を埋め、涙を隠しながら、カレンはより一層、背中に回した手に力を込めた。
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