そこに涙が、ひとしずく
お城の玄関からまっすぐ進むと広間があって、奥に玉座がふたつ並んでいた。
うち、ひとつ——向かって右側に座る人影が、僕らの来訪と同時に立ち上がる。
「色、来てくれたよ。彼らが現世の……森に住む、賓たちだ」
妖精王、四季さんがその名を呼ぶ。
『四季』と『色』。
不思議なことに同音にもかかわらず、僕らの耳は聞いただけで二人の名を区別できた。
妖精女王たる色さんは、玉座から僕らへ向かってしずしずと歩んでくる。
姿は歳の頃十一、二歳の女の子。
四季さんの白金色と対照的な灰銀色の髪はふわふわと波打っていて、水銀が泡立っているようだ。背中の羽は、二対四枚のすべてが玉虫色。つまり世界のあらゆる色が渾然一体となったかのような、複雑な輝きを纏っている。
だがなによりも——すらりとしたシルエットのドレスに、僕は目を見開く。
そのデザイン。
女王さまめいた華やかで豪華な装飾が施されてあるけど、これは——。
「まさか……」
「ようこそ。来てくれてありがとう」
僕の瞠目と小さなつぶやきは、女王の挨拶によってかき消された。
「わたしの我儘に付き合わせちゃってごめんなさい。そして心から感謝します。こんな異郷に来てくれてあり、が……」
だがその挨拶もまた、口上の途中で不意に止まる。
「……色?」
「あ、……」
訝しんだ四季さんが声をかけるのに反応はなく、代わりにその視線は僕ら、ミントの傍らでお座りをしている、
「わふっ?」
「いぬ……わんちゃん、わんちゃんだわ!」
ショコラにロックオンされていた。
「ああ、わんちゃん! なんて愛らしい。またこの目で見ることができるなんて!」
色さんは感極まったように叫びながらショコラの前へと駆けていく。
そして目前で座り込み、唇を震わせ、
「ああ……ねえ、撫でさせてくれないかしら」
こっちを見上げながら懇願する。
その顔、その声音、そしてその目尻に浮かぶものに気付き、僕は、
「ショコラ。……いいか?」
こいつは家族以外には懐かず、撫でさせることをよしとしない。
そのポリシーを曲げてもらえないか、ショコラへ尋ねる。
「このひとは、城から出ることができないそうなんだ。だから」
「わうっ!」
ショコラは「わかったよ」とばかりにひと吠えすると、色さんへと数歩、距離を詰めてそっと自分の頭を差し出す。
色さんはゆっくりと震える手を伸ばし、おずおずとショコラの頭を撫でる。懐かしむような、確かめるような、それでいて愛しむように。
「……ああ、あったかい、やわらかいわ。ありがとうね、わんちゃん……ありがとう」
ぽろり。
目尻から溢れた涙が、ひと雫、こぼれ落ちる。
それは——からん、と音を立てて、床へ転がった。
限りなく透明な涙滴型の、宝石となって。
※※※
やがて、ひとしきりショコラを撫で終わった色さんは立ち上がる。
「……ごめんなさい、いきなり変なところを見せちゃって。わたしの名は、色。『常若の城』の主にして、幽世を統べる『もの』…… 妖精境域の女王よ」
プリーツの入ったストレートスカートの端をつまみ、一礼するその姿は気品があった。容姿は幼くとも、立派な女王だ。
伴侶たる王——四季さんが、床に転がる涙の宝石をさりげなく拾いつつ、僕らへと言う。
「あっちに歓迎の用意をしてある。自己紹介なんかはそこでやろう。……もっとも、きみたちにとっては物足りないかもしれないけどね」
だが謙遜とは裏腹、案内された部屋のテーブルに並べられた食事に、僕らは感嘆の声を洩らす。
「……すごい」
確かに、肉や魚などの動物に由来するものはない。
その代わりお皿に盛られているのは、ありとあらゆる果物、野菜だった。
林檎、オレンジ、バナナ、葡萄、マンゴー、パパイヤ、パイナップル。キウイ、メロン、枇杷、ライチ、苺、梨、桃。
トマト、キャベツ、ブロッコリー。レタス、セロリ、人参、パプリカ、——。
とうもろこしや芋、ナッツ類などの主食になるものもあって、ちゃんと火が通されている。焼きたてのバゲットも籠にたくさんだ。木のコップに注がれているのは、蜂蜜と果汁のジュース。それにこの香りは、葡萄酒も。
「わあ……!」
「きゅるるるっ!」
ミントが満面の笑みを浮かべ、ポチも嬉しそうに嘶いた。
僕らにとってもこれは、望外の歓待である。
「ありがたい。森の中だとこういうのはなかなか手に入らないからさ」
「ね、スイ。半分くらい、私の見たことない果物がある」
「季節なんて関係ない、って感じね。……すごいわ」
「用意してくれたのは我が子らだよ。みんな、挨拶しなさい」
四季さんが言うと、妖精たちが僕らの周囲に集いながら楽しそうに、自慢げに教えてくれる。
「えへへ、お城の裏でね、いろんな果物を育ててるの」
と、カレンの肩に止まった孔雀が笑う。
「あなたはどれが好き? やっぱりジュースかな?」
ミントの頭の上で問いかけるのは、花筏。
「クー・シーにも食べられるはずだから、期待しててよ」
ショコラの背に乗ってにこにこする夜焚。
「ふふん、その辺の牧草とは違うってこと教えてあげるわ」
ポチの角に花輪をかけながら、鼻を高くする霧雨。
「葡萄酒はぼくが醸造したんだ。味を見てくれると嬉しい」
そしてお酒に反応した母さんに目敏く寄っていく、鵲——。
僕は彼らを横目に、四季さんと色さんへお礼を言う。
「ありがとうございます、こんな豪勢なものを。みんな、喜んでる」
ふたりは穏やかに笑みながら、それに応える。
「食べても戻れなくなる、なんてことは誓ってないから、安心してくれていいよ」
「お肉やお魚がないけど、我慢してね。わたしたちは意思あるものには干渉できないから、どうしてもこうなっちゃうの」
ふたりに促され、僕らは席に着く。
そうして——歓待の宴が、にぎやかに始まった。
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