かなしくはないのよ
——全員が、無言だった。
僕ら人間は、彼ら妖精にかけるべき言葉がなく。
彼ら妖精は、僕ら人間のそんな様子を穏やかに見ていて。
やがて口を開いたのは、妖精女王——色さんだった。
「ありがとう、そんな顔をしてくれて。……でも、いいのよ。そんな顔をしなくても」
声の幼さとはかけ離れた、二千年の達観と慈愛で、彼女は言う。
「わたしたちは、自分たちを不幸だと感じたことはないわ。むしろ恵まれているって思うわ? だって、夫と、子供たちと……家族と一緒に、二千年もの間、楽しく暮らし続けているのよ?」
「そうだね、妻の言う通りだ」
妖精王——四季さんもまた、ゆったりと頷いた。
「ヒトだった頃の記憶はばらばらに抜け落ちていて、覚えていないことの方が多いけど……それでもはっきりと言えることがある。ぼくらは、自分でこの道を選んだんだ。そして後悔もない。きっと時が戻っても同じ選択をするだろうし、同じように生きていくさ」
「その、お子さんたち。……他の妖精たちは、このことを?」
「知っているよ」
たまらなくなって尋ねた僕へ、返ってくる肯定。
「ぼくらの発生した経緯も、妖精境域の成り立ちも、この二千年間、自分たちがどう過ごしてきたのかも。ただ……あれらは気にしていない。むしろぼくと妻を気遣ってくれさえする。ぼくらにはもったいない、いい子たちだよ」
そして彼の表情は、我が子を慈しむ父親のそれとなる。
「だからできれば、普通に接してくれると嬉しいな。なにせきみたちはぼくらのことを認識した、世界で初めての存在だ。あれらには……楽しく過ごしてほしい。笑っていてほしい」
「わたしからもお願い」
色さんの笑顔もまた、家族を想う母親のものになった。
「あなたたちが優しい人だというのは、見てればわかるわ。わたしたちのことを想ってくれたんでしょう? でも、だからこそお願いしたいの。……あの子たちと、遊んであげて。わたしの願いはそれだけ」
「うん、初めて出会ったのがきみたちでよかった」
「ええ、すごく幸運なことだわ」
ふたりは顔を見合わせて笑い——僕らへ、告げる。
「きみたちには知っておいてほしい。……この永遠は、いつ終わるともしれない儚いものだってことを。妖精境域に属する限り、ぼくらは決して死なないし老いもしない。だけど、外部からの干渉を受ければ別だ」
確かに、ずっと気になっていたことだった。
この城へ来る前、四季さんとの会話を思い出す。
——転べば怪我をするし、怪我が酷ければ死ぬ。
単に、僕らを安心させるためのものだと思っていた。
警戒心を持っていた僕らに、自分たちは危険なものではないとアピールしただけなんだと。
だけど、違う。違った。
彼が本当に伝えたかったのは——覚悟していたのは。
「ぼくらが二千年間、変わらない姿のままで過ごせてきたのは、外部からの干渉がなかったからさ。誰もぼくらに触れられず、認識できず、観測できない。その前提があったからこそ、ぼくらは妖精境域の永遠を、ぼくらの永遠としていられた。でも、きみたちもわかっているだろ? 機械の眼——幻想を暴き白日の元に晒すあの技術は、人に妖精の実在を知らしめる」
人間の身の安全ではなく、むしろ。
妖精たちの終焉、だったんだ。
「つまりこの城とぼくらはいずれ、人に見付かり……壊されるだろう。永遠の終わりが近付いているんだ」
「待ってください!」
僕はたまらず反論した。
違う。こんなのは、こんな達観を見たくて、僕は……!
「あなたたちを撮影したスマホは、異世界の機械です。僕にも仕組みはよくわからないから複製も不可能だ。それに僕らは、カメラのこともあなたたちのことも、世間に言うつもりはない」
「ありがとう、スイさん。あなたの優しさをとても嬉しく思うわ。でもね……それでも、道は開けてしまった。道があると、わたしたちは知ってしまったのよ」
「きみたちがその機械のことを一生、誰にも話さずにいたとして。なるほど確かにぼくらを脅かす者はしばらくは現れないだろう。でもね、たとえきみがなにもしなくても、知らぬ顔をしていても……技術というのはいずれ誰かが発明し、発展させていくものなんじゃないかい?」
「それ、は」
「きみのいた世界がそうであったように、この世界にもいつか誰かの手によって、カメラが生まれるだろう。それは十年後かもしれないし、百年後かもしれない。でも、百年も二百年も、ぼくらにとってはじきに来る未来さ。二千年前よりは遥かに近い」
「そしてカメラが生まれたら、わたしたちはいずれまた発見されてしまうわ。あなたたち以外の誰かによって」
「でも。仮にそうだとして、人があなたたちを害するとは……」
「いいんだよ、わかってる。きみもわかってるだろう? そんな訳はない、と」
「……っ」
僕は、返す言葉がない。
母さんもカレンも、同様に。
「たとえきみたちの次に出会うのが、きみたちのように優しくても。その次、更にその次がどれも優しくても。いつか必ず、そうでないヒトが現れる。そしてやがて、結果として……ヒトは必ず、ぼくらを滅ぼす。ぼくらはこの世にたった七つしかいない、か弱い妖精なのだから」
「僕らが……僕らのせいで、あなたたちにそれを気付かせてしまった」
「それは違うよ、スイ殿。そんな顔をするものじゃない。これは、いつか必ず来る運命だったのだから。でもね……ぼくらは嬉しかったんだ。最初に出会えたのが、きみたちで。ぼくらが終わりを自覚するきっかけが、きみたちで」
四季さんが立ち上がり、僕の前まで歩いてくる。
子供の背丈は、僕が椅子に座っていてようやく、視線の高さが合う。
彼は僕をそっと抱き締めた。
「この出会いは、寿ぎだ。せめてきみたちの命が尽きる日まで、ぼくらのことを隣人にしてほしい。ご近所さんとして、仲良くしてほしい」
色さんも立ち上がり、彼女は僕の足元——お座りをするショコラの元まで歩いてきて、ちょこんとしゃがみ込んだ。
「わんちゃん……たぶんだけど、わたしたちがむかし飼っていた子の、末裔。もう覚えてはいないけれど、きっとあの子もあなたみたいに、主以外には尻尾を振らない、誇り高い子だったんでしょうね」
「わふっ。くぅーん」
ショコラの頬をそっと撫でる。
ひと鳴きしたショコラは、彼女の言葉を裏付けるように——尻尾は振らず、それでも拒まずに、ぺろりと指先を舐めた。
やがて立ち上がったふたりは、晴れやかに朗らかに、手を差し出してくる。
「湿っぽくなってしまったね、すまない。こんなぼくらだけど、時々は一緒に遊んでくれないかな?」
「せっかくできた縁だもの。これからも仲良くしてくれると嬉しいわ」
それは彼らとの親交が始まる証でもあり、彼らの終わりの幕開けでもあった。
彼らのことを歓迎したい気持ちはある。楽しく過ごしていきたいと思うし、ご近所付き合いが増えるのは嬉しくもある。
「ええ、わかりました。こちらこそよろしくお願いします」
だけど、僕らはふたりの手を握り返しながら、その温かな手に思うのだ。
なにか彼らへ、できることはあるんだろうか——と。