たくさんの花が咲いている
三日間、妖精について可能な限り調べた。
ジ・リズたち竜族に尋き、母さんは王都へ赴いて文献を繙き、伝承から寓話までいろんな方面から考察を重ねたが——結果として導き出されたのが、『大丈夫なんじゃないか』という妙な安心感だった。
驚いたことに、妖精が悪さをしたという伝承がほぼないのだ。
理不尽なことや不可思議なこと、都合の悪いことが起きた場合、神様とか妖怪とか妖精とかの正体不明な存在に責任を仮託するのは、至って自然な社会行為だ。
夏なのに寒い日が続くのは神様が怒っているから。
食後、急に眠くなるのは妖怪に精気を吸い取られたから。
コップが落ちて割れたのは妖精が悪戯をしたから——そういった具合に。
だけどこの世界の人々は、その対象に『妖精』を含めない。
神様とか妖異とか魔物とかの仕業にはしても『妖精』のせいにはしない。
悪戯好きな性質は地球のそれと変わらないのに、行いはすべて良いこととして捉えられ、どれもが最終的に佳い結末を迎える。
祝福をくれる対象。
幸せを運んでくるもの。
害のない、ささやかな善なるもの。
日本でいうなら、福の神みたいな扱い。
それが『妖精』だった。
もちろん、悪いことが伝わっていないからといって、それが保証となる訳ではない。ただそれでも——疑い始めたらきりがないし、僕らは一歩を踏み出すことにした。
招待に応じてみよう、と。
※※※
迎えに来たのは妖精王、四季さんひとり。
三日後の昼下がり——我が家の庭に現れた彼は、丁寧な挨拶ののち、空間に靄のような歪みを現出させた。
「現世と妖精境域とを繋ぐ穴だ。危険はない……というより、これがどういうものなのか、きみならわかるんじゃないかな? スイくん」
四季さんが僕へ微笑みかける。
僕はそれ——扉から流れる魔力とその貌に、驚く。
「闇属性だ。因果を歪めて、座標を繋げてる? ……すごい」
「スイくん? これって……」
母さんの問いに、僕は首を振った。
「理屈はわかる。術式も把握できる。でも、再現は不可能だ」
規模も桁違いで、緻密さも段違い。
もしかしたら将来的に、僕がものすごく成長して魔導に熟達すればやれるようになるかもしれないけど、あと何年かかるか。
それを説明すると母さんは目を見開き、カレンは絶句した。
一方で四季さんが苦笑する。
「いやはや、この大魔術に人の身で手が届くと思えるのが凄まじいね。ぼくなんかは、様々な制約と長い時間を費やしてようやく稼働できるっていうのに。……そう、ぼくらは別に、この世界の理を無視したような存在じゃないんだ。転べば怪我をするし、怪我が酷ければ死ぬ。畢竟、無力でちっぽけな羽虫なのさ」
四季さんはそう言うと穴の横へ立ち、出迎えの礼をとる。
「だから、どうか入ってきて欲しい。……みんな、きみたちを待ってる」
その言葉に——僕らは顔を見合わせて、頷いた。
母さんが先頭に立つ。
ポチがミントを背中に乗せてそれに続く。
それを護衛するように、ショコラが横を歩く。
僕は最後尾でカレンと手を繋ぎ、みんなの背中を守るようにして。
進み、潜った。
——瞬間。
景色が切り替わり、変化する空気、気温、湿度、匂い、色。
そこはもう、我が家の庭ではなかった。
「わあ……!」
ポチの背に乗ったミントが感極まった声をあげる。
僕らもミントと同様に、言葉がない。
左右に色とりどりの花が咲き乱れる、並木道だった。
右手に舞い散るのは桜。
そして桜の樹に絡み付いて枝垂れる、藤。
進んだ先に生い茂る、紫陽花。
紫陽花の周囲を彩るのは桔梗。
左手に艶やかな色をなすのは彼岸花。
そして彼岸花と溶け合うようにして、菊。
その先には穏やかに花をつける、椿。
椿の木、周囲に揺れているのは水仙。
四季の——春夏秋冬の花が同時に咲くあり得ない光景が、広がっていた。
そして花々に囲まれた並木道を進むと、その先には城がある。
ノアの屋敷よりもひと回りほど小さく、けれど荘厳さや豪奢さはあの屋敷よりも数段上等な、まさに白亜の城と形容していいような建物だ。
「すごい、すごい!」
「きゅるるっ」
「わう!」
カレンがはしゃぐのにポチが鳴き、ショコラも追従するように吠える。
彼女たちにはなにが見えているのだろう? 警戒心がない分、僕らよりも素直に感動できているのか。いや——正直なところ僕らもまた、この光景に胸を震わせていたのは事実だ。
「わあ、来てくれた! ありがとう!」
「いらっしゃい!」
「よ、ようこそ……!」
「招待を受けてくれて嬉しいよ」
「ま、まあ、わたしも歓迎してやらないこともないわっ」
夜焚、花筏、孔雀、鵲、霧雨——あの日、我が家に来ていた妖精たちが城の前でひらひらと出迎えてくれて、僕らの周りをぐるぐる回る。
「わあい、ふかふか! また会えたっ」
「わおん? わふっ」
中でも夜焚はショコラの背中に飛び付くと、ぐりぐりと身体を擦らせる。ショコラは嫌がるふうもなく受け入れていた。たぶん、刀牙虎の子猫みたいに『ちっこいのが懐いてきた』くらいに考えているのだろう。
「あのっ、この前はごめんなさい!」
「ん、気にしなくていい」
カレンの胸の中に飛び込んだ前科を持つ孔雀が、なんだか甘えたそうな顔でふわふわ飛んできた。カレンは薄く微笑むと「おいで」と頷く。
「あ、ありがとうございます! えへへ、うれしい……」
孔雀はおっかなびっくり、けれどぱっと顔を輝かせ、カレンの頭に乗っかってしがみ付いた。
花筏、鵲、霧雨——他の三人も、母さんに挨拶したりポチの鼻先に腰掛けたりと、思い思いに僕らと触れ合おうとしている。
いつの間に先回りしていたのか。
妖精王たる四季さんも扉の前で、さっきと同じ姿勢で礼を取り、僕らを待っていた。
「ようこそ、ぼくらの家『常若の城』へ。……心から歓迎する。さあ、こちらへ」